徳永の「近現代史」 平成28年11月


再び 大東亜戦争に就いて
    

第二次近衛内閣は大陸での事変解決に向けて日米交渉に取り組み駐米大使野村吉三郎は米国政府と交渉していた。日米交渉の障害であった外務大臣の松岡洋右を除くため内閣を総辞職し日米交渉を本格化させたが南部フランス領インドネシアには軍隊を進駐させた。これに対抗して米国は在米日本人の資産凍結、石油など主要物資の対日輸出禁止の措置を取り経済的に日本を圧迫し日本の対外進出を抑えようとした。同時にフィリピンにはマッカーサーを総司令官とする極東軍司令部を作り戦争体制に入った。

開戦年の昭和16年の事である。近衛総理は米国と直接会談で事態を打開することを決意していた。然し米国は日本と戦争を起こす意図を既に持っていた。米国の現地代表の日本駐在大使グルーは近衛総理の熱意に打たれ日米首脳会談の早期実現を本国に強く訴えた。然し米国は日本を叩きのめす計画実現の為に既に決意していた。戦争を欲していたのはアメリカである。それで戦争犯罪を日本だけに押し付けられている。主張も反論もしない不甲斐ない日本人と思わぬのか。

昭和1696日御前会議では対米交渉がうまくまとまらぬ場合は10月下旬を目安として対米英オランダ戦の準備を完成する事が決められた。しかし、当然であるが交渉は進まない、妥結の見込みがないと主張する陸軍大臣東条英機が衝突し10月に近衛内閣は行き詰まり総辞職し東条内閣となる。

東条内閣は戦争の準備を進めつつも、外交交渉による米国との戦争回避の可能性を求めている。戦犯で絞首刑となった東条氏が戦争回避の可能性を求めているのだ。戦争を求めたのはアメリカであろう。米国国務長官のハルは1126日、覚書ハルノートを日本に示した。それは「日本が中国・フランス領インドシナから一切の軍隊を引き揚げる、重慶にある中国政府のみ中国の正統政府と認める、日独伊三国同盟を廃棄する、日本が満州事変以前の状態に戻る事を要求する」というものである。これは日本の無視であり国家存続上到底飲めるものではなく事実上の最後通告である。米国は外交交渉の妥結する意思など毛頭ないのはスチムソンの日記に見るとおりである。

このハルノートは事実上の最後通告であると認めた日本は日米両国の資源と生産力に大差のある事を承知で開戦に踏み切ることとなる。日本は屈辱的な交渉をさせられたのはアメリカが戦争を希望し誘導していたからに他ならない。戦争は平和・平和と土井たか子や社会党のように叫ぶだけでは回避できないと知らなくてはならぬ。という事は戦争とは両者に責任があるという事である。一方だけが悪いし犯罪だという指摘は完全に間違いである。日本は自存自立のために生存をかけたので少しも謝る必要は少なくともアメリカに対しては全く無い。人類史上最悪の虐殺は原爆投下、東京大空襲である。野蛮な米国は今日に至るも全く謝罪していない。

「大東亜共同宣言
大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放してその自存自衛を全うし左の綱領に基づき大東亜を建設し以って世界平和の確立に寄与せんことを期す。
1.
大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す。
1.
大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助親睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す。
1.
大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以って世界の進運に貢献す。」
要するにアジア諸国が中国も韓国も、日本の白人に対する世界史的理解を全く理解できない後進性があったのが最大の不幸である。人種差別もアジア諸国の植民地化も白人の強盗並みの領土侵略であり、それに対抗した唯一の国が日本であった。アジア諸国に感謝されていい筈であった、当時の無知な中国・韓国の愚かさを指摘したい。

日本は128日を期してアメリカと英国に宣戦布告した。海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えた。またマレー沖の英国東洋艦隊を壊滅させた。日本はこの戦争を大東亜戦争と決定し戦争の目的として自存自衛と東亜新秩序の建設を掲げた。要するに白人支配のアジアから各国が独立し日本中心のアジア構想である。この日本の新体制を作らせまいとする白人との戦いである。しかも道義的に人種差別撤廃を掲げている。戦争の根幹的原因は白人優位の人種差別であった。この対米戦争に関して当時の日本の立場はキチント整理して記憶すべきであろう。

