日本、あれやこれや その56

平成20年12月度

武士道とは

 1日 日本の土壌の花 現在の社会的、人間的混乱は、一に「日本精神」の欠如に在る。

その「日本精神」の根幹はやはり「武士道精神」に在ると思う。

そこで武士道に関して探究してみたい。
人間は所詮、風土の産物である。武士道は桜花同様に日本に咲いた花である。
その武士道をはぐくみ育てた社会的条件が喪失して社会混乱が現在起きている。
だが、よくよく考察した結論は、武士道こそ「人倫の道」の在り様を照らす根本的なものだと思える。
 2日 武士道はノブレスオブリージュの規律 武士道は、「武」と「士」と「道」のことである。本来の「武」の職分に留まらず、「日常生活の規範」なのである。 武士道は、一言で言えば、欧米風には「ナイトの規律」であり、武士階級の「高い身分に伴う義務」即ちのノブレスオブリージュなのである。
 3日 心の掟 武士道には成文法はない。武士が守るべきものとして要求され、或は教育を受ける「道徳的徳目」の作法である。 成文法ではないから、人々の心に刻まれたものである。それだけに実際の行動には強力な拘束力を持ち心の掟となったのであろう。
 4日 戦闘の於けるフェアー・プレイ サムライとして知られる武士。この武士は、長い年月に亘り絶え間なく続いた戦乱の世にあり、最も男らしく、且つ最も勇猛な人々の間から自然に選びぬかれた者であった。男性的かつ 野獣の如き強靭さを持つ者であった。「やあ、やあー我こそは・・」と名乗る中世の戦闘の於けるフェアー・プレイ。野蛮さの中になんと豊かな倫理性の萌芽がある。これこそ、あらゆる文武の徳の源泉と言えるのだ。
 5日 壮大な倫理体系

「決して小さな子供を苛めたり、年嵩の子に背を向けたりしない人間であったという名を残したい」と言ったのは英国人のトム・ブラウン。

これこそ、その上に強靭で壮大な倫理体系を建設するための要石なのである。
 6日 武士道と仏教 仏教は武士道に、「運命」に関する「安らかな信頼の感覚」、「不可避なものへの静かな服従」、危険や災難を目前にした時の「禁欲的な平静さ」、「生への侮蔑」、「死への親近感」などをもたらしたて云われる。 柳生宗矩は超一流の剣術師匠であるが、一人の弟子が自分の「技」の極意を習い覚えてしまつたと見るや「私の指南はこれまで。あとは「禅」の教えに譲る」と言った。
7日 禅とはDhyanaジャーナの日本語音訳である。禅は「沈思黙考」により、言語表現の範囲を超えた思考の領域へ到達しようとする人間の探究心を意味する」という。 その方法は、「黙想」である。目指すものは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、可能ならば「絶対」そのものを悟り、その「絶対」と己を調和させることであるという。
 8日 教義を越えたもの 禅を前述のように定義すれば、禅とは、もはや一流の教義を超えるものではないか。 この「絶対」を認識し得た者は、世俗的な事柄から自己を脱落したことを自覚させるのであろう。
 9日 神道 仏教が武士道に与えなかったものは「神道」が提供した。主君に対する「忠誠」、「先祖への畏敬」「孝心」などである。 その為、サムライの傲岸な性格に「忍耐心」が付与されたのである。
10日 神社の「鏡」

「人間の魂の生来の善性」と
「神にも似た清浄性」を信じ、「魂」を神の意思が宿る至聖の場所として崇拝する。
神社本殿にかかげてある「鏡」は「人間の心の表象である。

心が完全に落ち着き、清明である時、そこには「神」の姿を見ることが可能であろう。神社の「鏡」に「神」の姿を見る所以である。「己自身を知る」ことに通ずる。
11日 国土と神道 神道の自然崇拝は、国土を心の根底から愛おしいと思う存在にした。 神道の祖先崇拝は、次から次と系譜をたどることにより遂に皇室を民族全体の中枢であり顔とした。
12日 武士道と孔子 武士道の道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道の最も豊かな源泉である。
孔子の五つの倫理的な関係、即ち「君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友」は日本人は遥か以前から認知していたが孔子により確認された。
支配階級である武士は、孔子の冷静、温和な道徳的格言の数々は格別に似つかわしいものであった。
孔子の貴族的且つ保守的語調は武人統治者に不可欠に適合した。
13日 論語読みの論語知らず

知的専門家は機械同然と看做された。知識は学習者の心に同化し、かつその人の性質に現れる時にのみ真の知識となると信じていたからである。

武士道は知識のための知識を軽視したのである。
「知行合一」を弛まず繰返し説いた中国の思想家・王陽明を見出すのである。
14日 武士道の基本原理

「精力的な進取の気性、即座の決断力と忍耐力」を育てたのは、十六世紀の中葉、政治、社会、宗教、すべての面で混乱していたからである。

不安定な時代、健全ではあるが洗練されには程遠い気質は、古代の思想の本道や脇道から拾い集められた断片的教訓の束から持ち込んだとされる。
15日 武士道最高の支柱は「義」である。

