「平成に甦る警世の箴言」2

安岡正篤先生ご存命中の膨大な講義は、人間的営為、大自然の造化、和漢洋の歴史等の深い思索と造詣があり、そしてそれらの中の安岡哲学は、時代を越えたものである。本講義は35年前のものであるが恰も現在の警告の如くに見える。平成の大乱世となった今、安岡正篤先生警世の真言を考えることは現代的である。
               平成19年12月徳永日本学研究所 代表 徳永圀典

 1日 愚民主義の恐れ アメリカは最近、選挙権者の年齢を18歳に下げました。その為に2500万人という有権者が増えました。この連中に議会制民主主義政治とは何ぞや政治の使命は如何、有権者の責任 は等と尋ねてもそれこそナンセンスで一向に通じません。
そこでこの若者達の票をいかにして集めるかという問題になりますと、次第に政治が堕落するわけであります。
 2日 日本人の油断と甘さ。 民主主義国家と政治の堕落を見越して共産主義国家は全体主義・権力支配・能率主義的迫力でもつてこのデモクラシー国家の弱点を突 いて積極攻勢に出ております。今後はこの両者の熾烈な戦いであって、既に階級やイデオロギー等は過去の物語となりました。
 3日 正義と不正義 正義が強くなるか、強いものが正義になるかいづれかである。それより他に生きる道がない(パスカル) 日本人に親しまれているフランスのパスカルの言葉であります。
 4日 中立について 一方に正義があると知るなら、中立に留まるのは不正である(カステリー)フランツ・カステリーはオーストラリアの詩人であり劇作家であります。 社会には正義と不正義の二つがある。本質的、根本的に言ってどちらかでなければならぬ。正義と不正義との間などというものは許されない、ということであります。
 5日 日本の悪い習慣 処が日本には「私はよく知らないが」という挨拶があるように、どうもどちらが正しいかという場合に臨むと、はっきりさせないという悪い習慣があります。 何かやむを得ない現実の問題があって、暫く政策的に中止するということはあるが本質的正義か不義かとなると、中立は許されない。明確な価値判断が必要です。曖昧ということが一番いけません。
 6日 曖昧は誤謬の元 曖昧は誤謬の住む国である(ヴオーブナルグ)

人間には一種の臆病、或いは打算というものがあって、難しい問題、大事な問題ほど曖昧にする。 

それは不養生と同じことで、後になると祟ります。物事を曖昧にして次第に正確・信念というものを失うと、時の勢いに流されて奴隷的、所謂隷属となりましょう。ソ連や中共を見てもよくわかることであります。 
 7日 日本も他人事に非ず 戦争は隷属ほど負担が重くない。隷属は()ひにはそれを好ましいことに思ってしまうほど人間を低いものにする」(ヴオーブナルグ) 隷属は戦争より悪いと論じております。実例は現在世界に数多く存在して非常な悲劇を演じております。日本も他人事ではありません。余ほど真剣にこの事態を直視し対策をたてなければなりません。
 8日 大衆に求めても仕方ない これを要するに大衆に求めても仕方ありません。やはりその国のエリート、つまり国民の中の心ある人が一人でも多く、自分の思想・自分の生活・自分の信念・自分の行動というものを正しくはっきりさせることです。そうしますと、これが総合されて日本の一つの時代を作り、行動を決定します。いくら政府や政党が思いつきのスローガンだの政策だのというものを打ち出しても、多くはナンセンスに過ぎなくなりましょう。 私は毎年、みなさんにも干支の話をしてまいりましたが、来年は本年の壬子(みずのえね)の後をうけて(みずのと)(うし)の年にあたります。去年、壬子(みずのえね)の解説をして、色々佞奸(ねいかん)な人物が時局に便乗して各所に輩出し日本を混乱に陥れると申しあげたことは記憶に新しいところでありますが、それが来年は一層組織的行動的になりましょう。これを改革してゆかなければならぬ大変な年にあたります。また過去の歴史に徴しても明確であります。その解明は次回に致します。(昭和471025)
 9日 時局は変化している 前回から僅かに四ヶ月を経過したにすぎませんが、時局は急テンポに変化しまして、今まで漠然として、徒に形勢を観望し座談ぐらいで済まされていた問題が、最早それでは済まされなくなってきました。そして時局の成りゆきが直接生活、或いは思想・気分等に影響してまいりますので、あらゆる意味に於いて、誤魔化しが効かなくなり何とかしなければならぬという不安と要請が強くなってきた ようであります。
私の個人的な経験から申しても、昨今各種の会合に臨みますと、それまであまり話さなかつた人達、或いはそういう人とは思わなかったような人々が異常なまでに熱を帯び、真剣に話しあうようになって、形勢が深刻になったということをしみじみと実感させられております。恐らくこの形勢は今後加速度的に進展していくに違いありません。従って今までのような不徹底な態度ではすまされないであろうと思われます。
10日