日本が対米宣戦布告する事によりドイツとイタリアも三国同盟によりアメリカに宣戦した。ここで忘れてならない事がある。アメリカの大統領は既に日本の攻撃を事前に知っていた。日本が戦争を仕掛けてくるように外交交渉を段階的に進めていた。真珠湾攻撃を日本が一方的に行い宣戦布告無しに闇討ちしたような認識がある。日本の指導部はアメリカに宣戦布告すべく駐米日本大使館に打電していた。処がである、今も猶変わらぬ腐ったような外務官僚の大使館は宴会の為にその打電を翌日に回していたのである。その為に闇討ちのような事を言われている。米国の陰謀にかかったのに「リメンバーパールハーバー」である。実に悔しいではないか、外務官僚の当事者はその後次官まで栄進した。この無責任な外務官僚は今日も続いている。真の国益を追求しない日本の中央官僚に強い憤りを持って監視しなくてはならない。対米戦争も初期の実に優位な段階で和平に持ち込めなかったのも軍事官僚であり遂に敗戦に導いてしまった。近年のマネー敗戦による国民資産の大喪失も大蔵官僚初め官僚が有責である。道路公団の藤井のように無責任な官僚の追放が日本に不可欠である。教育の崩壊も三流官庁の文部官僚行政にあるのと同様に日本国を何回も国家の指導官僚が滅ぼしている。

 

日本は対米開戦後、半年で東南アジアと西・南太平洋の広大な地域を占領下においた。ここで和平をしなくてはならなかつた。これは痛恨の悲劇である。私はここに官僚指導の欠陥を感ずる。幕末の命を懸けた志士、明治の元勲なら和平をしたであろう。ここに官僚の現場を知らぬ机上の空論の跋扈を痛感する。

10 大東亜戦争10-1   昭和17年、戦争開始1年後である。東条内閣の下で総選挙が実施された。それは政府への翼賛であり政府推薦の候補が絶対多数を獲得し結社、翼賛政治会を結成し政府政策に全面協力した。日本人は単一民族と言われる、農耕民族は日和見で狩猟民族のように一匹狼が少ない。この戦争中に翼賛的姿勢を示さなければ生きる上で困惑した。そのような風土が大和民族にはある。然し、国家が生死をかけて大戦争をしているのだから民族は一つとならねばならぬ。

然し、今にして言える事は、朝日新聞という現在の反日的新聞すら先頭に立って戦争翼賛した。先頭を切って国民を戦争に煽ったのである。ミッドウェー海戦の大敗北すら報道しなかつた。日本のマスメディアがジャーナリズム精神が本物であれば、真実は真実として勇気ある報道をしておればレベルが高い冷静な国民の意識を目覚めさせたと云える。敗戦後の朝日新聞は、その反省かどうか、矢張り真実に目を塞いで戦前と全く逆に、国民が一つにならないよう、靡かないように仕向けた報道をしている。ジャーナリズムは真実と真理の追究こそ第一義でなくてはならぬが、今猶イデオロギー的であり真実から目を背けているのは戦前とは逆の意味で問題がある。日本に真のジャーナリズムの欠如が戦争の真実から目を逸らしたといえる。

昭和176月、ミッドウェー海戦で航空母艦4隻を失った。連戦連勝の一年とは程遠い戦況の逆転である。翌18年には南太平洋ガダルカナル島から日本軍は撤退した。北太平洋ではアリューシャン列島のアッツ島守備隊が玉砕した。国民には大本営発表として真実の報道がなされなかった。軍事官僚の国民に対する欺瞞である。昭和18年にはビルマが英国からの独立宣言をした。英領のインドでは自由インドの仮政府が樹立された。要するに白人支配からの脱出である。東条内閣は大アジアの新秩序建設の方針会議を東京で開催し大東亜共同宣言を採択した。

昭和196月、マリアナ群島沖海戦に日本に敗れた、7月にはサイパン島守備隊が玉砕、日本は太平洋全域の制海権・制空権をアメリカに奪われた。戦況が不利になると和平交渉は無理である。国民に連戦連勝の報道をしマスコミも報道しないで国民は欺かれたままで、それは軍部だけではない、朝日新聞を初めとする報道機関からでもある。遂にサイパン諸島から米国の長距離重爆撃機B29が日本の工業地帯の爆撃を始め勝敗は決定的なものとなった。

