佐藤一斎「言志晩録」その三 岫雲斎補注 

24年12月1日--31日

31日 69

陽明の門弟達
王龍渓()余姚(よよう)晩年の弟子たり。教を受くる日浅く、其の説高妙に過ぎ、遂に陽儒陰釈(ようじゅいんしゃく)(そしり)を来たせり。猶お宋代に楊慈(ようじ)()有りて、累を金渓に(のこ)すと同一類なり。其の他の門人にて、(すう)東廓(とうかく)((しゅ)(えき))欧陽(おうよう)南野(なんや)()(しょう)双江(そうこう)((ひょう))の如きは、並に(ひん)(ぴん)たる有用の人物たり。宜しく混看(こんかん)する無かるべし。 

岫雲斎
王龍渓は陽明晩年の弟子、その教えを受けた日が浅く陽明先生の真意に到達せず、その説が余りにも高遠玄妙に過ぎて遂に表面的には儒教を奉ずるも裏面は仏教であると云う誹謗を招来するに至った。それは宋代の楊慈(ようじ)()が陸象山に学び同様な誹謗を受け巻き添えをその師に残した事と同じである。陽明にはこの他、(すう)東廓(とうかく)欧陽(おうよう)南野(なんや)(しょう)双江(そうこう)があり、何れも学識人物とも立派な学者であり、王龍渓などと混同してはいけない。
 

30日

68

三教論を評す

明季(みんき)林兆思(りんちょうし)は三教を合して一と為す。蓋し心斎、龍渓を学んでも而も伏せ者なり。此の間一種の心学の愚夫愚婦を誘う者と相類す。要するに歯牙にも足らざるのみる。  

岫雲斎
明の末期、林兆思(りんちょうし)は儒教・道教・仏教の三つを合して一とすることを唱えた。彼は王陽明学派の王心斎と王竜渓に学んだが陽明学の本旨を誤ったものであり議論かるに及ばないものである。

29日 67
石田心学を評す
世に一種の心学と称する者有り。女子、小人に於ては寸益無きに非ず。
然れども要するに郷愿(きょうげん)の類たり。士君子にして此を学べば、則ち流俗に(しず)み、義気を失い、尤も武弁の宜しき所に非ず。
人主誤って之れを用いれば、士気をして怯懦(きょうだ)ならしむ。
殆ど不可なり。
 

岫雲斎
世間に心学と称する一種の学問がある。女子や小人には多少の利益がないではない。然し要するに郷土に於ける似非(えせ)学者の類いである。立派な人や士がこれを学べば凡俗に陥り、正義の意気を喪失する。だから、武士の学ぶべきものではない。万が一にも、殿様がこれを誤用するならば士の意気は沮喪し臆病にさせてしまい、宜しくない。
 

28日 66.
大所高所に著眼せよ
大に従う者は大人(たいじん)と為り、小に従う者は小人と為る。
今の読書人は攷拠瑣猥(こうきょさわい)を以て能事(のうじ)と為し、畢生(ひっせい)の事業(ここ)(とどま)る。
亦嘆ず可し。
此に於て一大人(たいじん)有り。将に曰わんとす。
「人各々能有りて器使(きし)すべし。
彼をして
こつこつとして考索せしめて、而して我れ取りて以て
之を用いば、我は力を労せずして、而も彼も亦其の能を(いた)して便なり」と。
試に思え、大人をして己れを視て以て器使()輩中(ぱいちゅう)の物と為さしむ。
能く忸怩(じくじ)たる無からんや。
 

岫雲斎
凡そ人々が学問をするに当り、大所高所に眼をつければ、大人物になれ、細かい所に眼をつければ小人物となる。現今の読書人は、字句の考証や、些細なつまらぬ事をして己の為すべき事をなしたように考えている。これでは一生の事業はここに止まってしまう、嘆かわしいことである。ここに一人の大人物がいて、後者の如き人に対して言う「人には各々特有の才能があるから、道具や器械に特殊用途があるように、人にもその才能に応じて使う事が可能である。その人をして、懸命に得意なことを考究させ、その結果を自分が利用できたならば自分は骨折りすることなく、然もその人も持てる才能を存分に発揮できる。こうしたならば、双方ともに便利ではないか」と。考えてみるがいい、他の大人物から自分のことを一種の器械として使用すべき仲間の一人とされるとしたら、学問をする者として誠に恥ずかしいことと心中に思わないでおられようか、おられないではないか。
 

27日 65.