左翼勢力の進出

政府当局に於いても、さすがに真剣な反省が行われていると聞きます。昨年末の衆議院選挙の結果、左翼勢力の進出が目立ちました。来年の参議院選挙を含めて全国各地で行われる多くの選挙において、若し自民党が失敗するようなことになりますと、愈々混乱と変化が予想されますので、安閑としておれないのも当たり

前であります。
然も、それはひとり政府だけの問題ではなく、時局の問題であると同時に、自分自身の問題となってきておるのであれます。この時に国民の全てが戦後の悪夢から覚醒して、諸問題を善処しますならば、それこそ日本にとって幸福でありますが、何時までも混沌としておるようでは大変なことになりましょう。ちょうど本年の干支がそれを物語っております。
 

11日 (みずのと)(うし)の真義

そこで本年の干支・(みずのと)(うし)、或いは「きちゅう」について少しく解説致したいと存じます。改めて申すまでもなく干支は、甲子(こうしーきのえ・ね)から始まって、癸亥(きがいーみずのと・い)に終わる六十組の組合せであります。この六十の範疇に従って時局の意義、又これに対処する自覚や覚悟というものを幾千年の

歴史と体験に徴して帰納的に解明しております。
就中、辛亥(しんがいーかのと・い)の年あたりから時局に切実な意義と実際を示しておるので、私は毎年、年頭或は年末に年の干支のお話をすることを例としておりますが、特に本年の干支・(みずのと)(うし)は切実な意義を持っておると申して宜しいので何かにつけて参考にされると有益であろうと思います。
12日 ()(しょく)

(みずのと)」は、木・火・土・金・水、即ち五行の最後の水にあたりまして、この文字は説文によると、冬になって草木が枯れ、それまで隠れて見えなかった四方の水路が明かに見えて来た、その形を表しております。従って展望がきいて、物をはかることが出来る。()()かる(○○)という意味で、偏をつけると「()」という字になります。

揆の一番大事なものは何というても一国の政治であり、その代表は総理大臣であります。そこで総理の職を「()(しょく)」と申します。処がその揆におる者が揆を誤ると、民衆の間に不平が起こり結束して反抗します。そこでこういう暴徒を一揆というようになりました。元来はよい言葉なのですが、後世になるに及んでだんだん悪い意味に使われるようになったわけであります。これは人間の堕落を表す一つの証拠であります。
13日 揆の本義

そこで揆の年は、その本義から申しますと、いろいろ法則・原則に基づいて企画・政策を立て、どんどん実行してゆかなければならぬということになります。それが本義に反して悪い意味の一揆になりますと、双乱・革命に傾きます。

その揆に「丑」が加わるわけです。「丑」の字は文字学的に見ますと、母のお腹の中におった嬰児が体外へ出て、手を伸ばした象形文字です。従って丑はまづ第一に初めという意味があります。ついで、つかむ・取る・結ぶ、という意味になるわけであります。
14日 大正2年の(みずのと)(うし) そこで()(ちゅう)となりますと在来の権力・政治に対する革新勢力の結集・行動が始まり、悪くすると反乱・革命勢力の行動が活発になるわけであります。これを史実に徴しますと、どうも 困ったことに好い例は少ないようであります。
この前の「癸丑」は1013年、即ち大正2年でありますが、よくこの干支の示す意味を実証しております。この時誰が揆、つまり総理であったかと申しますと、桂太郎でした。
15日 桂太郎総理

桂さんは長州藩閥の代表者の一人で、日露戦争によって令名(れいめい)赫々(かくかく)たるものがありましたから、民間から盛んになった政党勢力というものを快く思いません。

処がその頃はまだ井上さんだとか、山県さんだとか、いうような元勲がおられたので、国政が少し紛糾して来ると、この元老をうまく使って問題を処理するので、いつからともなく藩閥打破・憲政擁護という声が高まっておりました。
16日 袞竜(こんりゆう)の袖

