「人つくり本義」その四 安岡正篤 講述 「人つくり本義」索引
人づくり入門 小学の読み直し
三樹 一年の計は穀を樹うるに如くはなし。
平成22年12月
1日 | 食について 正しい食べ方 |
論語に曰く、食は精を厭めず。膾は細きを厭めず。食の饐れてすえ、魚の餒れて肉の敗きは食はず。色の悪しきは食わず。臭の悪しきは食わず。にるを失へるは食わず。 |
時ならざるは食わず。割正しからざれば食わず。その醤を得ざるときは食わず。肉は多しと雖も食気に勝たしめず。唯だ酒は量無けれども乱に及ばず。食ひし酒、市ひし脯は食わず。薑を撤せずして食う。多沽せずと。 |
2日 |
論語に孔子はこういうことを言っている。飯は余り精白にせず、六分か七分搗きにし、膾も余り細かく刻まない。 |
飯のむれて酸っぱくなったのや、魚の肉の古くなったもの、色の悪いもの、臭いの悪いもの、煮方の失敗したものは食わない。 |
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3日 |
「時ならざるは食わず」、時季時季のものを食べる。近頃は、四季だけでなく、緯度・軽度まで無視して、 |
いつでも何処でも色々なものが食べられますが、これは生理的にも病理的にも好くないそうであります。 |
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4日 |
「割正しからざれば食わず」、包丁の入れ方の悪いのは気持ちの悪いものです。醤-例えばワサビ。ワサビの無い時は、魚の刺し身を食わない。 |
ワサビは魚肉の毒除けであります。いくら肉が沢山あろうとも、食欲を考えて食べ過ぎるようなことはしない。 |
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5日 | 孔子の食生活法 |
酒は、幾ら飲んでもよいが、乱酔には及ばない。これを或る漢学者が「酒は量るなかれ。及ばずんば乱す」と読んだという笑話があります。 |
また、買ってきた酒、買って来た乾し肉は食わない。はじかみを失くさずに食い、多食するようなことはしない。一々もっともな孔子の食生活法であります。 |
6日 | 菜根の法 |
汪信民嘗に言う。人常に菜根を咬み得ば則ち百事做すべしと。胡康候之を聞き、節を撃ちて嘆賞せり。 |
汪氏は程明道、程伊川と時代を同しせうした学者。哲人の一人であります。 菜っ葉や大根をかんで、貧乏生活に甘んじておることが出来るならば、何事でも為すことが出来る。胡康候という学者がこれを聞いて拍子を打って感心したという。人間は欲を出すから何も出来なくなる。 |
7日 |
修養すれば直ぐ態度に現われる |
劉公賓客を見て譚論時を踰ゆるも、体欹側する無く、肩背竦直にして身少しも動かず。手足に至るも亦移らず。 |
劉公とは劉安世のことで、司馬温公の弟子であります。至誠というものに目をつけたような人で、宋名臣言行録を読んでも、実に感激措く能はざるものがあります。その劉公は何時間坐って話をしておっても身動き一つしなかったという。なかなか出来ることではありません。 |
8日 | 鍛えられた人 |
西園寺公もそういう人で、第一次大戦の講和会議に代表をして行かれた時には、各国の新聞記者がマーブル・スタチュー(大理石の塑像)と云って感心したということであります。尤も大理石の塑像という言葉には、 |
何も発言しないからという皮肉もあったようでありますが、兎に角ぴたりと腰をかければ最後まで身動き一つしなかったと言う。 鍛えられた人というものは、どこかに違うところがあるものであります。 |
9日 |
管寧、嘗に一木榻上に坐す。積って五十余年、未だ嘗て箕股せず。其の榻上膝に当る処皆穿てり。 |
管寧は三国志に出てくる人物で掛値なく哲人と言うことの出来る至高至純の人であります。いつも木の椅子に坐って五十余年間というもの一度もあぐらをかいた事がなかった。その為に膝の当る所が引っ込んでおったという。徹底して坐った人であります。 |
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10日 |
明道先生、終日端坐して泥塑の如し。 |
人に接するに及んでは則ち渾て是れ一団の和気。 |
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11日 | 人に接するに及んでは |
