安岡正篤先生「易の根本思想」10
平成20年12月度
1日 |
比 水上地下 水地比 |
親附と派閥。師の逆に、衆が親しんで輔けあふのを比とする。 |
最初からおほらかで、いつまでも変らぬものであれば、咎はない。 しっくりしなかつた者も形勢を見てやがてくるであろう。後になってやってくる者はよくない。然るに、とかく比は陰の常として、私心・私情を以て、悪がたまりになろうとする傾向がある。あくまでも誠でなければならぬ。 |
2日 | 初六・ 六二 |
初六 自然に感応する所があって親しむのは咎めない。溢れるほどの誠意があれば、結局予想外の吉事があろう。 |
六二 内心から新附して、変わることなければ吉である。 |
3日 | 六三・ 六四 |
六三 |
六四 上の賢人に親しんで変わることなければ吉である。 |
4日 | 九五・ 上六 |
九五 堂々交親すべきである。王が三方から前なる禽を駆り立てて、逃げる者は逃がしてやるように、寛大を示せば衆は安心して附いてくる。吉である。 |
上六 |
5日 |
九 |
風上天下 風天小蓄 進歩と内省。巽の一陰が二陽を負ひ、乾の三陽を蓄止するの象である。陰陽交われば雨となるが、ここでは衆陽に対して一陰の力は弱い。雨とならず、密雲となって西郊より動く。 |
六四は、二・三・四即ち兌の上爻であり、天上の雲である。又、西方に当る。大いに為すあらんとして停滞している所である。下卦は乾の健であるが、上卦は巽であるから、己を空しうして能く従ふ。巽は「したがふ」である。中爻皆剛で、乃ち享る。志行はれるのである。進むことが大切である。文徳を立派にせねばならぬ。 |
6日 | 初九・ 九二 |
初九 |
九二 初九と相牽いて、道に復って往けば吉である。 |
7日 | 九三・ 六四 |
九三 勢よく進んできたのはよいが、ここに至って六四の陰に阻まれ、車体のつなぎがとれて自壊する危険がある。夫妻の歩調が合わず反目するような羽目になる嫌いがある。 |
六四 |
8日 | 九五・ 上九 |
九五 上下志を合して独り富むことなく、隣人と共に栄える。 |
上九 一貫した道義的実践によって目的を達した境地である。然し、陰の位にある陽爻であるから婦人は特に戒慎を要する。月で云えば満月に近い、満つれば虧ける。君子も進み過ぎるといけない。自分は善いと思っていても疑わしい所があるのである。 |
9日 | 十 履 |
天上澤下 天澤履 |
上下の分・明らかに、相待って志を実践してゆく規範であるから履と名づけるわけである。 又、一面より見れば、柔克く剛を制する象である。卦辞に「虎の尾を履むも、人を咥はず。享る」とあるは、このことを意味する。 |
10日 | 初九・ 九二 |
初九 あるがままにやっていって咎はない。 |
九二 何の険しいこともなく、坦々と行くのである。独り静かに、世の喧騒の中に入らず、その志を行う人(幽人)、節を変えないでゆくのが吉。 |
11日 | 六三 九四 |
この時にがらにもない野心を起こし、自負心を起こして甘い考えでゆくと、虎の尾を履んで、がっぷりやられることになる。凶。武人が大君になる、即ち軍人が政権を執って意気のみ盛んであるが、思慮の足りないようなものである。 |
九四 勇気を以て遂行すべきである。十分反省し戒慎すれば結局吉。 |
12日 | 九五・ 上九 |
九五 断固として決行すべきである。志節一貫していてもいが、位・正当であるからよい。 |
上九 実践の究極の問題は、平生の行いを視て、それがどういうめでたい応報(詳)になって現れるかを考察することである。人間の運・不運は平生いかなる行いをするかによって定まる。立派な行いを繰返しやっておれば元吉である。大いなる慶びがあるのである。 |
13日 | 十一 泰 |
地下天上 地天泰 発達と安泰。 辞に、小往き大来る。吉。享るとあるが、小は陰であり、大は陽である。陽は上り、陰は下る。 |
伝に説いている通り、天地交わって万物通ずる象である。 上下交わってその志同ずるものである。内陽にして、外陰である。内健にして外順である。内君子にして、外小人である。君子の道長じて、小人の道消えるのである。 |
14日 | 大象 |
大象に 「后以て天地の道を財成し、天地の宜を輔相して、以て民を左け右く」と説いている。 |
財成は裁成に同じ。反物を裁って衣服を縫いあげるように、素財(材)を有用な物にしあげることである。天地創造化育のはたらく(道)を人間の有用なものに応用し、天地が造化したもの(宜、義)に人功を加えて民衆の利便に供するという意味である。 |
15日 | 初九 九二 |
初九 同志の一脈相通ずる者率いてゆくがよい。 九二 啓発された、文化的なものだけでなく、野生的なもの、未開なものも包容する度量を持ち |
河を渡渉するぐらいの勇気を以て、疎遠な者も遺れず、さりとてぐるになって私を行う徒党派閥を亡くしてゆけば、向上進歩の道に合し光大になろう。 |