清儒(しんじゅ)の著書を読む場合の注意
(しん)(しょ)考拠(こうきょ)の学盛に行わる。其の間唯だ()二曲(じきょく)(?(ぎょう))黄黎州(こうりしゅう)(宗義(しゅうぎ))湯潜菴(とうせんあん)((ひん))澎南?(ぼうなんきん)(定求(ていきゅう))澎樹廬(ほうじゅろ)()(ぼう))の諸輩、並に此の学に於て見る有りと為す。要するに時好(じこう)と異なり。学者其の書読て、以て之を取舎(しゅしゃ)するを妨けず。 

岫雲斎
清朝の初め頃、考証学が盛んに行われた。
その内、李二曲、黄宗義、湯潜菴(とうせんあん)澎南?(ぼうなんきん)
澎樹廬(ほうじゅろ)らの人々の著書学問には見るべきものがある。
要するに彼らは時代の好みに対し、殊更に反対しているような傾向がある。
だから学問をする者はこれらの書を読み取捨選択しなければいけないのである。

26日 64.
宋儒礼賛
漢儒(かんじゅ)(くん)()の伝は、(そう)(けん)心学(しんがく)の伝と、地頭(ちどう)同じからず。(いわん)や、清人考拠(しんじんこうきょ)の一派に於てをや。真に是れ漢儒輿()たいなり。(これ)宋賢と為す所にくらぶるに夐焉(けいえん)として同じからず。我が党は()れの?()(きゅう)()つる()くば可なり。 

岫雲斎
漢代の学者が経書の字句の読み方や解釈に没頭していた事と、宋代の賢人たちが心学で聖人の学を伝えた事とでは全く畑が違い比較にならない。まして、清代の考証学派に至っては真に漢儒の卑しい召使のようなものである。
これを宋代の賢人たちの為した所と比較すると雲泥の違いがある。
我が党の学人は清朝考証学者の穴の中に落ち込むことが無ければ宜しい。
 

25日 63.
心理は(たて)、博覧は横
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫、竪の工夫は則ち深入(しんにゅう)自得(じとく)し、横の工夫は則ち(せん)()氾濫(はんらん)す。 

岫雲斎
内面的に心の本性を探求するのは竪の工夫であり外面的に博く書物を学び行くのは横の工夫である。
竪の工夫は、深く入り自得するに至る。横の工夫は浅くて真に自分のものとならずこぼれ出てしまう。
 

24日 62.
今の学者は博と通を失う
今の学者は(あい)に失わずして、博を失い、(ろう)に失わずして、通に失う。 

岫雲斎
今の学者は学問の狭い為に失敗するのではなく博い為に失敗している。また学問が偏っているので失敗するのではなく何事にも通じているので失敗するのだ。(博と通が上すべりで学問の浅薄を指摘。)
 

23日 61
.(せい)()入神(にゅうしん)と利用安身

義を(くわ)しくして、(しん)に入るは、(すい)(火打石)もて火を取るごときなり。用を利して、身に安んずるは、剣の室に在るごときなり。 

岫雲斎
精しく道理を研究し、神妙なる奥義に至るのは火打石から火を取り明かりをつけるようなものだ。日常の仕事を有利に処理し、身を安泰にする事は護身用の剣を部屋におくようなものである。これ等はいつでも活用でき、これ程安全なものはない。

22日 60.

学は一生の大事
(しょう)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
 老いて学べば、則ち死して朽ちず。 

岫雲斎
少年時代に学んでおけば、壮年になりそれが役に立ち何か為すことが出来る。壮年時代に学んでおけば、老年になり気力の衰えもない。老年になって学べば見識も高くなり寿(いのちなが)しであろう。

21日 59
疑は覚悟の機
余は年少の時、学に於て多くの疑有り。
中年に至るも亦然り。
一疑(いちぎ)起る(ごと)に、見解少しく変ず。即ち学の梢々(やや)進むを覚えぬ。
近年に至るに及びては、則ち絶えて疑念無し。又学も進まざるを覚えぬ。(すなわ)ち始めて信ず。
白紗(はくしゃ)の云わゆる疑は覚悟の機なり」と。
()の道は窮り無く、学も亦窮り無し。今老いたりと雖も、自ら励まざる可けんや。
   