そこへもって来て又妙な巡りあわせで桂さんが一時内大臣兼侍従長という地位につかれたことがある。これは天皇陛下を補佐する重職でありまして宮中の仕事です。これに対して政治は政府の仕事ですから府中と言います。この宮中・政府の別は明治時代を通じて非常にやかましい問題でありま

したので、これをはっきりと区別しなくてはならぬ。これを混同すると袞竜(こんりゆう)の袖、即ち天皇の威光をバックにしてどんな悪い事も出来る。徳川幕府に於いても、やはり大奥と老中というように一応区別されておりました。徳川三百年の歴史を通じて世の中の乱れた時は、その大奥の勢力が強くなってこれが老中を動かした時であります。
17日 原則の逸脱 桂さんは一度宮中に入って奥向きの仕事をやったのですから、歴史的建前から言っても内閣を組織することは許されぬ筈であったのですが、それがどのような風の吹き廻しで総理になったのか。犬養毅、尾崎幸雄等の党人が藩閥打倒・憲政擁護と言い始めたのは前年の壬子(みずのえね)の秋でありますが、 (みずのと)(うし)の年を迎えて愈々その声が高まり、正月早々には全国の新聞記者が東京に集まって、藩閥打倒、憲政擁護の叫びをあげました。これが東京市民を刺激し大変なデモが起こり政府の御用新聞社などが民衆の襲撃を受けるに及んで、結局軍隊が出動して鎮撫せねばならなかった。やがてそれが全国に飛び火して各地で騒ぎが起こり、非常な不安と不穏、動揺の激しい年となったわけであります。
18日 中国の壬子(みずのえね)(みずのと)(うし) 一方国外を見ますと、お隣りの中国に於いては、辛亥革命で孫文達が決起し、三百年の間中国を支配した清朝を打倒して、これで漢民族の新しい政権が出来ると思ったのも束の間で、清朝の重臣・軍閥の統領であった袁世凱(えんせいがい)が頭を出して来て孫文達に抗したのが壬子(みずのえね)の年であります。そしてこの(みずのと)(うし)の年になりますと、孫文達を排撃して袁世凱が大総統 に就任したのであります。勿論その過程においては大変な闘争・動乱がありまして孫文達は遂に亡命いたします。処がその袁世凱が初代の大総統に就任した中華民国ら対して、我が国は隣国であるという故をもって早速これを承認しました。歴史が移りまして中華人民共和国を日本政府が壬子(みずのえね)にあたる昨年これを承認し、実際に大使を交換して仕事を始めたのは本年、即ち(みずのと)(うし)でありますから、偶然と言えば偶然ですけれども、歴史に徴して恐いような気持ちが致します。
19日 もう一つ前の(みずのと)(うし) また百二十年前、即ちもう一つ前の(みずのと)(うし)の年はどうであったかと申しますと、これが丁度、嘉永六年にあたります。この年はペルリが軍艦四隻を率いて浦賀に入港した年で、そのために江戸は大変な騒ぎとなりました。引き続いてロシアのプチャーチンが長崎へやってきて、これまた大騒ぎをしました。どうも中国やロシア、アメリカはこの当時から日本にとっては免れぬことの出来ぬ相手国のようであります。 このように(みずのと)(うし)の学問的意義と、歴史の経験から申しまして、甚だ穏かならぬ年であります。恐らく今年の日本は過去の(みずのと)(うし)の年と似たような事件、或いは問題が起こるのではないかという気がします。既にインフレとドル問題に就いて大きな混乱が起きています。然し災いを転じて幸いとなすことが、つまりいかに運命を運転するかということが、揆におる物の当然の責任でなければならないのであります。 
20日 現代文明の危機 この頃の世界歴史、特に思想・言論をよく注意しておりますと、その主流に大きな変化が現われております。今まではトインビーが有名でありましたが、昨今はスペインのオルテガが注目されるようになりました。そして「大衆の叛逆」という彼の著書が盛んに読

まれておるのでありますが、彼はその著書の中で「現代は大衆の世界だと言われ、大衆がもてはやされておるが、大衆と言うものは大事なものではあるけれども、大衆が時代を創るということは出来るものではない」と云って、大衆社会に対する厳しい批判と、これに対する指導者の責任、使命というようなものを彼は冷厳に論じております。 

