吾、終に得たり 7.  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。平成25年6月1日

平成25年12月

1日 176句

一つの(のり)といえども これをまもらず 妄語(いつわり)を口にし 後の世を 信ぜざるもの かかる人を 罪として 犯さざるなし

唯一守るべき法を破り、虚偽を語り来世の存在をなおざりにする人は大きな罪を犯している。

2日 177句

めぐみの心なくば (かみ)の世界に()かず おろかなる者は 施与(めぐみ)をたたえず されど 智者は 施与(めぐみ)を見て うちよろこぶ これによりて彼は 後の世にも安楽なり

慈悲の心のな者は神の世界に入ることはできない。愚か者は布施をよく言わない。賢い人が布施を心から喜ぶ。そのような人は後生が良い。

3日 178句

この大地(くに)を 一つの手にて治めんよりは またよし天に生まれて すべてを(つかさど)らんよりは さらにすぐれたるは 聖者(ひじり)初果(さかい)に 達することなり

地上の王よりも、幸福な天の世界に至るものよりも、さらに又ありとあらゆる世界の帝王となるよりも、精神生活の第一歩に至る方がましである。

4日

第十四品

仏陀(さとれるもの)

179句

さとれる人は すべてに勝ち ふたたび(ひと)に敗らるるなし この世 誰か 彼の勝利(かち)に及ばん 彼の心境(ここち)ひろくして(はて)なし 彼には足跡もなければ いかなる(すべ)によりてか その人をまよわしえん

全てに勝ったものは再び負けることはない。その勝利の中にこの世の誰も入れない。思想生活は果てしなく、足跡もない仏陀、誰も迷わしえない。

5日 180句

さとれる人に 虚偽(いつわり)(そこな)いを(かも)す 愛欲はなし 彼の心境(ここち)は ひろくして(はて)なし 彼には足跡もなければ いかなる(すべ)によりてか 彼をまよわしえん

悟った人は、偽りと害を与える愛欲はない。その心は広大、そして足跡もなくどのような方法でも彼を迷わすことはできない。

6日 181句

(おもい)ただしき正覚者(ほとけ)を 神々さええらやむなり 彼らのこころは 禅思(しずけき)にひそみ (つよ)く 世間出離(しゅつり)の 静寂(しずけさく)をたのしむなり

思索と瞑想に耽り、世俗から超越して静かな生活を楽しむ賢者、神々さえこのような思想深き完全な仏陀をうらやむ。

7日 182句

人の生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるはありがたし 正法(みのり)を 耳にするはかたく 諸仏(みほとけ)の 世に出づるも ありがたし

人間に生まれるのは難い。死ぬべき者が地上に生きていることも難い。優れた真理を耳にするのも難い。仏陀がこの世に現れたのも難いことだ。

8日 183句

ありとある 悪を()さず ありとある 善きことは 身をもって行い おのれのこころを きよめんこそ 諸仏(ほとけ)のみ教えなり

あらゆる悪事を犯すことなく、出来る限りの善事を行い自分の精神を清らかにすることが諸々の仏の教えである。

9日 184句

忍辱(しのぶ)こそ最上の(ぎょう) くるしさをたえ忍ぶこそ この上もなき涅槃(ねはん)なり」 諸仏はかく言いたまえり まこと 出家して 人をそこなうものなく 沙門(みちのひと)にして 他を悩ますことなし

「忍耐こそ最上の苦行であり、忍従こそこよなき精神的自由に達する」と諸々の仏は言われる。だから出家は他を害うものではなく修行者は他人を謗り悩まさない。

10日 185句

(そし)らず (そこな)わず (いましめ)におのれをまもり (かて)において(ほど)を知り (しず)かなる所に坐して しかも易きに住せざれ」と、 かく 諸仏(ほとけ)(おし)えたもう

謗ったり罵ったりせず、人を傷つけないで閑かに座禅し清らかに戒律を守り慎む。食べる量も適切であることは仏様の教えである。

11日 186句

金貨(こがね)の雨を浴びるとも 諸欲には飽くることなし されば 少分(わずか)なりとも 諸欲を味わうは くるしむなりと 賢者(かしこきひと)は知れるなり

雨のようにお金があっても満足させることの出来ないものは人間の飽くことのない欲望。僅かの欲望を味わってもそれは苦いものだと知る者が賢者なのである。

12日 187句

(かみ)(たの)(しみ)にも 心よろこばず 愛欲(たのしみ)の 滅尽(はて)にこそ 心よろこぶもの かかる賢者こそ これ(しよう)(とう)なる 覚者(ほとけ)の弟子なり

天上の許された楽しみさえ満足を起さない目覚めた仏陀の弟子たちこそ正統なる仏陀の弟子である。

13日 188句

世の衆生(ひと)は いわれなき 恐怖(おそれ)にかられて もろもろの 山に(ざつ)(ばやし)に 園に さては 樹に ()()帰依(よりどころ)を 求めんとしするなり

怖れおののいた人々は山々や森に、園や樹に土憤にかかる数々のものの保護を求める。しかしそれは決して安らかな保護ではないし最高の保護でもないしそれ以上のものでもない。こんな保護を求めたとて全ての苦しみから逃れられない。

