世界の気運に変あり 

初代が何も無い所から粒粒辛苦して財を作り基礎を構築する。二代目は、その蓄積や土台の上に立派な建築を造る。そして三代目は、その富家の中で暖衣飽食して遊芸文化に耽溺し、経済を蔑ろにして没落して行く。

二代目は初代の苦労を見て、創業者の教育を受けているから初代の厳しさや創業精神を何とか受け継ぐ。大体二代目までは維持される。 

三代目になると、その恵まれた環境の中で遊芸に現を抜かし経済を忘れてしまう。 

日本という国家
 

近世の歴史であるが、初代の明治の20年間は創業時代であった。憲法が制定され、国会が開設された頃から二代目に入る。日清・日露戦争に勝ち、欧米列強と漸く対等と認められ、宿願の条約改正も達成されたのが、明治40年代の明治末期。 

そのあたりから、親の借金も返済したことだしと、気も緩み、慢心、奢り、名声欲、野心、遊惰、浪費、退廃などが特徴の三代目に入るのであります。没落の契機は、二つ、遊びと野心である。日本は帝国主義の野心に駆られて戦争という巨大投機に身代を投じてしまって没落したのである。 

戦後初代 

敗戦後初代も焦土の中からのゼロスタートでありました。国の安全はアメリカにお願いして経済一辺倒でやってきました。様々の幸運もあり、努力もあり、20近く経て日本はすっかり立ち直りました。

万国博覧会、オリンピックをやるまでとなり、遂に日本は自動車と鉄鋼の世界一の生産になり、世界第二の経済大国という大建築を築いた。 

戦後二代・三代 

経済大国と言われだしてから、戦後初代の経営者が姿を消して行く、代替わりして二代目から三代目へと世代が交替する。 

そして1985年あたりを一つのピークとして、日本は三代目的特徴が段々と顕わにしてきた。平成元禄、浪費、遊興大国と一億総白痴、総投機時代でした。 

三代目が必ず没落するとは限らない。四代、五代と続く国家や家庭もある。

それは、二代目、三代目がいかに創業精神を保ち得るかにかかっている。奢り、慢心、遊惰、投機からいかに節制し謙虚に着実にやって行くかにかかっている。 

歴史は鏡

一代を20年と見るか30年と見るかはケースバイケースであろう。徳川時代は十五代で約270年続きましたから、平均一代は18年となる。徳川も何回は没落の危機に直面するが、そこで必ず中興の租と言われる大人物が出て立て直している。 

現代的には、体制のリストラであり構造改革であります。贅肉をとり、コレステロールを除去し、遊惰の気を排出して、心身を浄化する。その繰返しが組織の長命に役立つ。過去の大ローマ帝国も唐の大帝国も然りでありました。 

世界気運の変 

明治維新の大改革は、久米邦武の言葉を借りれば「世界の気運の変」によるものだという。それでこそ、徳川270年の大建築が崩壊するのであるが、現代日本もそれに匹敵する「世界気運の変」に遭遇していると考えねばならない。  

19世紀の大変化の契機は、蒸気機関であったとすれば、現代の大変化のトリガーは中国か。 

明治のはつらつたる元気を 

1872年当時、ジュール・ヴェルヌは、「100年前よりも十倍速く世界一周できる」と言った。今日の我々は100年前よりも百倍速く世界を一周している。 

とすれば、現代の我々は、明治の廃藩置県と欧米回覧に類するような思い切った行動、それもグローバルなスケールでの決断が必要ではないか。 

その意味であの明治初代のあの「はつらつたる元気」、「目の覚めるような断行力」を学び直さなくてはならないのではないか。 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典