11月8日 優游(ゆうゆう)

 私は東洋気分の大切な一つとして「優游(ゆうゆう)」すなわち物と(あそ)ぶことを挙げておきたい。物と游ぶとは自己が美の境地に帰すこと、詳しく言えば、物を欲望の対象として観ないことである。花を手折(たお)らんとする心はすでに狼藉(ろうぜき)である。自然のままの姿を()づる心をこそ美といふ。美の(さかい)においては物と我とともに生き、ともに悠久である。周茂叔(しゅうしゅくも)()(きょう)では、窓前(そうぜん)の草も吾が性と一般である。「(ゆう)(せん)」の至りではないか。そして、これこそ実にあらゆる哲学宗教の極致(きょくち)であることを信ずる。東洋人はよく自然に游ぶ。自然と融会(ゆうかい)は合一する。東洋人は自然とともに生きることによって最大の救済をうる。        東洋の心