日本海新聞 潮流寄稿 平成11年7月15日

ある書簡2.

人生は実に出会いだと思います。私の人生で最も偉大な人物だと思う方との出会いが安岡正篤先生でありました。私には某病院理事長と肝胆相照らし今尚人生の師として兄事する方があります。その方が安岡正篤先生の四十年の愛弟子でありました。
ある秋の晩、私と三人で、一夕一献、浪速余情の一夜とでも申しますか懇親致しました。思い出す度に懐かしい。
初めて直に接する安岡先生、人には九姿九容があると申しますが、未熟な若造の私に対しても、その風貌姿勢に微塵の気負いなく、和顔愛語、悠々たる人となり。人物の出来た方とはこんなものかと、ぞっこんのめり込む事となる。爾来安岡教学に心酔し先生の著作を一年半かけて写本するなどもしました。今尚酔いの醒めやらぬ思いであります。
大先生との酒杯の献酬も懐かしくその謦咳に接し得たことは私の人生で最高の誇りと喜びであります。
斗酒なお泰然とされて私のために色紙を書いて下さいました。爾来部屋に掲げており朝夕拝している私の宝物であります。

話が横道にそれましたが、私は何故か蒋先生の〔怨に報いるに徳を以てせよ〕が忘れられません。やがて安岡先生の紹介状を得て先程の病院理事長と公賓として台湾に行きました。そして多年の念願叶い蒋先生のご廟に御礼の参拝を致しました。日本人として胸のつかえがおりた思いでありました。

私は学者ではございません、もとより政治に関係ございません。人生修養の書として古典に触れ、人間の深奥を観察し心の養いとし又、出処進退を学びたいと思って参りました。わからなくても何回か読んでいるうちに自分なりに分かる。それでいいのだと思っております。ただ私は安岡先生の仰った〔学問はすべからず活学たるべし〕、即ち実生活と遊離してはならない。心が身体を通じて実践されなければならないと言う事を、中々難しいのですが、深く深く心に言い聞かせております。

私の選んだ語句は、私の努力目標としているもので、私の人知れぬ心術の一端をお示ししたものであります。基本は独り−−独とは心を表すと申します−−独りを慎み心を養うことであると考えるものであります。残念ながら古典を読んでいる時の心と、実際の仕事をしている時の心境の隔たりが中々縮まらないのが悲しく、いつも反省している有様で、少しでも近付けたいと日夜念じておるものであります。

処で、三十代は男の正念場であり、仕事とか人間関係で苦しむ事が多いのですが、当時如何に多くの先哲の箴言、格言に支えられてきたか計り知れません。当時、心を支えてくれた自分製の古ぼけた三十一枚の"日々の栞"を本棚の奥から見つけました。毎朝、一枚読み心に刻んだものであります。私の三十−四十代の精神遍歴の軌跡であります。

思い返しますと二十才過ぎから読書ノートをつけておりまして"紺珠"と名付けたものであります。二十−三十代は西欧文物に惹かれておりました。現在は年一回毎の小ノートにまとめまして常にポケットに入れ必ず一日一見、折りに触れて心を打つ言葉を追加したり反省のよすがとしております。

終わりに、国民全体が拝金症のようになっております。孟子の言葉に〔上下こもごも利をとれば国危うし〕とあります。住友の大先輩、伊庭貞剛が〔君子財を愛す、これをとるに道あり〕と言った事を思い出さずにはおられません。

程伊川は〔学はあくまでも己の為にするにある。その己とは名利の己とちがう〕と言いました。矢張り私ごとき凡人は、日々学び続け、誤ることなきを期するのみと念じるばかりでございます。論語にある〔學ぶに如かざるなり〕と改めて自分言い聞かせておる次第でございます。

私の好きな格言、箴言

ソレ学ハ通ノタメニアラザルナリ。窮シテ困シマズ憂エテ意衰ザルガタメナリ。禍福終 始ヲ 知ッテ惑ハザルガタメナリ。〔荀子〕

閙時心ヲ練ル。静時心ヲ養ウ。坐時心ヲ守ル。行時心ヲ験ス。言時心ヲ省ス。動時心ヲ制ス。〔格言聯壁〕

自ラ処スルコト超然。人ニ処スルコト藹然。有事斬然。無事澄然。得意澹然。失意泰然。〔 明崔後渠〕

〔慎独〕 (・・・故ニ君子ハ必ズソノ独ヲ慎ムナリ。) 〔呻吟語〕

〔文質彬彬〕 (・・・文質彬彬トシテ然ル後君子ナリ) 〔論語〕
                                                               以上
                     鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典