本質を知る@  平成十一年四月八日 日本海新聞潮流に寄稿

昭和二一年の某日。極東裁判検事が某将軍Aを訪ねた。
Aはいきなり〔自分が参謀総長なら敗戦していなかった、その時君達は我々の前でペコペコしていたろう〕。検事は戦犯の中で暗に第一級に値する戦犯を模索していた。Aはすかさず〔トルーマン〕と答えた。

検事〔米国大統領の事か〕A〔そうだ〕何故か。
Aはトルーマンがまいたビラの〔もし日本人が軍人と共に協力するなら老人子供、婦女子を問わず全部爆殺する〕を指摘し〔これは何だ、国際法では、非戦闘員は爆撃するなと規定がある〕検事〔あれは脅しだ〕

A〔米国はこのビラの通りB29が軍需工場でない所、戦闘員以外の民衆すべてを爆撃したではないか。更に広島長崎に原子爆弾を投下した。一体どおしたことか。トルーマンの行為は戦犯第一級だ。考えて見ると一国の大統領ともあろう者がこんな野蛮行為を敢えてし而もテントして恥じない。こんな者を相手に戦争した我々が恥ずかしくてしようがない。賠償は払うが我々はその倍の賠償を逆に要求したい〕。

続けて言う。日本の罪を何処まで遡るのか。検事〔日清、日露までさかのぼりたい〕。
どおいうわけか。〔満州事変の根源はそこまであるからだ〕。
A〔よしわかった、そんなにさかのぼりたいなら、ペリーを呼んでこい〕。
検事、エッ、ペリー。
A〔自国のペリーを知らぬのか〕どおいうわけか。
A〔我々は徳川時代から鎖国で台湾も満州も不要であった、ペリーがやってきて大砲でおどかして門戸開放を迫り自ら侵略のお手本を示した。日本も何とか生きる方法を考えないといけないから米国を大先生として泥棒の侵略を習い覚えたのだ。その元凶はペリーだ。彼を戦犯としてはどおだ〕。


ある時Aは検事に〔東京裁判を見るに、東条を初めとして何れも権力主義者で権力に媚び時の勢力の大なる方について甘い夢を見ていたものばかりである。莫大な経費をかけて世界のお歴々が国際裁判にかける値打ちがあるものは一人もいないではないか〕。

検事〔全く同感です、ジェネラルのいう通りです〕。
A〔ホウ、君もそう思うか、米国は戦争に勝って今は世界の大国である。こうした価値の無いものを捕まえて裁判したとあっては後世の笑い者になる。米国の恥だ、裁判をやめて早速帰ったほうがよろしい〕。


ある時ソ連の参謀将校がAの病床にやってきた。そしてAの天皇に対する信仰を嘲笑した。ムットして怒ったAは〔自分ではスターリンを神様のように信仰しているくせに、他人の信仰を嘲笑うような下司な馬鹿野郎とは話をしたくない、即刻帰れ!!〕と激怒大喝した。
Aは厳然たる態度でにらみ、口をきかない。参謀将校は完全に威圧された。さんざんに泣きを入れてやっと話をしてもらった。
Aはにわかに笑顔をつくった。〔ソ連は芸術を尊ぶか〕。
将校検事〔ソ連は芸術を尊ぶ国である〕。
A〔芸術は信仰だ。そうではないというか。第一、君達はスターリンと言えば絶対ではないか。スターリンの言葉には一切反駁も許されないではないか。絶対なものは信仰だ。どおだ、分かったか。自分自身が信仰を持っていながら他人の信仰を笑うような馬鹿には用が無い、もう帰れ〕、厳然と言い放つと、それっきり口をきかない。ソ連検事はほうほうのていで帰った。


そして翌日は、極めて丁寧でにこやかな態度の参謀が訪れた。
昭和21年東北の酒田で極東軍事裁判の特別法廷での事。Aのみの出張尋問である。
A〔満州は自分にすべての責任がある。なぜ自分を戦犯にしないのか〕。後で検事がAに対してつまらぬ尋問してすまなかったと言う。また、多くの外国記者団が言う。〔日本はどおしてこのような優れたAの意見を採用しなかったのか〕。
 Aとは石原莞爾将軍のことである。これは、秘録石原莞爾、著者横山臣平〔芙蓉書房出版〕からの引用である。
                   鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典