興福寺 

法相宗大本山、東大寺と並ぶ古刹。669年始祖・藤原鎌足により建立。
当初は京都山科であったが壬申の乱の後、飛鳥に移り平城遷都の710年に現在地に移建。
鎌足の子・不比等の「国家興福」の発願からの名前である。
藤原氏の氏寺ながら官寺以上の隆盛を極めている。

実質、大和国支配者、僧兵の軍事力を有し藤原氏創建になる春日大社を合体してその神意をかさに京都まで押しかけた。為に、平家による南都焼き討ちにあう。
治承412月、1181年、平清盛の命を受けた重衡らが、東大寺、興福寺など奈良の仏教寺院を焼討。治承寿永の乱と呼ぶ。