商は詐なり 

最近の新聞・テレビで、毎日のように企業のトップやら役員が、メデイアに向けて、ペコペコと頭を下げる光景を見る。 

よくも、こんなに会社というのは悪いことばかりするものだ。昔は、ここまでは無かった。 

それは「信用」というものを大事にしてきたからである。トップの心得が違っていたのである。

 

大臣や政治家や高級官僚という連中は、「親方日の丸」で金銭倫理が麻痺し、国家とか国民の為という志を喪失し、師表に立つ資格を失っている。 

社会をリードする彼らがそれだから、お金だけで生きる民間人が多少、悪いことをしても多少は仕方ないのかも知れない。だが、それにしても多すぎる。 

吉兆とか、赤福餅とか、老舗と言われる名門企業が、あんなことをしているんだから、戦後のポット出企業が悪い事をしても、しょうおまへんのかな?

私は、阪神間に50年間住んでいたし、北浜の住友本店に十数年通勤したのだから、吉兆や船場吉兆、心斎橋吉兆、また京都の花吉兆など何度も利用したことがあるが、矢張り裏切られた思いがつのってくる。
 

徳川家康が「商は詐なり」と認識したのは凄い人間洞察である。家康は、だから、士農工商のランクの最下位に「商」を置いたのである。「商」の本質を見抜いていたのである。

家康は、権力に近い譜代大名の禄高、即ち報酬は実に低くした。外様大名には高い禄高を与えたが、厳しく監督して失政あらばすかさず没収、領地変え、お家断絶の罰を与えた。上に立つものの智恵である。 

近代は、「権力ある者ほど、報酬を高く」している。これが人間の弱さと連携して人間社会を悪化させてしまうのである。 

権力ある者には、清貧とまでは言わぬが、報酬を格別に高くしないで、それが真の師表に立つ人物としての矜持であるという仕組みにしなくては善くなるまい。 

これは、根本的にお金万能、市場経済至上主義のアメリカの模倣の悪しき結果である。欧米の模倣から遠ざかりたいものである。 

日本の先祖のやってきた考え方のほうが、遥かに治世上、素晴らしいということではあるまいか。 

アメリカさん、中国さんの金権主義の真似はしてはならない。それでは、日本は益々変な方向に進むこととなる。 

平成19121 
                          徳永日本学研究所 代表 徳永圀典