平成に甦る安岡正篤先生警世の箴言」14

平成20年12月度

 1日

禅も開祖の達磨大師のころは、そういう「(ぼう)(かつ)」と言って、ひっぱたいたり、或は怒鳴りつけたりするようなことはしなかったのでありますが、それが日本に取り入れられて、「喝!」というような激語でどなりつけることが行われるようになりました。喝は宋の時代の俗語で、「ばかやろう」という程の意味であります。 白隠(はくいん)といえば日本では知らぬ人のない名禅師でずが、然し白隠も若い頃は大変な天狗で、俺くらい出来る者はおるまいと、すっかり好い気持ちになっておりました。ある時、一人の友達から「お前は信州の飯山に正受老人という偉い禅師がおられるのを知っておるか」と尋ねられました。
 2日 見性

白隠が「知らぬ」と答えると、「それじゃ是非一度正受老人のところへ行って修行して来い」とすすめられて、「なーに田舎坊主何程のことがある」と思ってのこのこと出かけて行った。そうして正受老人に会って大いに気焔をあげました。

黙って聞いておった正受老人は、白隠の言葉が終わった途端に「ばかっ!」と大喝をあびせて、「そんなものは学得底―お前が読んだり聞いたりして覚えたことで、単なる物知りにすぎんではないか。何がお前の見性―本当につかんでおることか」と詰問された。
 3日 独坐
大雄峯

白隠もさる者であれますから、冷汗を覚え、その後は天狗もおさまって、真剣に、そして謙虚に学ぶようになりました。こういう怒鳴ったり、ひっぱたいたりするやり方が特に唐時代から発達してまいりました。そういう禅に一つの宗教としての体系を与えた、言わば禅宗というものを開いた、その代表的な人が百丈和尚であります。これは知識人、インテリ等にもこたえる問題でありまして、何かと言うと現代人はイデオロギー等といって理屈をふりまわす。これは論理や概念の遊戯ですから、こんなもので人間が出来るわけがありません。

それよりも「独坐大雄峯」で、我々が今この日本にこうしておる、この会社の講座でこのように勉強しておるということは、考えようによれば奇特の事、実に不思議なことであります。そういうことがしみじみ分かるようになるのが学問というものであり、修行というものでありますから、味わえば味わうほどの意味の深いものであります。これは論語流にいえば「時習」の一つであります。そこで儒教も仏教も惟神(ゆいしん)の神道も本当のところへゆけばみな共通でありまして、学問修行の本質的な問題であります。

三、不落(ふらく)因果(いんが)不昧(ふまい)因果(いんが)無門関(むもんかん)第二則其の他

 4日 不落因果不昧因果

また「不落(ふらく)因果(いんが)不昧(ふまい)因果(いんが)」の問答も、私達にとって実に興味ある問答であります。これは「無門関(むもんかん)」という書物の中に書かれております。無門関(むもんかん)無門慧開(むもんえかい)の著書でありますが、()(かい)という人は、朱子学で名高い宋の朱熹(しゅき)朱子(しゅし)(号は(かい)(あん))と殆ど同時代の人で、憂国概世の愛国者です。ちょうどその頃宋の国は、蒙古の侵略を受けまして、揚子江を越え江南の地でかろうじて国家を支えておった非常な危機にありました。

()(かい)はその危急に臨んで、情熱を傾けて、国家・国民の指導に当った愛国の禅師であります。()(かい)禅師の「無門関(むもんかん)」は、「碧眼録(へきがんろく)」と並んで日本に大変普及しました。この無門関(むもんかん)の初めの方にも、名高い「不落(ふらく)因果(いんが)不昧(ふまい)因果(いんが)」の問答がありますが、これを学問的に紹介致しますと、それこそとても時間が足りませんので、簡単に説明いたします。
 5日 裏山に住んでるキツネ

―百丈懐海禅師が説法される席に、いつも一人の老人が居って、後の方でつつましく話を聞いておった。ある日説法が終って聴衆はみんなぞろぞろ帰っていったのに、その老人だけが一向に帰ろうとしない。和尚は以前から、これはただ者ではないと見抜いておったので、「お前は一体何者か」と尋ねた。すると老人は「実は私は人間ではなくて、この裏山に住んでるキツネでございます。