14日 189句

こは 安穏の よりどころにはあらず こは すぐれたる 帰依(よりどころ)にもあらず かかるところに 帰依(きえ)するとも すべてのくるしみを のがるることなし

この世は安穏できる場所ではない。帰依するところでもない。この世では全ての苦しみから脱却できない。

15日 190句

さとれるものと 真理(まこと)(のり)と 和合(ひじり)の集まりに 帰依するものは 正しき智慧もて 四つの聖人なる 真理(まこと)を見るなり

聖人の説かれた真理の四つの法に智慧ある真理即ち四諦である。

16日 191句

くるしみと くるしみの おい立ちと 離脱と くるしみの 滅尽(はて)に導く 八つの(しょう)(どう)

四つの尊い真理とは、人生の苦しみ、その苦しみが何により起ったか、次にこの苦しみからの離脱、次に苦を滅尽させる八つの尊い教えであ。。

17日 192句

これぞ 安穏の()りどころ これぞ 無上の依りどころ ここに 帰依(きえ)するものこそ すべてのくるしみを のがるべし

仏法僧に帰依することこそ、まことに安全な帰依、無上の帰依なり。この帰依はまこと安全なもので無上の帰依である。

18日 193句

人のうちの尊者(とうときもの)たる 覚者(ほとけ)はありがたし この人はいずこにも 生るることなし かかる賢者を生みたる その(やから)は 幸福(さいわい)にして栄えん

尊い人は得がたく、どこにでも生まれるものではない。こうした賢者が生まれた民族には幸福がいよいよ増すことであろう。

19日 194句

諸仏のあらわれ給うは たのし 正法(みのり)をとくも たのし ()(じり)のこころ一つなるも たのし 和合(こころかなう)(もの)の道にいそしむも また たのし

仏陀の出現は有り難い、勝れた教えを説き明かすのも有り難い。僧侶たちの和合、またその修行も幸せなことである。

20日 195句

すでにたわむれの 論議(あらそい)をこえたる 憂いと 苦しみを 渡り越せる 仏陀(さとれるもの)とその弟子と かかる供養の あたえたるものにこそ 供養すべきなり

全ての迷いの源を克服し、苦悩を越え供養すべき価値ある仏陀と弟子を供養するべきである。

21日 196句

かくのごとく 安穏(やすらか)にして 畏れなき人を供養せんに いかなる人ありとも この 功徳(さいわい)(かさ)を 計る能わじ

このように精神的自由と安定を持つ者の功徳は誰もこれを数えられないくらいだ。

22日

第十五品

安寧(やすけさ)

197

悩みをいだく人々の中に たのしく 怨みなく 住まんかな 怨みごころの人々の中に つゆ怨みなく 住まんかな

怨みのある世間で怨みなく我々は生活する。怨みの中でも憎しみの心なく吾らは住まっている。

23日 198句

心にいたみをもつ人々の中に たのしく 心いたみなく 住まんかな 心いたみ 嘆く人々の中に つゆ心いたみなく 住まんかな

心病む人の中に吾は心痛むことなく幸せに暮らす。少しも心いむこくなく幸せに住む。

24日 199句

むさぼり深き人々の中に むさぼり心なく げにこころたのしく 住まんかな むさぼりになやむ 人々の中に つゆむさぼりなく 住まんかな

むさぼる心の多い人の中にあって吾はむさぼる心なく幸せである。あくことを知らぬ人々の中で吾らはむさぼらないで生活する。

25日 200句

所有(わがもの)というものなくとも われら こころたのしく 住まんかな 光音とよぶ天人のごとく 喜悦(よろこび)を 食物(かて)とするものと ならんかな

何者も所有せざる吾らは誠に幸せに暮らす、輝きの神のように喜びを食べ物とする。

26日 201句

勝つ者 怨みを招かん (ひと)に敗れたる者 くるしみにて臥す されど 勝敗の二つを棄てて こころ寂静(しずか)なる人は 起居(おきふし)ともに さいわいなり

勝った者は怨みを招く、負けた者は苦しんで臥す。勝敗の二つを離脱した人は静寂で幸せである。

27日 202句

貪欲(むさぼり)よりはげしき 火はなく いかりにまさる 不吉の骰子(きい)もなし このかりそめの身に たぐうべき くるしきものなく 寂静(じゃくじょう)にまさる たのしみはなからん

むさぼりより燃え盛る火はない。怒りのような悪いさいはない。肉体ほど悩ましいものもない。精神の安寧に勝る楽しみはない。

28日 203句

飢は上なきの病 この身には 最上のくるしみあり このことわりを あるがままに知らねば そこに こよなきたのしみ 涅槃あるべし

飢えは最高の病と言える。造られたものの最高の悩みである。このことを確りと認識する事、これは最高の楽しみであり悟りであると知るべきだ。

29日 204句

無病(わずらいなき)は 上なきの(さち) 足るを知るは 上なきの(たから) 信頼(たより)こそは 上なきの親族(やから) 涅槃こそ 最上の安楽(さいわい)なり

健康は最高の利、足るを知るのは最高の財産、信頼は無上の身内、そして最高の幸せは真の精神的自由である。

30日 205区

ひとりいの味わいと こころ静める 味わいを()め 法のよろこびを 飲み味わいたるものに 恐怖(おそれ)もなく また罪もなからん

孤独と静寂の味わいを経験したものは、怖れとか罪とかを離れて真理の喜びを得る。

31日 206句

聖者(ひじり)を見ることは (さいわい)なり 聖者と共に住むは つねに幸いなり おろかなる者を 見ざる人は 心つねにたのしからん

聖者を見ることは善きこと、聖者と共に住むは常に幸いなり。愚かな者を目にしない人は常に幸福である。