岫雲斎
自分は、若年の頃、学問上多くの疑問点があった。中年になっても同様であった。一つの疑問点が起きるたびに、物の見方が少し変化した。即ち学問が少し進歩したのを自覚した。処が近年(70才か)少し疑う心が無くなり、また学問も進歩前進の自覚が無くなった。そこで初めて、昔、白紗先生(
明の陳献章、性命学)の言われた「物を疑うと言う事は悟りを得る機会である」と言うことを信じるものだ。聖人の道は無窮であり、学問も無窮である。自分は高齢となったけれども、益々励まなくてはならぬと思う。

20日 58.
孔子の弟子は皆、実践的
(がん)(えん)(ちゅう)(きゅう)は「請う()の語を事とせん」と。()(ちょう)は「(これ)を紳に書す」。子路は「終身之を(じゅ)す」。孔門に在りては、往々にして一二の要語を服膺(ふくよう)すること是くの如き有り。親切なりと謂う可し。後人(こうじん)の標目の類と同じからず。 

岫雲斎
(がん)(えん)(ちゅう)(きゅう)は、「孔子に教えられた言葉を実行する」と言い、子張は「紳(大帯の垂れた飾り)に書きつけて忘れないようにします」と言い、子路は「一生涯これを暗誦致します」と言った。孔子の弟子達は、このように一つ二つ大切な言葉を胸に記憶して片時も忘れないように努めた」これらは皆、誠に情が厚く丁寧であった。

19日 57.
佐藤一斎の学風

古人は各々得力(とくりき)の処有り。挙げて以て指示す。可なり。但だ其の入路各々異なり。後人(こうじん)透会(とうかい)して之を得る能わず。(すなわ)ち受くる所に偏して、一を執りて以て宗旨と為し、終に流弊(りゅうへい)を生ずるに至る。余は則ち透会して一と為し、名目を立てざらんと欲す。蓋し其の名目を立てざるは、即便(すなわ)ち我が宗旨なり。人或は議して曰く「是くの如くんば、則ち(かじ)無きの舟の如し、泊処(はくしょ)を知らず」と。余謂う「心即ち柁なり。其の力を()くる処は、各人の自得に在り。必ずしも同じからざるなり」と。蓋し一を執りて百を廃するは、(かえ)って泊処を得ず。  

岫雲斎
古人が夫々自得したものを世間に公開することは宜しきことなり。ただそれら古人が自得した路が夫々異なりそれを見通して会得することが不能である。そこで各自が得た処に偏って立徳の本旨とするから色々と弊害が生まれた。自分はこれを見通して一個の宗旨を守ったり、或は一個の名目を立てたりしないようにと思う。この名目を立てない所が自分の本筋である。人は非難して「それは舵のない船で行き着く所が不明ではないか」と言う。自分はそれに答えて「我が心が舵である。その力のつけどころは各人が自ら得る所にあり必ずしも同一の鋳型にはめ込む必要はない」と答える。一つの宗旨に執着し他の百方を廃止したならば却って船の停泊所を得られない。

18日 56.
自得は己れに在り
自得は畢竟己れに在り。故に能く古人自得の処を取り之を(よう)()す。
今人(こんじん)には自得無し。

故に鎔化も亦能わず。
 

岫雲斎
学徳を修める場合、自ら得る処があるのは、つまり自己努力に在る。だから自得の出来た人は更によく古人の人々の自得したものを持って来てこれを溶かして我が物にする。処が今の人々は自得が欠けているから古人の自得したものを溶かして自分のもとのする事が不能である。 

17日 55.
人の言は虚心に聴くべし
独特の(けん)(わたくし)に似たり。人其の(にわか)に至るを驚く。平凡の議は(おおやけ)に似たり。世其の()れ聞くに安んず。凡そ人の言を聴くには、宜しく(きょ)(かい)にして之を(むか)うべし。(いやし)くも()れ聞くに安んずる()くは可なり。 

岫雲斎
 独特の見解というものは偏見に見える。その為、人々は過去に聞いた事のないものを突然聴き驚く。反対に、平凡な議論は恰も公論のように受け取られる。世間の人々は聞き慣れて安心があるからだ。全て、人の言は虚心坦懐に、即ち心を空っぽにして受け入れるがいい。耳慣れた話ばかりを良しとしてこれに安んじないことがポイントである。

16日 54           
宇宙間のものは皆、一隆一替
宇宙間には一気斡旋す。
先を開く者は、必ず後を結ぶ有り。
久しきを持する者は、必ず転化有り。抑うる者は必ず(あが)り、滞る者は必ず通ず。(いち)隆一(りゅういっ)(たい)、必ず相倚(あいい)(ふく)す。(あたか)も是れ一篇の好文辞(こうぶんじ)なり。
 

岫雲斎
宇宙間には、一つの気が廻り回っている。その気の動きを観察すると、先に開いた者は後に結ばれて良い結果を得る。長くその気を持ち続けている者には必ず変化が現れ。抑えつけれぱ必ず揚がる。停滞すれば必ず通ずるといったものである。このように宇宙間の気は、盛んになったり衰えたりと起伏は常にあるものだ。これは恰も一篇の好文章のようなものである。
 

15日 53.          