ずうっーと大昔、私は洞穴にあって修行しておりましたところが、ある日一人の雲水がやって参りまして、「大修行底人―非常な修行した人は不落因果、因果の法則に支配されないものでしょうか」と尋ねた。「――例えば、火に入れば火傷をする、水に飛び込めば溺れる。これは当然の因果関係でありますが、そういう人間の因果などに支配されない色々の奇跡がある。末世になるとよく奇跡というものがはやります。昭和の現代もそうであって、科学万能の今日ほどまた奇跡のはやる時代はないとも言えます。

 6日 不昧因果不落因果 さて、そう雲水から尋ねられた私は「勿論火に入って焼けず、水に飛び込んで溺れず、大修行をした者は、そんな因果の法則の支配などうけるものではない」と答えました。処がその答えが間違っておったのかとうとう野狐の身になってしまいました。それ以来五百年も経ましたが依然として解脱できません。そここで改めてお伺い致しますが、大修行底人は因果の法則の支配など受けないものでしょうか、受けるものでありましょうか」。 すると懐海禅師は言下に「不昧(ふまい)因果(いんが)」、因果をくらまさずと答えた。つまり、善因善果・悪因悪果、善いことをすれば必ずその原因で善い結果が得られ、悪い事をすれば悪い結果となる。非常な修行をした人ほど真の因果律を覚るもので、世俗の因果の考えなどとは全く別であるということを説いて聞かせたわけです。落と昧の一字の相違で、それが明白であります。
 7日 キツネの話

こで老人は翻然と悟り、「これで野狐の身を隠し脱してこの山に住むことができます。重ねてお願いを致しますが、この上はどうか亡僧の例にならって葬式をして下さい」と云って欣然と去った。これが問答の本筋でありまして、あとは附録でありまして、老人が去ると直ぐ禅師は、葬式をすると雲水に告げました。

雲水達は誰も死んだ者はおらぬのに何故葬式をするのかと、不思議に思った。「黙ってついてこい」と言われる禅師に従って後方の山に登ると、一匹のキツネが死んでいた。禅師はこれだと言って手厚く回向(えこう)をして葬られた。そこで雲水達も漸くその謎が解けたということであります。
 8日 因果律 人間には奇跡というものはありません。奇跡などというものは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておるのです。悪いことをしますと、いつかは悪い結果が現れ、善いことをすれば善い結果が表れる、というのは厳粛な自然の法則であります。従って人間は因果律というものを大事にしなければなりません。この問答はそのことを大変面白く説いておるわけです。私達がつくづく思いますことは、日本はどうなるかということについて日本の国民が非常な不安と懐疑に陥っていることです。戦後日本は所得倍増をかけごえに、ぐんぐん仕事をして伸びてゆきました。 すると今度は、GNPが世界第二位になった。つまり国民総生産の勘定が得意になり、いつの間にか生活の享楽、レジャー、バカンスという方面にいってしまつて、国をあげて功利主義、享楽主義、金儲け主義に徹しました。その為に後進国の人々までが我が国の悪口を言うようになって、エコノミック・アニマル、エロチック・アニマルという語が日本人の代名詞となって流行しました。これは世界の文明史、民族史から申しても、まことに恥ずべきことでありまして、この因はやがていかなる果を生むか、ということはもう言うまでもないことであります。不落因果・不昧因果というこの禅の公案は、現代の人間に通ずる、また社会にも、事業にも通ずる大原則・大教訓であります。
国家民族の盛衰
 9日
六韜三略
日本には昔から六韜(りくとう)三略(さんりゃく)という兵書が普及しております。「六韜(りくとう)」は、文韜(ぶんとう)武韜(ぶとう)龍韜(りゅうとう)虎韜(ことう)豹韜(ひょうとう)犬韜(けんとう)の六巻から成り、「三略(さんりゃく)」は、上略・中略・下略の三巻から成っておりまして これを合わせて六韜三略と云って、凡そ兵を論ずる者、武学を修める者で読まない者がないといわれ兵学
の書物であります。兵学
とは又政治学でもあります。これは今日でも同じことでありまして、ご承知のように今日の戦争も大別して武力戦と政治戦の二つに分けられますが、然し武力戦の方は既に大きく後退して政治戦が全面に出ております。
10日 政治戦 武力戦は余りにもその惨害が甚だしい。第一次、第二次の大戦を振り返って見ると、大変な残虐が行われました。科学兵器が非常に発達しまして、その最後が核兵器の出現となりました。現在では気象兵器まで出来 て、これによって気象に大異変を生ぜしめ、大暴風雨や、大津波等を引き起こすことも出来ると言われております。こういう具合に全く武力戦というものは停止するところを知らず世界をあげての競争であります。
11日 戦略の書物 こうなりますと、人間だれしもこのような馬鹿な競争は避けたいと考えるのが当然でありまして、今や武力戦を背景にして前面に政治戦が出てまいりました。特に大国間においてそれが顕著でありますから優秀な政治家がおりませんとこれ程頼りない危険な時はありません。 従って現在の政治家は余程勉強し、反省・発憤してくれなければなりません。専ら選挙の票集めだけを事としておるようでは、到底今後の日本を代表してこの危機に善処することはできません。そういう政治戦・謀略戦というものを勉強する上に非常に参考になるのが実はこの兵法の書物、戦略の書物なのであります。
12日 三略は一番の政治の書物 というのは、六韜三略を始めとして色々の兵書を読んでみますと、すべてその内容の半分は政治を論じ、半分は戦争を論じております。だから兵書というものはそのまま政書でもあります。一般には、六韜三略などと言うものは戦争・戦術の本だ位にしか理解されておりませんが下手な政治学の書物などを読むよりはる かに勉強になります。
兵書ぐらい、具体的に、且つ機微にわたって、政治というものはいかにあるべきかということを、よく教えておるものはありません。特に三略は一番の政治の書物と申して宜しい。そこで三略から今日の時世にぴたたりとくるものを若干抽出してご紹介いたします。
13日 善事不進。悪悪不退。