21日 植木栽培の原理 このオルテガの議論は、一貫して易の哲学、易の原理をそのまま思想の基本においていると申して宜しいと思います。いつか皆さんに植木栽培の原理についてお話をした記憶がありますが、植木というものは放っておけば必ず枝葉が茂る。 枝葉が茂ると、日当り、風通しが悪くなる。そうすると虫がつきやすくなって大事な梢の成長が止る。これをうら止まりと言って、これに伴って根が上がり、所謂裾上がりが始まって、遂には枯死にいたります。そこで植木屋は、絶えず枝葉を刈って風通しをよくし、日照りに注意して根固めをする。そうすることによって初めて木は立派に成長するのです。
22日 文明盛衰の原則

根源の簡素化、即ち

歴史に帰れ
これはひとり植木栽培の原則であるだけでなく、人類の歴史、文明の原則でもあります。文明というものはある程度まで栄えますと、必ず風通し・日当たりが悪くなり虫がつきか、やがて伸びが止るばかりでなく遂には崩壊します。

そこでオルテガは「この文明をいかにして簡易化して根元に復帰するかということが、文明の盛衰の別れ道である。そのままにしておけば必ず文明は滅びる。それは今日の大衆社会において、はっきりと現われておる。根源の簡素化、即ち歴史に帰れ」と論じております。

23日 荀子(じゅんし)人妖論(にんようろん)

このような思想が近頃特に盛んになって参りましたが、文明というものは高度の発達をしますと、頽廃して時には異常性を帯びてくる。この状態を東洋の哲学用語では「妖」という字で表現しております。今日、世界はもとより、日本の文明も著しく妖性を帯びて参りまして由々しい一大事となっております。

処が、こういうことも歴史を調べておりますと、近代の哲学者、思想家ばかりでなく、はるか昔の東洋の哲学者も遺憾なく論じておるのであります。その代表は孔子、孟子でありますが、孔子の没後、孟子と並び称せられて時にはこちらの方が権威者であったといわれる人に荀子があります。この荀子に「人妖の論」というものがありますので、本日はこれについて解明を致します。
24日 荀子・人妖の論

亡国の方法
礼儀不修。内外無別。男女淫乱。父子相疑。則上下乖離。寇難並至。(天論より)。礼儀修まらず、内外別無く、男女淫乱にして、父子相疑へば、則ち上下乖離し、寇難並び至る。 荀子は天論篇の中に人妖を説いて、以上の六つをそのままにしておくと、必ず国は滅びると痛論しております。
25日 礼儀不修 「礼儀不修」。礼儀は礼と義にわけると、礼とは調和で、つまりは社会生活、国家生活における組織・秩序であり、その中にあって人間がいかになすべきかという思想・行動が義であります。 従って礼儀修まらずとは私達の国家生活、或は社会生活の組織・秩序とそれに即した思想・行動がおさまらないということです。ちょうど現代の日本がこれにあてはまりましょう。
26日 内外無別 「内外無別」とは、内と外との区別のつかぬ、自分の心内と心外、家庭の内と家庭の外、国内と国外の区別がないということです。今日の日本は正にその通りですね。「兄弟内に(しょう)(せめ)げども、外その()を防ぐ」と申しますが、その意味で幕末維新の日本人は偉かったと思います。アメリカは勿論のこと、イギリス、フランス、オランダ、ロシアに至るまで、それぞれ国内の佐幕派、勤皇派に働きかけて誘惑しました。

然し、感心なことに両派とも外国に頼ることを厳として拒否しました。これは大変立派です。ヨーロッパの歴史を見ますと、外国の政策に乗ぜられておるか、或いはそれを悪用して事態が一層紛糾しておる、と言った例が殆どであります。これをよく実証しておるのがフランス革命です。ルイ十六世が宮殿を逃げ出したのが辛亥の年であり、これを捕えてギロチンにかけ、あの惨憺たる恐怖政治を始めたのが(みずのと)(うし)の年からでありますが、彼等は目的の為に手段を選ばず、外国勢力でも何でも利用しておる。利用するというよりは、寧ろ外国勢力によって操縦されております。 