戦局が悪化する中で国家の一大事であり当然だが、学徒が動員されたり、我々中学校の生徒も生産に動員された。女子は挺身隊と称して未婚女性が工場で生産活動に従事した。国家の為に身を挺して奉仕する意である。戦後数十年経ち、挺身隊を性の問題と同一視するなど理解に苦しむ。何故断固として韓国に拒否しないのか。事実と異なるが、恫喝されると直ぐ引っ込むあの宮沢総理と、顔つきに似合わぬ腰抜けの河野洋平官房長官が政府としてそれを認めてしまったからである。この二人は未来永劫国賊として国民に泥を塗った政治家である事をこの際記憶を新たにしなくてはならない。

当然、日本国民である朝鮮・台湾でも徴兵制が実施され戦闘に参加した。至極当然の国民としての義務である。又、当然彼等も日本人であるから徴用され日本各地に配置され炭鉱やら工場で働いた。強制というなら内地の日本人も強制的に挺身隊とか徴兵されたのと全く同じであり、現時点での物差しで見る考え方には組みしない。

戦争は遂に終局を迎える。昭和197月にはサイパン島が陥落し東条内閣は倒れた。10月にマッカーサーを総司令官とするアメリカ軍はレイテ島に上陸。ここで日本軍は断末魔のような特別攻撃隊で若い10代の少年飛行兵が体当たりで敵艦に攻撃、人間魚雷がこれまた敵艦に体当たりした。あらた若い純心な青年をムザムザ死に至らしめ、国民をミスリードし大嘘をついた大本営の軍人官僚達に私は強い憤りをぶつけたい。天皇陛下も国民も欺いた中枢軍人官僚が結局は最も悪いと断ずる。大本営発表を信じてムザムザ死んだ若者。知覧や江田島の純情な青少年の遺書を読むがいい、現在の日本人の覚醒には絶対必要な民族の叫びである。彼等の死を忘れては日本民族の未来は絶対に無いであろう。

小磯内閣はソ連を仲介として和平の道を探る、相手がソ連である、日本の幼稚なお人好しなものを感じざるを得ない。こともあろうにソ連に仲介の労を取るとは情けない。結果論だが昭和18年、194311月にはアメリカ・イギリス・中国の首脳がカイロで会談してカイロ宣言を出している。そして昭和20年、19452月にはアメリカ・イギリス・ソ連の三国がヤルタで会談し対日参戦を極秘決定していた。条件は南樺太・千島のソ連への割譲が条件である。この時期に和平など可能の筈はなかったのだ。千島の返還はアメリカと無関係でない、この黙約がある。

昭和20310日夜間の東京無差別大空襲を初めとして日本の60余りの都市はアメリカの大型爆撃機による焼夷弾の集中攻撃を受けた。国際法無視の民間人大量攻撃である。東京大空襲は一夜にして10万人の死者である。これらは残酷極まりないやり方であり決して忘却してはならない。

3月硫黄島守備隊全滅、4月にはアメリカ軍が沖縄本島に上陸、殆どすべての軍艦を失う。ここまで戦局が悪化すると敵は決して簡単に和平をしないものだ。鈴木貫太郎内閣も本土決戦を国民に訴えつつ密かに戦争終結を図っている。和平は戦局有利な時でなくてはならぬ。5月ドイツが無条件降伏、アメリカ・英国・ソ連三国はポツダムで対日問題を協議し中華民国と共同で日本に降伏条件を示した。ポツダム宣言である。

軍事官僚の官僚的判断が国家国民を断末魔に落とした。天皇を利用し、統帥権を悪用し、国民を欺いていた。朝日新聞はじめ真のジャーナリズム精神の欠如した日本の大マスメディアは21世紀の今尚、国民に真実を報道していないものが多々ある。心して無責任なマスメディアに騙されぬ事だ。

アメリカ軍は世界で初めて原子爆弾を広島に投下した。9日には長崎に投下して両市は壊滅した。そしてソ連は8日、日ソ中立条約を一方的に破り対日宣戦布告し満州・北朝鮮・南樺太に侵入し更に日本が連合軍に降伏した後の8月末に千島列島を占領した。明白なソ連の無法、無頼のやり方であり日本人として断じては許すことはできない行為と認識しなくてはならぬ。

ポツダム宣言考1      この中の六条に、日本国民を欺瞞して之をして世界征服の挙に出るの過誤を犯さしめた・・がある。日本が世界征服などとは白人等は良く臆面も無く言うものかである。白人こそ、この五百年間世界征服侵略の悪逆の限りを尽くしているのは明白である。