善事不進。悪悪不退。賢者隠蔽。不肖在位。国受其害。(上略)―善を善として進めず、悪を悪として退けず、賢者隠蔽し、不肖位に在れば、国その害を受く。

上略に、善を善として進めず、悪を悪として退けなかったならば、賢者が隠れて、馬鹿者がとんでもない位につくようになる。これは国家にとって大きな損害である。
14日 叛逆 世乱則叛逆生(中略)
世乱るれば、則ち叛逆生ず。
中略に、綱紀が乱れると、不遜の輩が出て叛逆を計画する。
15日 衆疑無定国。衆惑無治民。 廃一善則衆善衰。賞一悪衆悪帰。善者得其祐。悪者受其誅則国安而衆善至。衆疑無定国。衆惑無治民。(下略) 一善を廃すれば衆善衰へ、一悪を賞すれば衆悪帰す。善者はその祐を得、悪者はその誅をうくれば、則ち国安くして衆善至る。衆疑へば定国なく、衆惑へば治民なし。
16日

天理自然の法則

下略に、一つの善を廃すると、多くの善がそれにつれて衰へる。一つの悪を賞すると、多くの悪がそれに伴って生じる。善者は、天理自然の法則により幸を得、悪者はそれ相応の罰を受け る。
すると、国は安泰で善いことが集る。民衆が疑うと安定した国なく、民衆が惑うと治った国民はない。これは国ばかりでなく会社でも学校でもそうであります。
17日 何故道を学ぶか

聖人所貴道微妙者。以其可以転危為安。救亡使存也。(鬼谷子)
聖人・貴ぶ所の道の微妙なる者は、その危を転じて安と為し、亡を救って存ぜしむべきを以てなり。

聖人が貴ぶ所の道の微妙なるところは、即ち聖人は何故道を学ぶか、何故道を大切にするかというと、道を学ぶことによって危を転じて安となし、滅ぶるのを救って、よく存続させるからである。これは利害打算や、理屈ではない。
18日
弱難
為計
治彊生於法、
乱弱生於阿
治彊易為謀、
乱弱難為計。

