佐藤一斎「入学説」 学問を始める者の心得

平成23年12月度

        「入学説」    岫雲斎補注
学問を始める者の心得
 1日

吾人(ごじん)の学を為すためには当に自ら先ず其の入学の初心如何(いかん)と問うべきなり。

其の心
、必ず学んで君子と為らんと欲するか。(しか)らざる

此に於て趣向一たび(あやま)らば、日に此の学に従事すと雖も而も終身得ること無し。
(いたずら)に得ること無きのみならずして(たまたま)(もっ)(おごり)を長じ非を飾るの資と為すに足る。

岫雲斎

我々が学問をするに当り、先ず自分の心に入学の初心を明快に聞きたださなければならぬ。
その心構えは必ず学んで立派な人間になるのだ、ということなのか、どうかである。

万一、この段階で学ぶ方針を一度間違えれば、毎日勉強しても生涯本物にならない。

得ることが無いばかりでなく、学問のある事を鼻にかけたり、虚飾の道具に化すだけとなる。
 2日 故に入学の初心は、(すなわ)途蹊(とけい)の由りて(わか)るる所なり。蓋し其の心果して君子と為らんと欲するに在りて、而も志願(しがん)緊切(きんせつ)にして、絶えて他念無くば、則ち学を為すの(もと)立つ。(ここ)に以て学に入るべし。  岫雲斎
故に入学当初の心構えは大切である。正道と邪道(途蹊(とけい))の分岐点に立つのと同様である。その心構えが、どうしても立派な人間になろうとすることに在り、しかも志をしっかりと立てて絶対に他事を思うことが無ければ学問をする基本的態度が確立するわけで、ここで初めて学問の道に入って宜しいと云う事になる。
 3日 既に此の志有るや、自ら能く修飾して敢えて不善を為さず。但だ霊光未だ(とお)らず、事に疑惑多し。()れを父兄にい、諸友に(はか)らざるを得ず。而して父兄諸友の我れを(おし)え我れを(たす)くる者、皆我れの未だ(おもんばか)り及ばざる所なり。(すなわ)ち敬して之れを聴き、信じて之れに従う。()(ここ)に於て(けん)(こう)(すくな)く、(こと)(ここ)に於て過挙(かきょ)少し。既に是れ学なり。要するに我が志の至る所なり。  岫雲斎

この志さえあれば、自ら身を修めて敢えて不善はしない。

だがこの段階では霊妙な光が透徹しておらず事毎に疑いや惑いが多い。父兄や友人にこれらの事を相談しなくてはならぬ。父兄や友人が教導や補導する事はまだ自分の考え及ばないものであるから、敬してこれを聴き且つ信じて従わなくてはならない。
そうすれば身の誤りも無く過失(
(けん)(こう))も少ない。
この事は既に学問そのものである。
要するに志の達したことである。

 4日 然れども父兄諸友には問いて之れを(はか)ることを得れども、聖賢前哲には則ち今親しく其の言を聞くに(よし)無し。必ず更に進んで以て之れが益を()らんと欲するや(ここ)に於てか良師を求めて学ぶ。師たる者之れを教えて其の方に(そむ)かず、之れを導いて其の序を失わず。我れ能く其の指授(しじゅ)を聴いて以て古訓に学び、人一たびすれば己れ百たびし、反復熟思、愈々入りて愈々深く愈々(いた)りて愈々遠し。蓋し其の理致の精微(せいび)(おう)(みょう)なる、果して以て(じょう)(ぼん)懸絶(けんぜつ)する者有り。  岫雲斎
然し父兄や友人に尋ねることは出来ても、古の聖人・賢人、哲人には親しくその言葉を聞くことは出来ない。
それで更に進んで学問を高めたいとするには良師を求めて学ばねばならぬ。
良師は子弟を教えるに当り正しい方針を伝え、秩序を踏んで行う。
学ぶ自分は師の指摘や授けられた教えを真面目に聴き、古人の訓話を学び他人が一度なら自分は百回繰り返して思考するならば学問に深く入り、深遠に至るようになる。
この道理は精妙にして深遠且つ霊妙なものである事は、常人の考えを遥かに超越した優れたものである。
 5日 敬にして之れを(じゅん)(ぽう)し、信じて之れを(かく)(しゅ)し、()れを()に験して心に省み,事に習いて物に察しなば、聡明(そうめい)()に開け、義理日に(あき)らかに、動静語黙(どうせいごもく)、将に(ここ)に於てか其の度に(あた)らんとす。処事接物(しょじせつぶつ)、将に是に於てか其の宜しきに(かな)わんとす。而して殊に其の(しん)(えき)発悟(はつご)する所あること、(ただ)(へい)(せき)倍?(ばいし)するのみならざる覚ゆ。尤も是れ学問の在る所にして、要するに又我が心の至る処なり。 

