鳥取木鶏会レジメ 徳永万葉集その二 平成23年11月7日
1. 宇陀の安騎野 巻1-48 柿本人麻呂
ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ
「東野炎立所見而」 賀茂真淵
古事記 口承 稗田阿礼の暗誦
太安万侶 銅版の墓誌が茶畑で昭和54年1月18日
「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日辛之養老七年十二月十二月乙巳」
延喜式神名帳 古代に神祇官が作成 式内社 式外社
音読みと訓読
軽皇子(後の文武天皇)の父は、有名な草壁皇子(天武天皇と持統天皇の子供)。軽皇子が安騎野に宿りましし時の歌とある。皇子10歳の歌。
朝がすみ 磐姫皇后
2.君が行き日長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ 巻2-85
3.かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを 巻2-86
4.ありつつも君をば待たむ打ちなびく我が黒髪に
霜の置くまでに 巻2-87
5.秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方に
我が恋ひやまむ 巻2-88
6. 小倉の山 巻8-1511 舒明天皇
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝ねにけらしも
7.暁露 大伯皇女
吾背子を 大和へやると さ夜更けて
あかとき露に 吾が立ちぬれし 巻2-105
大伯皇女は悲劇のプリンス大津皇子の姉。父は「天武天皇」、崩御されたのは688年9月9日、皇后の「鵜野皇女」。
母が違うだけの兄弟の悲劇。大津の母・大田皇女は、草壁の母・鵜野皇女の姉、大田皇女はすでに死亡。皇后として実権を握るのは妹・鵜野皇女。
懐風藻
状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘らず、節を降して士を礼す。これによりて人多く附託す。出来る人物
8.百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲隠りなむ 巻3-416 大津皇子
9.姉の大伯皇女は弟の死を分って、歌を詠む。
現身の 人なるわれや 明日よりは
二上山を弟背とわが見む 巻2-165
10.
大伯皇女は続けて歌う
磯の上に生ふる馬酔木を 手折めど
見すべき君が ありといはなくに 巻2-166