(韓非子外儲説)

治彊は法に生じ、乱弱は(おもねり)に生ず。

治彊は謀を為し易く、乱弱は計を為し難し。

19日 迎合は
国家弱
体化の
国がよく治まり、国力が強くなるのは、法律・法制がしっかりと立つことによって出来、弱くなったり乱れたりするのは、国を治める者が、民意だとか攻撃に対しておもねるからである。よく治ってしつかりしておると、色々な計画が立つが、乱れて弱ってくると何とも仕方ないものである。 韓非子(かんぴし)というと秦の始皇帝の頃の人でありますが、昭和の今日も少しも変わりません。現代の日本を見ますと、法の権威が落ちて無法に近くなりました。と同時に非常に迎合的であります。政府当局はマスコミに対し、或は近隣の諸外国に対して極めて迎合的でありまして、これは日本を愈々弱くするものであります。
20日 危在於無号令

不明在於受間。不実在於軽発。固陋在於離賢。禍在於好利。害在於親小人。亡在於無所守。危在於無号令。(尉繚子(うつりょうし))
不明は(かん)を受くるに在り。不実は軽発するに在り。固陋は離賢に在り。禍は利を好むに在り。害は小人に親しむに在り。亡は守るところ無きに在り。危は号令無きに在り。スパイに乗ぜられるほど馬鹿なことはない。第二次世界大戦において日本は軍も政府もスパイに翻弄されました。軽挙妄動すること程真実でないものはない。

何が固陋かと云っても賢者に離れるくらい固陋なことはない。好い加減な人間ばかり相手にしていると固陋になる。利ばかり考えると禍を生む。つまらぬ人間とつきあいしていると色々弊害がおこる。国家でも、軍隊でも、上に立つ者がしっかり号令をしなければならない。衆人が騒ぎまわっておるが、こういう者に任せておけば、世の中は混乱するばかりで、こんな危険はない。これも秦の始皇帝時代に出た尉繚子(うつりょうし)の言葉でありますが、そのまま今日も通用いたします。
政治戦
21日 上戦無與戦 (てき)()者勝於(かつものは)無形(むけいにかつ)上戦無與戦(じょうせんはともにたたかうことなし)(龍韜(りゅうとう))―敵に勝つ者は、無形に勝つ。上戦は(とも)に戦うこと無し。 敵に勝つというものは、実戦に勝つことではない、無形に勝つことである。

一番上手な戦争は、戦わずして敵に勝つことである。六韜の中の龍韜(りゅうとう)にうる言葉であります。
22日 不出多方以誤之一句而己 太宗曰(たいそういわく)(ちん)(せんしょう)千章(まんくをみるに)萬句(よろずく)不出多方以誤之一句而己(たほうもってこれをあやまらすのいっくにでざるのみ)(李衛公、問対)―太宗曰く、朕千章萬句を観るに、多方以てこれ を誤らすの一句に出でざるのみ。
中国四千年の歴史上指折りの英邁な皇帝と云われた唐の太宗が、「万巻の書を読んだが、結論はいろいろの手段方法でいかに相手を錯誤に陥らせるかということである」、と幕下の李衛公(靖)という名将軍との会話の中で述べております。
23日 要するに他人からしてやられない 靖曰(せいいわく)千章萬句不出乎致人而於人而己(せんしょうまんくひとをいたしてひとにいたされざるにでざるのみ)(李衛公・問対) 靖―李衛公曰く、「兵書は随分と大部の書物であるけれども、要するに他人からして(○○)やられない(○○○○○)、自分がしっかりとしていて人から騙されないということにすぎない」と。
24日 国の四患 苟悦申鑒云(こうえつしんかんいう)()()(ほう)(しゃ)。致治之術先屏四患。苟悦申鑒(こうえつしんかん)に云う。()を致すの術は、先ず四患を(しりぞ)くるにあり。

