安岡正篤の言葉  平成2711月 徳永圀典選

民族と言葉

 我々の文字とか言葉というものは、決して単なる符号とか、単に意思を疎通する手段にすぎないものでなく、もっと生命もあり、精神のこもったもので、昔から言霊(ことだま)と呼んで、霊という字を当てはめるほどの生きものです。それですから、世界のどこを見ても、優秀な民族は必ずその民族の言葉、文字を非常に大切にしております。その国民の使っている文字、したがって文章、詩歌を見れば、大体その民族の値打ちがわかると言われるくらいのものです。

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挨拶のこと

 一体挨拶という言葉を毎日使っていますが、その意味を知っておる人は殆どいないと言って宜しい。

この挨とか拶とかの意味は元々“物がぶつかる、すれあう”という文字で、物事がぴったりすることを「挨拶」と言います。相手の思っていることを「挨拶」と言います。相手の思っていることにぴたりと的中するような言葉が出なければならない。この意味で

「ご挨拶痛み入る」というのは面白い言葉であります。本人の痛いところをピシャリとやられた時に出るものであるから「痛み入る」わけです。                  運命を開く

 

宗教の真意

 宗教とは、常に人間生活・人間精神の一番本源大()に経ち(かえ)って全体的創造に生きようというものです。だから()教という。「宗」というのは本家ということだ。分家の本家だ。科学の「科」という字は“枝”という意味の字だ。これは分かれるものを示す。「宗教」というのは本家の教え、それから分かれた枝葉の学問が「科学」です。うまいこと付けたものだ。枝は幹に、幹は根に(かえ)って、この根本から生活しよう、考察しよう、行動しようと言う?これが宗教です。

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