王陽明他二子の著書寸評
王文成の抜本(ばっぽん)塞源論(そくげんろん)尊経閣記(そんけいかくき)は、古今独歩と謂う()し。陳龍川の(しゃく)古論(ころん)、方正学の深慮論は、世を隔てて相頡頏(あいきっこう)す。並に有識の文と為す。 

岫雲斎
王陽明の「抜本論」と「尊径閣記」古今独歩のといわれる。陳龍川の「酌古論」、方孝儒の「深慮論」や方孝儒は、陽明とは時代は隔たっているが、優に匹敵する名文である。何れも見識に富んでいる。

14日 52.
文章に就いて その二
(ぶん)()は以て其の人と為りを見る可し。(いわん)()た後に(りゅう)(たい)するをや。宜しく修辞立誠を以て瞠目と為すべし。 

岫雲斎
文章はそれによりその人物の人柄を見ることができるものである。まして後世までにも残るものだから充分に文字の使い方を練り誠心を表すことを眼目としなければならぬ。

13日 51.

文章に就いて その一

文は能く意を達し、詩は能く志を言う。此くの如きのみ。綺語麗辞(きごれいじ)、之を(ねい)(こう)に比す。吾が(そう)(いさぎよ)しとせざる所なり。 

岫雲斎
文章は言わんとする所がよく達しておればよい。詩は心の向うものを言い表せば十分。綺麗な言葉や文句を並べるのは口先だけうまいことを申すようなもので我々の気持ち良しとしない。

12日 50.
詩歌文章を作るは芸なり

文詞筆翰(ぶんしひつかん)は芸なり。善く之を用うれば、則ち心学に於て亦益有り。或は志を溺らすを以て之を病むは、是れ(えつ)に因りてて食を廃するなり。 

岫雲斎
詩歌文章を作るのは一つの芸である。これを善用すれば精神修養の学問としても益がある。だが溺れると志を喪失するからと気を病むのは、(むせ)ぶのが嫌だと申して食事をとらないようなものだ。

11日 49書を著すに就いて 著書は只だ自ら()(えつ)するを要し、初めより人に示すの念有るを要せず。 

岫雲斎
自著というものは、ただ自分が心の喜び(()(えつ))を感ずれば良いものである。当初から人に見せるような気持ちではいけない。

10日 48朱子の業績 朱子は春秋伝を作らずして、()(がん)綱目(こうもく)を作り、載記(たいき)を註せずして、儀礼(ぎれい)(けい)伝通解(でんつうかい)を網みしは、一大見識と謂う可し。啓蒙は欠く可からず。小学も亦好撰(こうせん)なり。但だ楚辞註(そじちゅう)(かん)(ぶん)(こう)()は有る可く無かる可きの間に在り。(いん)()、参同に至りては、則ち(ひそか)驚訝(きょうが)す、何を以て此の氾濫の筆を弄するかと。 

岫雲斎

朱子は「春秋」の伝を作らないで「()(がん)綱目(こうもく)」を作り、「載記(たいき)」に註を施すことなく、「儀礼(ぎれい)(けい)伝通解(でんつうかい)」を編集した。
これは大見識である。
「易学啓蒙」は必要欠くべからざるもの。
また朱子の「小学」も立派な著作である。
 

9日 47. 
易経・書経・論語は最も大切
経書は講明せざる可からず。中に就き易、書、魯論を以て最緊要と為す。 

岫雲斎
儒教の経典は立徳の大元であるからこれを講義して明らかにしなくてはならぬ。中でも「易経」、「書経」、「論語」が最も大切である。

8日 46.        
講書と作文について
講書と作文とは同じからず。作文は只だ習語を翻して漢語と做すを要す。講書は則ち漢語を翻して以て習語と做すをば、教授に於て第一緊要の事と為す。視て容易と為す可からず。

