安岡正篤の言葉 平成2612    

良い習慣の肉体化

 子供は本能が純真で、まだ色々の(きょう)雑物(ざつぶつ)(不純物)を持っておりませんから、何でも非常に受け入れる体制が自在である。よその国の言葉なんかすぐ覚える。できれば、一、二の外国語を習得することも望ましく、それはまた十分可能なことである。言葉と文字は人間文化の血脈である。児童はなるべく早くから民族の正しい言葉と文字を学ばねばならぬ。

それから特に児童に大事なことは習慣であります。習慣は肉体となり、本能となる生きた主義理論である。生活は習慣の作品である。良い習慣を身につけること、即ち躾は児童のために最も大切なことであります。             人生の五計

東洋哲学の真骨頂

 私の好きな慈雲尊者という真言律の名僧がある。大和の葛城の人だが、亡くなるまで講義をしておられて、その中にいわゆる生命の灯が消えかかってきて本が読めなくなってきた。生命の灯が消えかかっていることを和尚ご自身はまだご存じない。それで侍者(じしゃ)を呼ばれて「油をさせ」と言われた。小僧は行ってとにかく油を足した。しはらくしたら又「暗い、油をさせ」と、もうご本人は目が見えない。生命の灯がまさに消えかかっているのだから・・・。「はて、さっき注いだばかりだが」と小僧が見ると、まだいっぱいある。それで「和尚さま、油はまだいっぱいございます」と言ったら、「ああ、そうか」と言われて「禅家では()脱立(だつりゅう)(ぼう)(座ったまま亡くなったり、立ったまま死ぬこと)とやらをやられるそうだが、わしがのは、横になるのじゃ」と、お釈迦さまのように横になってそのまま亡くなられたという、おもしろい死に方だね。こういうふうにして天地悠々たるところが東洋哲学の一つの特徴である。 知命と立命

没落の真因

 経済の高度成長は大変なものですが、精神の高度成長が伴わなければ駄目です。伴わなければ、人間文明は没落を免れません。トインビーという歴史学者が古代世界の衰頽は、精神的衰頽の結果だと言っています。経済が栄えて人間が豊かになると考えるのは間違いです。衣食足れば即ち栄辱を知り、倉廩(そうりん)()つれば即ち礼節を知るというのは一つの通則ですが、その逆も言えるわけです。

人間にも空腹が必要で、西独では、繁栄に伴って人間がロースハムのように太りだし、病気や堕落がひどくなったということです。思想的にも欲張って飽食はいけません。企業体でも同じで、実業家が贅沢したり、楽をしてはだめですね。精神的に養われなくてはいけません。精神の高度成長は民族の精神を与えることです。哲人や偉人を国民に鼓吹するのです。     安岡正篤とその弟子

人間を善良にするものは

 中国人は惨憺たる歴史の中を生きてきただけに、実に老獪狡猾で徹底して利己的である。こういう有様であるが故に、彼らは何かに安心を得なければならない。それに触れるとまるで善良そのものである。すこぶる純情である。そうして彼らを善良にし、純良にするものは結局、徳・誠・愛・真である。そういう人物や、それを表す宗教・学問・芸術などである。そういうものに対する中国人の敬慕の念は、これはまた飢えたるものの食に対するが如く、渇したるものの水を見ると異ならない。

だからこの二つは全然相容れぬもののようで、実は同じ幹から生じた枝同志である。これは然し、徹底して言えば、およそ人間というものがこうしたものではなかろうか。悪人あるいは無頼漢が案外善良゜で純情であることが少なくない。善人が案外軽薄で虚偽に充ちていることも少なくない。貧苦の生活に思いのほか人間味が豊かで、富貴の生活がむしろ甚だ内容空虚であり、またありやすいことは苦労人なら誰も肯けるであろう。  天地有情

純真

人間が常に純真であるということが非常に大切な生の原理、人間性

の原理であり、従って道徳の原理であります。どんなに事情が複雑

になっても、人間が純真であればこれを統一解釈することができる。

これに反して雑縛になると、文字通り始末が悪い。純真は別に「精

一」ともいえます。中庸に「()れ精、惟れ一、(まこと)に其の中を執れ」

と言う説があります。人間はこの精一ということ、もつと要約すれば、「一」ともいえます、一を得ることが大切です。それは生の、造化の、根原に帰ることです。      人間の生き方

明るいということ

 子供の特性の最も本質的・根源的なものは、第一に暗い、明るいということ。人間が光を愛する、これは宇宙開闢(かいびゃく)・天地創造とともに生じたものです。我々は、まず光明を愛します。明るいというと同時に(きよ)いということ、(さや)かということ、(ほが)らかであること、清く赤き心、(さや)けき心。これは古神道の根本原理で、人間の子供も、これを根本徳とします。

だから、子供は常に明るく育てねばならない。明るい心を持たせ、清潔を愛するようにしなければいけない。それから素直ということ、真っ直ぐということ、即ち「(なお)き心」、仏法でも「(じき)(しん)」という。直心が人間を作る道場です。      運命を開く

 

恥と敬

 孟子は「恥ずる心ほど人間にとって大事なものはない」と言うでおる。それは恥ずる心を持っておると、自ら省みて精進するようらなり、やがては聖賢の域にも達することができるが、これを失うと、自ら省みることがないから、精進もしない。その為に禽獣に陥ってしまうからである。従って恥ずる心を起こすということは、過ちを改める上に最も大事なことである。

恥と敬とは一対のものであります。恥を知れば必ず敬を知る。敬を知れば必ず恥を知る。敬はより高き尊きものに対する人間の感情である。敬するを知れば、自ら省みて恥ずるようになる。人間と動物との違いもつきつめると、恥を知ると知らぬことに帰する。だから人を罵る一番の語を「恥知らず」という。その意味において人間の進歩向上は知恥ということから出発するということができます。                        

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