昭和天皇

平成11年3月4日 日本海新聞潮流に寄稿


昭和天皇がみまかられて満十年。当時の日記を抄約してお偲びする。 
訃報に接した瞬間、脳裏に浮かんだのは陛下は人徳を極め尽くされた方であったなと云う事であった。
案の定、マスコミも盛徳の方とか遺徳と盛んに言っている。その徳について考えてみる。先ず手元の広辞苑は、心に養い身に得たもの、人道をさとり行為に表わす事。人を感化し敬服させる力とある。小辞林は心おこないが正しく立派、人を心服させる力。漢和辞典はものに備わっている良心を磨き上げたすぐれた性格とある。
新釈漢和には修養で身につけた立派な人格。されば古典はと読書ノートを繙く。論語、徳は弧ならず必ず隣あり。吾いまだ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ず。大徳は閑を踰えず。

とても駄目だ、私には見込みが無い。孟子は徳慧術知ある者は恒に痰疾存す。(徳とか才智は災厄苦労の中で磨かれる事らしい。)徳は才の主にして才は徳の奴なり。成程。老子は云う。孔徳の容はただ道にこれ従う。君子は盛徳ありて容貌愚なるが若し。

では、どおして徳を養うのか。小学に曰く、静以て身を修め倹以て徳を養う。誰の言葉か不明だが身を修めるとは指導者として徳を身につける事に外ならないとある。

では身を修めるにはどおすればよいか。これは大学にある。その身を修めんと欲するものは先ずその心を正しくする。その心を正しくせんと欲する者は先ずその意を誠にする。その意を誠にすとは自ら欺くことなきなり。徳の出発点は誠実とか誠意といったものかも知れない。司馬光は誠を実践するには出まかせは口にしないことだとある。

そう云えば昭和天皇は人間に対しても天地自然、山川草木一つ一つに対しても誠を以て接していられた感じがする。

徳について更に探求する。謙虚の美徳の必要なのは力ある者や地位の高い者である。卑譲は徳の基なり。虚を以て心を養い、徳を以て身を養い、善を以て人を養い仁を以て天下万物を養うと記録している。

安岡正篤先生によるともっと分かりやすい。言語を慎んで以てその徳を養え。まさに己を修めんと欲せば必ず厚重にして学ぶを知らば徳すなわち進みて回ならず。

私はとんでも無いものに取り組んでしまったらしい。私の座右訓に居敬窮理と格物到知がある。その具体的内容は朱子によると仁義礼智信の徳を身につけることとある。その方法は古典による修己が柱であると云う。徳の本質は実に深遠である。陛下の御製の中で私が手控え反省のよすがとしているのがある。苦悩に満ちた敗戦直後昭和二十一年のものだ。
      
     
  ふりつもるみ雪にたえていろかえぬ  松ぞおおしき人もかくあれ       

 昭和天皇が全徳を極められた背景には帝王学があったとは申せご在世六十年の孤独と苦難と波乱を乗り越えられ凡てを胆に蔵された自己克服があるのだと思う。だから万物を化育する天地自然の天徳に達せられたのだと思う。
陛下の六十の賀の御製に私は人間として感動する。 
             
  ゆかりよりむそじの祝いうけたれど  われかえりみて恥多きかな       
 
この謙虚なるお心に私は涙ぐんで書いている。かくあらばこそ陛下は天徳に達せられたのであろう。陛下には我(が)というものが無かったのだ。私(し)が無かったのだ。あらゆる存在に敬を置き受容され凡てに真摯に無為自然なお方であった。このようなお方は世界の王室の歴史の中では珍しいのではなかろうか。昭和天皇、日本の進路をお守りあれ。
                鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典