第十条に、戦争犯罪人云々とある。戦争は双方に原因があり一方だけを犯罪人とは盗人白々しいものである。更に、言論・宗教の自由・基本的人権の尊重を確立。とあるが宗教の自由がない処か民族伝統の神道・武士の精神伝統を実際は否定するように武力を持って威圧したのがアメリカ占領軍である。天皇陛下の威令が厳然としてあったし日本人の特性でもあろうがイラクのように対米抗議叛乱を起こす勇気もない農耕民族、日本国民でもあった。ポツダム宣言を受諾するか否かの御前会議があった。国体護持を巡り東郷茂徳外相は受諾、阿南惟幾陸相は本土決戦。昭和天皇は遂に立憲君主の掟を破り聖断され戦争終結。814日日本はここにポツダム宣言を受諾した。有史以来初めての敗戦である。日本軍は一斉に戦争をやめ連合国に降伏した、無条件である。陸軍の統帥権無視、横暴があり和平機会を逸し民族として悲惨な結果が到来した。今日に至るまで、その歴史の事実と反省が日本国民として全く無い騒々しい戦後左派のイデオロギー的主張とは全く違う意味での反省がされていないから現代の国民的悲劇を招いていると思われる。

終戦に伴い内地の軍人は復員できたが中国大陸では、国民政府軍と中国共産軍との内戦、又ソ連の中立条約を破っての満州侵入で帰国が遅れた。ソ連が侵略した満州で日本人160万人がソ連支配下となる。北朝鮮の28万人も含めて内地引き揚げにあたり、実に多くの犠牲者が出た。無法・無頼のソ連・北朝鮮のなせる業である。日本人は決してこの無法な行為を忘れてはならない。特筆大書すべきは、ソ連が侵攻した満州・北朝鮮・南樺太・千島列島で武装を解除された日本軍人のうち実に57万人をシベリアに連行し収容し長期間に亘り強制労働を強いられ約6万人が死亡した。ソ連が崩壊したとはいえ曖昧なままにされている。日本人はこれを決して許し忘れるわけにはいかない。さて、戦争は終結した。思考の柔軟性の欠けた戦争であった。負けるべくして負けた。負けたのは単に物資の不足だけではなく情報とか科学にも完敗している。この反省が戦後の経済発展に寄与するのだが、戦後60年依然として情報と柔軟性に欠けたままでマネーやら外交で負けている。国民は優秀なのに政府が負けている。政府を構成する政治家と官僚に起因する。私はこれは軍事官僚という公務員の思考の柔軟性の欠けた存在と共通項で、政治家や官僚に問題があると確信する。要するに指導者に統治指導性の欠如がある。然しながら、この戦争を契機に長い間アジアを侵略し抑圧していた欧米各国の支配は急速に崩壊して行く。そしてアジア諸民族は様々な推移はあるが独立を実現する。これは実に人類史的な日本の貢献であり特筆大書すべきことではないか。近隣国など、巨視的歴史観の欠けた諸国は盲目であるが、百年単位の物差しでみれば、近隣国の民度の向上と安定と共に日本の結果としてなし遂げた歴史的偉業に感謝する日が必ず到来するであろう。彼等はまだ精神的に幼稚で未熟であるに過ぎない。

問題は日本人そのものに在ると断ぜざるを得ない。敗戦後早や60年にならんとしている。たかが一度戦争に負けたくらいで、民族の魂までかくも見事に捨てた国民であったとは、二千年の悠久の歴史ある民族として情けない。この原因は勿論日本人自身にある。戦後、教育問題を真剣に考えないで、即ち子弟の教育を放棄して経済オンリーで過ごした報いである。いち早くやればいいのに、時既に遅し。戦後のアメリカの換骨奪胎の教育で伝統を根こそぎ忘れてしまった。それなのに今尚国民レベルでの意思統一が出来ないという現実がある。和魂の復活こそ大事なのに和魂すら概念として分からない日本人となっている。伝統を守れと言っても感覚的に分からない世代となつた。

なぜ、そうなったのかは、次に占領軍の日本統治を具に見ることで解明をして行きたい。敗戦直後の事を忘却しすぎているのが現代日本人であり、我々がその体験を知る最後の年代として子孫に伝えなくてはならぬ責任があると信じている。