「義」は「勇」と並び武士道の双生児とも云える。
江戸時代の林子平はいう、
「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいう也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也」
16日 節義 真木和泉守はいう「士の重んずることは節義なり。節義は例えて云えば、人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ること得ず。足も立つことを得ず。 されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり」と。
17日 男らしい徳行 悪辣な陰謀が軍事的策略となる、また「真っ赤な嘘」が策謀としてまかり通った戦国時代に、素直で男らしい徳行は、光り輝く宝珠であった。 それは絶大な賞賛を得た。
「義」はもう一つ「勇敢」という徳行と並ぶ武士道の双生児でもある。
18日

それは「如何にして(はら)を練磨するか」であろう。

また、勇気は「義」により発動されたものでなければ徳行的価値はないとされた。
19日 孔子の勇と義

「義を見てせざるは勇なきなり」は勇気に対する孔子の言葉である。
これは「勇気とは正しいことをすることである」の意味である。

あらゆる種類の危険を冒し、生命を賭して死地に臨むことである。
20日 武士道の勇 死に値しないことの為に死ぬことは「犬死」とされた。
水戸
義公の言葉がある。

「一命を軽んずるは士の職分なれば、さして珍しからざる事にて候、血気の勇は盗賊も之を致すものなり。

侍の侍たる所以は其の場所を引退(しりぞ)いて忠節に成る事もあり。其の場所にて討死して忠節に成る事もあり。之を死すべき時に死し、生くべき時に生くというなり」と。
21日 最も人気ある徳 サムライの若者で「大義の勇」と「匹夫の勇」の区別を教わらなかった者はいまい。勇猛、忍耐、勇気、豪胆、勇敢、 これらは最も容易に少年の魂に訴え、その実践と手本を示すことにより彼らを訓練できる資質であった。
22日 幼児から 軍物語では母親から「これくらいの射たさで泣くとは何という臆病者か。
戦で腕を切り落とされたらどうするのか切腹を命じられたらどうするのか」と子を叱る。

先代萩では、いたいけな幼君の為に忍耐を強いる感動的な物語。

その情景は、
 

23日

先代萩

「籠に寄りくる親鳥の、餌ばみすれば、小雀の嘴さし寄するありさまに・・」、鶴千代「アレアレ雀の親が子に何やら食はしおる。おれもあのように早く飯が食べたいわい」。

政岡「小鳥を羨むお心根、オオ道理じゃ」と言いたさをまぎらす声も奮われて「わしの息子の千松が・・。エエコレ千松何を泣き顔する事があるものか。小そうてもサムライじゃコレ」 
24日 胆試(きもだめ)

武士の子供たちは処刑場、墓場、幽霊屋敷など、あらゆる種類の薄気味悪い場所を巡ることも彼らにとっては楽しみの一時であった。私の子供時代にも、夜半、鬱蒼たる神社の境内を廻るなどの肝試しがあった。

斬首が公衆の面前で行われた時代には幼い少年たちはその怖ろしい光景を見に行かされた。この超スパルタ式の「胆を練る」方式が通常であった。
25日 平静さ 勇気の精神的側面は沈着である。つまり勇気は「心のおだやかな平静さ」によって表される。 眞の勇気ある人は常に落ち着いていて決して驚かされたりせず、何事によっても心の平静さをかき乱されない。
26日 太田道灌 江戸城創始者である。道灌は槍で刺された時、彼が歌の達人であることを知っていた刺客は、その一突きと共に「かかる時さこそ生命の惜しからめ」と上の句を読むと、

息も絶えだえの猛将は、その脇腹に受けた致命傷に微塵も怯まず
兼ねてなき身と思ひ知らずば」と下の句を続けたのである。
 

27日 戦の美学 十一世紀後半、衣川の堤で東国の軍は敗走してその大将・安倍貞任(あべのさだとう)も逃亡しようとした。そこへ攻めてきた相手側の大将が貞任を捕らえ、大音声で「きたなくもうしろを見するものかな。しばし引き返せ。物いはん」と呼ばわった。そこで貞任が馬首を返すと勝者の将は即興で詠んだ。 衣のたてほころびにけり」。この言葉が彼から発せられるや、
貞任くつばみをやすらへ、しころをふりむけて
年をへし糸のみだれのくるしさに」と返した。弓を引き絞っていた八幡太郎義家は突然その手をゆるめ馬を返して彼の犠牲者となるはずの敵将を逃がしてやったのである。
28日 勇気と名誉

まさしく勇気と名誉は、共に価値ある人物のみを平時に友とし、戦時に於いてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求しているのである。

勇気がこの高みに達するとき、それは「仁」に近づくのである。
29日 孔子の勇と義 「義を見てせざるは勇なきなり」は勇気に対する孔子の言葉である。これは「勇気とは正しいことをすることである」の意味である。 あらゆる種類の危険を冒し、生命を賭して死地に臨むことである。
30日

仁とは(じん)なり

孔子はいう「君子は先ず徳を積む。徳あればここに人あり、人あればここに土あり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。徳とは(もと)なり、財とは末なり」と。
「天下心服せずして王たる者はこれあらざるなり」と。

孟子は「不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は、未だ之有らざるなり」と言う。二人とも天下を治める者に不可欠な必要条件を
「仁とは(じん)なり」と定義した。
31日 武士の情け

仁は、やさしく、母のようである。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的な性質であるやさしさと諭す力を備えている。

公正さと義で物事を計らないで無闇に慈愛に心を奪われないように教えられている。
伊達政宗は「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と適確に表現している。