27日 男女淫乱 「男女淫乱」。男女関係が乱れるということは民族滅亡の一番の近道です。

処が、昨今、日本もこれが非常に乱れまして、週間誌等は挙ってこの種の記事を面白おかしく書いておりますが、大変なことになったものであります。 

28日 父子相疑 「父子相疑」。これは今日最も深刻にして根本的な問題であります。父子相疑とは何ぞや。母子相疑でなくて父子相疑と書いたところに荀子の見識があります。 教育ママという言葉が表現するように終戦後子供の教育は専ら母親がこれにあたり、父親はその責任から解除されました。これが現在日本の一つの大きな失敗であります。
29日 敬と恥の原理 子供の教育について考えますと父と母とは非常に違い父の任務は子供の人格を決定する教育を担当することにあります。そこで父は子供の「敬」の対象にならなければなりません。子供は愛だけでは駄目であります。愛は犬や猫でも持っておりますが、特に人の子は生まれてもの心つく頃から「敬」することを知って始めて「恥」づることを知ります。言い換えると人格というものが出来るのです。 この敬―恥の原理から、道徳とか信仰等という世界が開けて、民族が進歩してゆくのであります。その国民道徳の基盤である父子―親子が相疑うようになる。おやじの言うことがどうも信用出来ぬ、あんなことで親父はいいのだろうか、等と子供が父に疑を持つ。また父も、どうせ時世が違うのだ、俺の言うことなど聞かないし、聞いても分かるまい。一体子供は何を考えているのだろうか、というわけで子供を疑うわけです。そうなると子供は父に背き離れます。
30日 上下乖離 それが上下乖離ということです。乖離ということはただ離れるだけではありません・ただ離れるだけですと、又結合することもできますが、これは再び元に戻すことが出来ないという決着の言葉です。今、日本は各方面に於いて「上下乖離」しております。その最たるものが政府即ち内閣に対する乖離であります。

大阪弁で「頼みまっせ」、「頼りにしてまっせ」と言いますが、父親とか為政者というものは国民大衆から頼りにされ尊敬されなければいけません。これが行われぬということは、そもそも為政者の責任ですけれども、また為政者に対してそういう国民の反感を煽るような議論にも責任があります。これは言論機関にある者の第一に慎むべきことです。さて、上下が乖離するようになると最後は、 

31日 寇難(こうなん)(へい)() 

寇難(こうなん)(へい)()」いろいろ寇難が並び起ってくる。「寇」は外敵。外国からの攻撃。「難」は国内の難しい問題です。つまり国の内外を問わず厄介な問題が並び起って来るわけです。これが荀子・人妖(にんよう)の名論と言われておるものであって、歴史的にも間違いのない原理・原則です。これを何とかしてもう少し常識的・良心的に健康に至ることを我々は覚悟しなければなりません。いかにすれば良いかということは、これらの古典が十分に教えておりますから、問題はこれを今日の時世にいかに適用するかということであります。幸か不幸か今年は時局が一層悪化して所謂危局になるということは免れ得ないと思います。その代わりこれを善処すれば、日本は一段と躍進するでしょう。その重大な岐路が本年でありまして、これは指導者、指導層の責任であります。政府でいうなら総理大臣を始め各省大臣、会社でいうならば社長を始め各重役、こういう人達は「()」におる人ですから、この人達の責任としなければなりません。世の中が世の中だからマスコミが騒ぎ立てるから、等というのは逃げ口上でありまして、今

まではそれですみましたが、もうそういう逃げ口上、臆病な引っ込み思案、卑屈な回避は許されないのであります。
いつも申しあげますように、日本ぐらい国際政治学上微妙な位置に存在する国はありません。西と北には共産主義国家の中共、ソ連、それに北朝鮮が並び、また海を隔て、東にはアメリカがあります。アメリカは現在一番の友好国でありますが、ついこの間までは大戦争をやった敵国です。ということは率直に言うて、日本がしっかりとしておって始めて友好国であるということで、一度弱体を暴露致しますと、どうなるか分かりません、恐らく世界のどこの国にもないような国難、混乱、悲劇が始まることは明らかであります。
我々は、どうしてもこれを避けなければなりません。勿論それには矢張りそれだけの国民的な自覚が必要であります。これは少なくとも心ある人々が意識し始めている問題でありまして、事業の経営なども今後は益々変化が激しくなって難しくなると思います。従って、皆さんは文字通り揆を一にして、大いに事業を確立し、堅実に発展するよう努力されることが肝腎であります。現在多くの人々がそういうお手本を待ち望んでおります。どこかによい手本がないかと皆考えている時でありますから、非常な共鳴力がありましょう。それ以外に今日の日本を救う道はないと信じます。

(昭和48年2月23日講)