程明道先生は終日端坐して、丁度泥で作った彫刻のようであった。そうして、「人に接するに及んでは、則ち渾て是れ一団の和気」、あたりが和やかな気分に包まれてしまう。 |
誠に春風駘蕩たる人であります。これに反して弟の伊川の方は秋霜烈日と言ったタイプの人で、兄弟いいコントラストをなしておったわけであります。 |
12日 | 顔色を正して |
曾子曰く君子、道に貴ぶ所の者三あり。容貌を動かしては斯ち暴慢を遠ざかり |
顔色を正しては斯ち信に近づく。辞気を出しては斯ち鄙倍を遠ざかる。 |
13日 | 聖賢の教えは自己の本心を掴むにある |
曾子が言うには、君子が道に於いて貴ぶものが三つあると。 その三つとは、容貌態度から暴慢を去ること。暴慢とは洗練を欠くわけであります。「顔色を正して斯ち信に近づく」。 |
顔色というものは、誠の表現にならなければならない。 人間の精神状態は汗にも、血液にも、呼吸にも直ぐ反応するもので、従って顔面にも悉く現われる。 |
14日 | 顔面皮膚 |
前にも度々お話しましたように、ベルリンの医科大学の皮膚科で東洋人の人相の書物を求めておると言うので、調べた処、顔面皮膚は体のどの部分よりも鋭敏で、体内のあ |
らゆる機能が集中しておる。従って、体内の状態が悉く顔面に現われる。それが東洋の人相の書物に総て出ておるというので、これを集めておるんだという。 |
15日 | 総てが顔色に現れる |
総てが顔色に現れる。これを逆に顔色を正しくして信に近づくわけであります。だから顔色を動かしたりしておっては信に近づくことが出来ない。出来ておらぬ証拠であります。 |
人間の精神というものは、それが低い場合には何かに衝突する。そうした場合には直ぐ言葉遣いやムードに出てくる。倍は「そむく」意です。これが辞気というもので、従ってその辞気が卑しくないように矛盾のないように心掛ける。これも大事な自己鍛錬であります。(鄙倍=心が卑しく道理に背く) |
16日 |
仲由、過を聞くことを喜び、令名窮まり無し。 |
今人過ち有るも人の規すを喜ばず。疾を護って医を忌むが如し。寧ろ其の身を滅すも而も悟ること無きなり。噫。 |
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17日 | 人生は習慣の織物 |
どうも人間というものは過をきくことは喜ばぬもので、これはいつの時代でも同じであります。これでは病気を守って医者を拒否するのと同じことでその過で身を滅ぼしても悟ることが出来ない。 |
人生は習慣の織物である。と有名なアミュエルもその日記に申しておりますが、過を指摘された場合には、これを素直にきく習慣をつけることが大事であります。 |
18日 |
孫思ばく曰く、胆は大ならんことを欲し、而て心は小ならんことを欲す。 |
智は円ならんことを欲し、而て行は方ならんことを欲す。 |
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19日 |
これは唐初の隠逸伝にあるのを慎思録に引用した一文であります。本文は明代に出来た清言という種類の著述にも |
随分引用されております。清言というのは、竹林の七賢などによって代表される現実を無視した自由な言論を事とかる。 |
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20日 |
所謂清談とは趣きを異にし明代の知識・教養の高い人々がその頃になって渾然と融合されて来た儒・仏・道の三教に自由に出入して、それぞれ自 |
分の好みから会心の文句や文章を拾い出し、それに自分の考えをつけた読書録のことで、今日の所謂○○ノートと言った種類のものであります。 |
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21日 | 菜根譚 |
日本で有名なものでは菜根譚・酔古堂剣掃その他、蝋談とか寒松堂庸言とか沢山あります。 |
例えば、この文章の後には「志は雄にして、情は細なり。見高くして、言平なり」と言うようなことを付け加えております。 |
22日 | 胆は大ならんことを欲し、而て心は小ならんことを欲す |
さて、「胆は大ならんことを欲し、而て心は小ならんことを欲す」こう言う場合の胆は胆嚢・肝臓であり、心は心臓であります。肝・胆・心臓が人間の心理に独特の影響・交渉を持つことは今日の生理学が解明しておりますが、胆嚢・肝臓は実行力に影響する。だから、 |