漢の終りに出た、非常な名門の人材である苟悦が、申鑒という名著を残しておりますが、その書物の中で、政治を立派にやってのける術は、先ず国家の四つの病気を治し退けることだ。その四つの病気とは何かと言うと、第一がうそである。第三には私である。第三はでたらめである。第四はぜいたくである。この四つが国家、国政の四患であると書いております。今日にも通用する政治家・為政者のための痛切な戒めで以前にお話したことであります。

25日 不能治内而務外

劉向説苑云(りゅうこうぜいえんにいう)政外(せいはずれ)(おんなあらく)謀泄(はかりごともれ)不敬卿士而国家敗(きょうしをけいせずしてこっかやぶれ)不能(うちを)治内而(おさむるあたはずして)務外(そとをつとむ)

劉向(ぜい)(えん)に云う、政はずれ、女あらく、はかりごと漏れ、卿士を敬せずして国家敗れ、内を治むる能はずして外をつとむ。

26日 国の五寒 嘗ってお話し申しあげたことでありますが漢の劉向が説苑という書物の中に書いております五つの悪いことこれを五寒といってどれ一つあっても国家を冷え凍らせてしまうとされております。
その第一が政外、政治のピントが外れること。第二が女氏A女が荒々しく激しく病的になる。第三がはかりごとが洩れる。そして第四には大臣その他国家の政治に携わる重要な人物を尊敬
しないで、好い加減な宣伝や謀略等をやっていると国家は敗れる。つまり重要な人物を尊敬して、堂々と政治をやらなければならぬということです。つまらぬ人間を使ったり、スパイ等に踊らされると必ず国家は敗れます。最後は肝腎の国の中を治めることができないので、それをカバーする為に外国に向って色々と謀略をやる。これも今日の私達には凱切(がいせつ)なものばかりであります。
人生五計

生計・身計・家計・老計・死計。(宋・朱新仲)

これは宋の朱新仲(名は翌)の言葉であります。朱新仲という人は、朱子とほぼ同時代の隠れた哲人官吏でありました。
27日 宰相秦檜、此れは忠勇の名将として有名でありました岳飛を圧迫して死に至らしめた者として悪名が高い。彼は秀才でありましたが、国政を誤り国を亡ぼすに至った悪宰相の代表として日本でもよく知られておる人物であります。

朱新仲もその秦檜に憎まれ、流謫(りゅうたく)されて少しも悲観せず悠々自然を愛し、名山。大川に遊んで、土民に慕われた人でありますが、彼は人生の五計というものを説きました。

28日

生計
身計
家計

生計―生理の問題、病気をしたり、死んだりしない、すこやかに生きる道であります。

身計―自分の一身をどういうふうに世に立ててゆくかという、社会生活であります。
家計―家をどういうように維持してゆくかという問題であります。

以上の、生計・身計・家計は普通のことでありますが、面白いのは、老計・死計であります。
29日 老計 老計―いかに年をとるか。
人間にとってこれ程切実な問題はありません。人間・年を取ると衰える。身体ばかりでなく、精神も衰え易い。これは老計を知らぬからであります。この頃、老人医学などというものが一
つの学問になって参りましたが、老いるということに善処すると、そう人間は老衰老廃するものではありません。まだ若いのに老けこんでしまっておるなどという程情け無いものはありません。朱新仲先生、これを指摘しておるわけです。
30日 死計 ほっておいても自然とときがくれば死ぬ、というのでは学問になりません。 どのように死ぬか、これ亦深刻微妙な問題です。五計の最後によく効いております。
31 この五計のどの一つを取り上げても、夫々大著が沢山ある問題であります。お互いにこういうことを一向に注意しないということ程浅薄なことはありません。ただ漫然と、わけわからずに貴重な一生を終わってしまうのが一般大衆であります。
学問の大切なことは、そういう人生の大事なことを学ぶこと、これが第一義であって世人は今日、学問というと学校でやることだと思いますが、これは学問
の枝葉末節であって、本当の学問は、年を取るほど、世に立つほど、やらなければなりません。それが本当の学問であるということを大いに自覚して努力しなければなりません。本年も愈々暮れようとしております。本日講じました総ては丁度よい歳暮の贈りものとなりました。喜んでお受け取り頂きたいと思います。
(昭和五十年十二月十日) 完