辛未に思う

鳥取北ロータリークラブ30周年記念誌投稿

学問は歴史に極まると荻生徂生は言った。私の好きな言葉である。歴史は繰り返す。人類は人間の一生に近いサイクルで試行錯誤をやるが経験と叡知で修正しつつ進歩する。

歴史は人間が創る。その人間は人間性の原理で動く。故に歴史は人間性の原理に支配される。ソ連の非人間的抑圧が70年も続いたのは科学〔武器〕の発達による。人間性の蹂躙であり共産主義は人間の心を荒廃させた。されど有史以来、人間の本質は不変だから一時的にその原則を踏み外しても再び人間の一生くらいの間に復元する。即ち過ちを正して行く。歴史という大河の流れが河岸にぶつかる、即ち過ちを犯す。ぶつかって再び人間性の良の原理に覚醒して流れが反転し歴史の本流に正正と流れる。歴史の試行錯誤は百年くらいの単位であろうか。否、民族が戦争に負けたら二百年くらいかからねば復元しないのではあるまいか。日本国の現状を見るとそう思いたくなる。

このように考えると、いつの時代でも[歴史の泡沫]と[歴史の本質]とを見分ける[歴史の眼][歴史の物差し]が大切である。それは人間を學ぶこと歴史を學ぶことに尽きると思う。

さて本論の辛未。歴史を繙くと確かに辛未の年は何か不安を伴う。私の生年昭和6年は満州事変勃発、その前は明治4年の廃藩置県の大改革。その前は文化8年でロシア艦が国後島に上陸し掠奪している。更に遡って明徳2年の乱。元弘3年は後醍醐帝が捕われている。文永8年-- 1271年--は蒙古の使いが来航し朝廷は異国降伏を伊勢神宮に祈願。総じて辛未の歴史的事実は大飢餓と農民一揆(鳥取は明治4年)と徳政要求一揆が実に多い。その上に大火災と噴火である。織田信長の比叡山延暦寺焼き討ち、近江朝廷炎上等々である。辛未に大事変が起きる可能性があると言われるが史実を見ても頷ける。干支学の大家安岡正篤先生は辛は上に向かって求め冒す意で殺傷を伴う解釈もあり前年の庚を受けて更新維新を断固として実行せねば辛いめに遭うと説く。未は枝葉の繁茂で暗くなるから不昧因果即ち原理原則を大切にと警告している。

私はこの年、平成2年−−1990年は満60才。淮南子が言う50にして49の非を知ることも少なくそして60にして60と化すことも覚束ない。徒に年令を重ねて恥ずかしい限りである。全く以て平々凡々の人生の大半を過ごしている。

この年の正月2日、家で凡は凡なりに年頭深省。易を知るものは卜せずの禁を破り沈思黙念して占して見た。−−[山雷頤]とあった。この卦は養う事を意味する。何を養うか。[禍の基となる言葉を慎み][健康の基となる飲食を節し]自らの[徳と身体を養う]という意味である。以て銘すべし、実に還暦相応しい指針であった。      完