胆は大ならんことを要するとは、大きな実行力を持たねばならぬということであります。従って、実践力の伴う見識のこと胆識と言う。処が実行するには極めて綿密な観察をする必要がある。そういう知力が心という心臓であります。胆・心両方が相ともなって初めて危気なく実行できる。 |
23日 | 智は円ならんことを欲し、而て行は方ならんことを欲す |
同様に、「智は円ならんことを欲し、而て行は方ならんことを欲す」、智(知)の本質は物を分別し認識し推理してゆくにある。 |
だから物分りと言う。 然し分かつという働きが段々と抹消化してゆくと、生命の本源から遠ざかる。 |
24日 | 本当の智 |
本当の智というものは、物を分別すると同時に、物を総合・統一してゆかねばならない。末梢化すれば常に根本に還らなければならない。 |
これが円であります。仏教では、大円鏡智ということを説きますが、分別智は同時に円通でなければならない。 |
25日 |
「而て行は方ならんことを欲す」、方は東西南北の方で、方角であります。行うということは、現実に実践するということでありますから、必ず対象というものを生ずる。相対的になる。これが方であります。 |
また相対的関係を正しく処理するという意味でただしと読むのであります。行はどうしても相対的地位に立つから、その相対的関係を正しくしなければならない。これが方であります。正しく処理された場合にこれを義と言い、方義・義方と言うのであります。 |
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26日 |
然し世の中というものは往々にして智は円なり害ね、方は方なり害ねて無方になりがちであります。 |
なんとござるかしかと存ぜず」というのがありますが、幕府の支配階級はその為に亡んだのであります。今日の知識階級などというものにもこういう連中が多い。行は方ならんことを欲する。筋道を立てるということはなかなか難しいことであります。 |
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27日 |
茫文生公、少うして大節有り。其の富貴・貧賤・毀誉・歓戚に於て一も其の心を動かさず。而て慨然天下に志有り。嘗て自ら誦して曰く、「士は当に天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむべきなり」と。 |
其の上に事へ、人を遇するに、一以て自ら信にし、利害を択んで趨捨を為さず。其の為す所有れば、必ず其の方を尽して曰く、之を為す我による者は当に是の如くすべし。 其の成ると否と我に在らざるある者は、聖賢と雖も必する能はず。 吾豈荀にせんやと。 |
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28日 | 先憂後楽が政治の根本 |
茫文生公はその名を仲庵と言い北宋時代に於ける名大臣・名将軍として行くとして可 |
ならざるなき人物であったばかりでなく、人間としても実に立派な人で、「天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ」の名言は彼の岳陽楼記の中の一節であります。 |
29日 |
さて本文は、茫文生公は若くして大いなる節義があった。 |
従って富貴とか貧賤とか、毀誉とか歓戚とかいうようなことには少しも心を動かすようなことはなかった。そうして慨然天下に志を持っていたのである。 |
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30日 |
かって自ら誦して言う士というものは天下万民の憂に先んじて憂い、天下万民の楽に後れて楽しむべきであると。その上ら仕え、人を遇するを見 |
るに、ひたすら自らを信にし、利害を計ってついたり捨てられたりするようなことはなかった。為す所あれば、必ず方義を尽してこれにあたった。 |
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31日 |
そうして言うには、「之を為す我による者は」、自分が自律的 |
これは如何なる聖賢と雖も必することの出来るものではないのであるから、どうしてかりそめにやってよいものであろうか。ただ人事を尽して天命を待つ外はないのであると。 |