麻生総理の発言で思ったこと 

麻生総理が、「医師は常識がない」と発言し問題となっている。 

ステレオタイプの発言はいけない。医師が総て常識がないというのは明らかに間違いである。私の存知あげる立派な医師先生も沢山いらっしゃる。 

あの地区は「ガラが悪い」というのもステレオタイプの偏見である。あの高級住宅地「芦屋」の住民がすべて高級でもないし、総ての市民が「ガラがいいわけではない」、悪いのもいる。 

だか、である。医師先生に限らず、「先生」と呼ばれる分野に、どうも「社会的軌範」の欠けた方々が多いと言うのは事実のようである。

「先生と言われる程のバカでなし」か。その先生と言われる職業、先ずは、
 

1.議員

最初に、「議員」、これも先生と呼ばれている。国会議員に拘らず、県会議員、市会議員など、なぜ、こんな方々を先生と呼ぶのか、これこそ馬鹿馬鹿しい限りである。

本来は、彼らは、税金を支払っている国民の為の「公僕」なのである。国民の使用人なのである。

立派な人なら先生と言うのはやぶさかではないが、自営業や会社経営をやりながら、頭の中は「損と得」とかないような連中が尤もらしく議会でやっている。これは耐えられない思いである。

国会議員でも、非常識な議員が沢山いるではないか、小沢一郎など、政治資金を10億も土地購入して知らぬ顔の「鉄面皮」であり、真面目な国民ではない。

国会の審議をしないで歳費を貰う「鉄面皮」も普通の常識ではできまい。 

2.教員

この学校の教師、先般、ある山の山頂で休んでいた。男女二人づれの若い人であった。学生さんですかという私の質問に、女の方が答えた、「先生」ですと。驚いた、この非常識、これこそ、学校教員の「社会的に非常識」の最たるものであろう。日本人教員の劣化も甚だしい。自分で言う場合は「教員です」が正解である。

自分が指導している生徒には先生でいいのだが、年長で自分の生徒以外にこのように答えるとは、麻生総理ではないが、「社会的音痴」と言える。学校の教員くらい、実に社会的非常識な人は多いのではないか。すべてはないのだが。

駅弁大学を出たばかりから教員となり、先生、先生と言われ続けて還暦を迎えるとこうなるのである。

定年を迎えて一市民となった教員、いつまでも先生気分、中・小学校教員が多いようだ。

1,         先ず、自分から進んで挨拶をしない。

2,         相手が挨拶するまで知らぬ顔をする。

3,         社会人を生徒のような感覚で応答する。

4,         山部深い地域の学校を転々とした程度でこれ、実に馬鹿馬鹿しい。ジゴロに過ぎない

3.医師

病院や医院へ出向く時は、恰も神様へすがる思いで行く。助かりたいとの一念で医師に対面するから、初めから対等ではない。

これをいいことに、一部の医師が、傲慢とか無礼な態度が涵養されて「非常識」になる要素を多分に持っているから麻生総理のように発言になるのであろう。多くの市民はそう思っていても言わないだけである。

だが、ステレオタイプの見方はいけない。立派なお方もおられるのだから。 

4.職人

随分前の話であるが、散髪屋、私のしてもらっていた散髪屋さんは、それは、それは職人さんそのもので、自分が納得するまで、待っている客が多くても丁寧に仕上げたものだ。

だが、その職人散髪屋が亡くなり新しい理髪店に飛び込みでしてもらったことがある。
数年続いた、ある日他店から応援の女理髪師が私を担当した。

多忙なら仕方ない、だが、最後まで、そのままで主人の理髪師は一度もこなかつた。せめて、格好だけでもいい、ハサミを入れる仕草でいい、最後は仕上げ点検してくれたら満足した、だが、女理髪師は主人に「先生」と云っていた。
職人が先生と言われるようになったらオシマイ、その理髪店は二度と行きたくないと思った。
 

平成20年11月20日 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典