16日 | 九三 |
平らかなるものにして傾かぬはなく、往くものにして復らぬはない。どんなに難みがあろうとも志節を変えずにゆけば咎はない。 |
その孚を恤え疑うことはない。孚は必ずそれだけの験あるものである。生活にも恵まれるであろう。 |
17日 | 六四 |
三陽の上に在り、富貴に到達した位であるが、構えへこまずに、気軽く賢者に下り、 |
隣の六五である貴人まで誘うようであれば、自ずから大いに効果があろう。 |
18日 | 六五 |
あくまでも謙虚にして賢に結ぶこと、帝乙がその妹を謙臣に配した |
ようであれば自然の祉いあっての元吉である。 |
19日 | 上六 |
昔からいかに泰平の世も、必ずだんだんに衰替するようになるものである。城郭崩壊して濠池を埋めることを警戒せねばならぬ。軍隊を動かしてはならない。 |
無理な戦争を敢えてするのが最も危険なことである。その果は支配権を失って土崩瓦壊し、辛うじて都邑に虚位を擁するのみということにもなる。 |
20日 | 十二 否 |
天上地下 天地否 ―行き詰まりと打開。 |
泰の逆である。天地交わらずして万物通ぜす、上下交わらずして国家の体をなさない。内陰にして外陽。内小人にして外君子なるものである。 小人の道長じて、君子の道消することである。 |
21日 | 卦辞 | 卦辞に、否之匪人。不利君子貞と断じている。否之匪人は解し難い。朱子は恐らく之匪人の三字は間違って混入したものだろうとしているが、伝にも繰り返されてあるし、「此」の三爻に比之匪人という辞もあるから、やはり無視できない。 |
そこで在来は「之を否(塞)ぐは人に匪ず」とするか、「否は之人に匪ず」と無理に解説してきた。然し、この辞については本書比卦に明らかにした通り、聞一多氏がその古典新義の中に考証して的確である。 |
22日 | これは匪人に塞がる(之は於に同じ)で、匪人は強制労役に服する罪人であるが、転じて、悪人・疲民・窮民を意味する。この卦は正にソ連や中共の恐怖政治・強制労働を連想させるものがある。 |
「君子の貞に利ならず」は切実である。 平たく言えば、常道ではまづい。正直者が損をするどころか、どんなめにあわされるか分からない。 |
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23日 | そこで大象に「君子以て徳を倹し、難を避け、栄と禄とに可ならず」と説いている。「徳を倹す」とは徳を控え目にして目だたぬようにすることである。 |
人望を集めたり、人から尊敬されたりすると、どんなに忌まれて迫害されるかわからない。 出世し富裕になって人に羨まれることも危険である。 |
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24日 | 初六 |
小人は一人が挙がるとぞろぞろ同類相牽くものである。既に君子にとって危いことは察 |
知できるが、まだ否の始で弱いから、君国を思う者志操を守って、一途に行っていて吉である。 |
25日 | 六二 |
九五の正中に正応する。小人は従順に上の命を受容して吉である。 |
大人は理解されないが争はずに進むことができる。 |
26日 | 六三 |
陰を以て陽位に在り、上の九四に比し否塞の主爻である。羞づべく悪むべきものである。 |
辞に「包羞」とある。大人此処に在らば、羞を包み、恥を忍んで、事に当らねばならぬ。杜牧の名詩に所謂「包羞忍恥是男児」と境である。 |
27日 | 九四 |
否の前三爻を過ぎた、乾の初爻である。 |
時運漸く変じて、天命あらば咎はない。同志と幸福を得る。 |
28日 | 九五 |
この場合、否の形勢は休止する。大人その徳を以て力を発揮すれば吉である。小人・望を達して安きに狎れることも考えられる。 |
いづれにしても、叢生する桑樹を頼りにするに過ぎない状態で、破滅の機を恐れねばならぬ。 |
29日 |
上九 |
否は窮境之を打開せねばならぬ。いつまでも否塞するわけはない。この爻変ずれば沢地萃である。 |
大人に見うて和順し、大事を成すことができる。去って初爻に就けば風地観である。敬虔にして天下の仰ぎみる所となるべきものである。 |
30日 | 安岡正篤先生の述懐 |
終戦後、昭和22、23年頃、秋の一夜、上野の不忍池畔より山下広小路に出る途中、 | ふと売卜者の店先に「天地否の卦」を出してあるのが目にとまり、覚えず足を停めた。 |
31日 | 地天泰を書き誤ったものか、或は時正に天地否というべき日本の否運を慨して、敢えてこうしたものか。声をかけたいと思ったが、たまたま一婦人がその前 |
に立って、易者先生やをら筮竹を握ったものであるから、ついそのまま通りすぎた。私は今もその夜の占翁かせ、弱い火影に孤影粛然として佇んでいた姿勢を忘れることができない。 |