岫雲斎
書物を講義するのと文を作るのは同一なことではない。文を作るはただ日常語を漢語に直す事が必要。書物を講義するには漢語を翻訳して日常語にすることが教授する場合には第一に必要。ちよっと視ただけで何でもない仕事だと軽んじてはならぬ。深遠なものがあるのだ。

7日 45.          
三経の考察
易は是れ性の字の註脚。詩は是れ情の字の註脚。書は是れ心の字の註脚なり。 

岫雲斎
「易経」は天の命、性とあるは天より受けた人間の本性の注釈である。「詩経」は邪悪なしという情緒を詠んだものであり情の注釈である。「書経」は我々の心理を推究したもので、心の注釈である。

6日 44          
四書講説の心得
論語を講ずるは、是れ慈父の子を教うる意思、孟子を講ずるは、是れ(はく)(けい)の季を(おし)うる意思、大学を講ずるは、(あみ)(つな)に在る如く、中庸を講ずるは、雲の(しゅう)()ずるが如し。 

岫雲斎
「論語」を講義するには、慈愛ある父親が、子供に諄々と教える気持ち。「孟子」を講ずるには、兄が末弟に親しみを込めて教える心構え。「大学」は、条理整然と、恰も網を一本の綱で引き締めるような心持ち。「中庸」は、虚心坦懐に、雲が山の洞穴から出るような自然な心構えが望ましい。

5日 43
講説の心得 
その二
講説は其の人に在りて、(こう)(べん)に在らず。「君子は義に(さと)り、小人は利に喩る」が如き、常人此れを説けば、(しゃく)(ろう)味無きも、象山此れを説けば、則ち聴者をして()(かん)せしむ。()易事(いじ)と為すこと勿れ。 

岫雲斎
講義は講ずる人の人物如何による。決して口先に在るものではない。論語「君子は義に(さと)り、小人は利に(さと)る」とある、普通の人間が講義すれば蝋を噛むような味わいとなろう。陸象山の講義は、流石に人格者だけにあって聴く者をしてみな自らを反省させ背中に汗を流させたという。講義と言うものは決して生易しいものではないと考えておかねばならない。 

4日 42. 
講説の心得
その一
講説の時、只だ口の言う所は我が耳に入り、耳の聞く所は再び心に返り、以て自警と為さんことを要す。
吾が講(すで)に我に益有らば、必ずしも聴く者の如何を問わじ。
 

岫雲斎
門人たちに講義する時、自分の口から出る言葉が自分の耳に入り、耳に入った事が再び心に戻って来て、それを自分の警めとする事が大切である。自分の講義が自分の修養上の利益になるならば、必ずしも聴講者が如何に感じるかなど問題にしはない。

3日 41.
動静二面の修養
余の義理を沈思(ちんし)する時は、胸中(ねい)(せい)にして気体収斂(しゅうれん)するを覚え、経書を講説する時は胸中(せい)(かい)にして気体流動するを覚ゆ。 

岫雲斎
自分は義と理に関して沈思する時は胸中安らかで、心も体も引き締まる思いがする。また門人へ経書の講義をする時は、胸がすっきりして元気の精が身体を流れているように感じられる。
 

2日 40.

昔の儒者と今の儒者
古の儒は立徳の師なり。
「師厳にして道尊し」。今の儒は立言のみ。
言、徳に()らず。(つい)に是れ影響のみ、何の厳か之れ有らん。

自ら(かえりみ)みざる()けんや。
 

岫雲斎
昔の儒者は自ら道徳を確立していて人を教い世を導く存在でもあった。正に「師は厳格であり、その説く道理は尊いものであった」。だが、昨今の儒者は言葉だけであり、その言葉も徳に依るものでない。所詮、本物の影か響きを示すだけであるから厳格な所は無い。他人事ではない自分も反省しなくてはならぬ。 

1日

39

.()(こう)(さい)
(かん)(せん)余姚(よよう)

「随処に天理を体認す」と。
呉康斉此の言有り。

而して甘泉以て宗旨と為し、余姚の良知を致すも、亦其の自得する所なり。

但だ余姚の緊切たるを覚ゆ。
 

岫雲斎
「随処に天理を体認す」は明の学者呉康斉の言葉である。同じく明の学者、湛若水は、この言葉を自己主張の本旨とした。王陽明の「良知を致す」は天理に一致するものとし、これを明らかにするには人欲を棄却しなければならない。この工夫も自得行為である。ただ、陽明の言葉の方が自己に緊要切実に感じる。