敬と恥の原理 

子供の教育について考えますと、父と母とは非常に違い、父の任務は子供の人格を決定する教育を担当することにあります。

そこで父は子供の「敬」の対象にならなければなりません。子供は愛だけでは駄目であります。愛は犬や猫でも持っておりますが、特に人の子は生まれてもの心つく頃から「敬」することを知って、始めて「恥」づることを知ります。言い換えると人格というものが出来るのです。 

この敬―恥の原理から、道徳とか信仰等という世界が開けて、民族が進歩してゆくのであります。 

その国民道徳の基盤である父子―親子が相疑うようになる。おやじの言うことがどうも信用出来ぬ、あんなことで親父はいいのだろうか、等と子供が父に疑を持つ。また父も、どうせ時世が違うのだ、俺の言うことなど聞かないし、聞いても分かるまい。一体子供は何を考えているのだろうか、というわけで子供を疑うわけです。そうなると子供は父に背き離れます。 

安岡正篤先生の言葉

平成19年11月5日 

         徳永日本学研究所 代表 徳永圀典