岫雲斎

この道理を敬して遵奉し、信じて良く守り、体験し反省し、物事に習熟してよく考察して行くならば日毎に賢くなり、義理も明らかに悟ることができる。

一動一静、一語一黙、全て的に当るようになる。
また事物を処理し物事に接いるにも全て宜しきに適うようになる。

そして学問がみな生きてくるから、進歩、利益、発明、悟得など何れも学生に数倍することを自覚する。

これが即ち学問の力でありまた己の志の到達した所である。

 6日

然らば則ち、始め、()れを父兄の口語に聞くは、猶お書を読むがごときなり。後の聖賢の遺訓に得るは、猶お(めん)(めい)せらるるがごときなり。皆我れの志より之れを求めたるなり。 

岫雲斎

さて、はじめに父兄から教えられた事は書を読むようなものである。後に聖賢の遺された教訓により得たものは、丁度聖賢に親しく教えられたようなものである。みな自分の志より求めたものである。

 7日 故に君子たらんと欲するの志益々切にして、聖賢にしゅうちゅうし(あとを追う)以て人倫に尽くさん事を期せば、則ち其の()れを己れに求むる者、人欲を去りて天理を存する所以(ゆえん)の功、既に至らざることなく、而して父兄師友より以て芻蕘(すうじょう)(牧童と木こり=卑賤)()(げん)(卑近な言葉)に至るまで、自ら問わざるを得ず。 

岫雲斎

故に、立派な人間になろうとする志は益々切実、聖賢に追いつかんとして以て人倫の道を尽くそうと願うならば、即ちこれを自分に求める者は人欲を棄て至公至平の天理を持つことに依り、公の至らざる所無く、父兄や師友の言うことは勿論、牧童や樵などの卑近な言葉にまで耳を傾けるようになる。

 8日

聖賢の遺訓より以て史、()、前哲の書に至るまで、自ら熟読して之れを(じん)()せざるを得ず。遂に其の(はい)(ぜん)として(ふせ)ぐ可からざる者、皆我が一志(いっし)の流注する所に非ざるは無し。是れ(すなわ)ち学を為す趣向の正路なり。 

岫雲斎
聖賢が残した教訓から、歴史書、諸子や古賢人の著書に至るまで自ら熟読し深く考えないわけにはいかなくなる。恰も大雨が(はい)(ぜん)と降って来て防ぐ事が不可能なのと同様に全てを尽くさなくては止まらなくなるのは皆、自分が志を堅守して結果の賜物である。これが即ち学問を為す正路である。

 9日

然るに世の(こう)()を以て学と為す者は、入学の志(すで)(あやま)れり。故に其の弊も亦?(わずか)に益無きのみにあらざるなり。先賢立志の(おしえ)、蓋し余薀(ようん)なし。然れども、此の意亦当に参互して之れを得べし。 

岫雲斎

然るに世の中の、耳に聞いて直ちに口から出るような軽薄な学問をする者は、学問を始める時の志が既に誤っている。だからその弊害は少しも利益が無いばかりではないのである。昔の賢人達は立志の必要を懇々と諭されて余す処が無かった。学問を志す者は、これらの教訓の真意を互いに参考にしながらしっかりと身につけなくてはならぬ。完