十二、「(がん)(えん) 第十二」

原文 読み 現代語訳
12月10日

一、
(がん)(えん)(じんを)(とう)子曰(しのたまわく)克己(おのれにかち)(てれいに)(ふくする)(をじん)(となす)一日(いちにち)克己(おのれにかちて)(れいにふく)(すれば)天下帰仁焉(てんかきじんにきす)(じんを)(なすは)(おのれ)(による)而由人乎(ひとによら)(んや)顔淵曰(がんえんいわく)(そのもく)(をこい)其目(とわん)子曰(しのたまわく)非礼勿(れいにあらざるもの)(みるなかれ)非礼勿(ひれいきくこと)(なかれ)非礼勿(ひれいいうこと)(なかれ)非礼勿動(ひれいうごくことなかれ)顔淵曰(がんえんいわく)回雖(かいふびんと)不敏(いえども)請事斯語矣(こうこのごをこととせん)

顔淵、仁を問う。
子曰く、
己に克ちて礼に復するを仁と為す。一日己に克ちて礼に復すれば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、人に由らんや。顔淵曰く、その目を請い問わん。

子曰く、
礼に非ざるものは視るなかれ、非礼聴くこと勿れ、非礼言うこと勿れ、非礼動くこと勿れ。
顔淵曰く、
回、不敏と雖も、請う、斯の語を事とせん。

顔淵が仁についてお尋ねした。
孔子は言われた、
「自己に打ち克って、礼に復帰することが仁の道である。一日でも自己に打ち克ち、礼に立ち返ることができれば、天下の人民はその仁徳に帰服するだろう。仁の実践は、自己の努力に由来する、他人に頼って仁を実践することはできない。」


顔淵がさらに質問した。「仁徳の具体的な実践項目を教えてください」。

孔子は答えられた。
「礼に外れておれば見てはいけない、礼に適っておらねば聴いてはならない、礼の欠けた発言をしてはならない、礼を外れた行動はいけない」。

顔淵が申し上げた。「私は愚鈍な人物ですが、先生のお言葉を実践したいと思います」。

12月11日 二、
(ちゅう)(きゅう)(じんを)(とう)子曰(しのたまわく)出門如(もんをいでてはたいひん)(にまみ)大賓(ゆるがごとくし)使民如承(たみをつかうにはたいさいをうく)大祭(るがごとくす)己所(おのれのほっ)不欲(せざるところは)勿施於人(ひとにほどこすなかれ)在邦無怨(くににありてはうらみなく)在家無怨(いえにありてもうらみなし)仲弓曰(ちゅうきゅういわく)雍雖(ようふびんと)不敏(いえども)請事斯語矣(こうこのことをこととせん)
仲弓、仁を問う。
子曰く、
門を出でては大賓にまみゆるが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くす。己の欲せざるところは人に施すこと勿れ。邦に在りは怨み無く、家に在りても怨み無し。

仲弓
曰く、雍、不敏と雖も、請う、斯のことを事とせん。
仲弓が仁徳について質問をした。
先生はお答えになられた、
「家の門を出たら国賓を迎えるように慎ましい態度、国民を使役する時は宗廟の大祭を勤める厳粛な気持ちで行う。

自分の望まないことは他人にもしてはならない。このような心であれば、国事でも人に恨まれることなく、家庭でも恨まれることはない」。

仲弓は申し上げた。
私は愚鈍な人物ですが、
先生のお言葉を実践して参ります。
12月12日

三、
司馬(しば)(きゅう)(じんを)(とう)子曰(しのたまわく)(じんし)者其言也刃(ゃはそのいうやかたし)(いわく)其言也刃(そのゆうやかたければ)斯可謂之仁已矣乎(すなわちこれをじんというか)子曰(しのたまわく)為之難(これをなすやかたし)言之(これをいうにじん)得無刃乎(なることなきをえんや)

司馬牛、仁を問う。
子曰く、
仁者はその言や刃(かた)し、曰く、その言や刃ければ、すなわちこれを仁と謂うべきか。
子曰く、
これを為すや難し。これを言うにじんなることなきを得んや。
司馬牛が仁徳について質問した。
先生が言われた。
「仁徳ある人は、言葉が饒舌ではない」。司馬牛はさらに聞いた。言葉が饒舌でない人であれば、それは全て仁者なのでしょうか。
先生がお答えになった、
「仁を実践することは難しい、仁者であれば言葉が滑らかであることはないだろう」。
12月13日 四、
司馬(しばきゅう)(くん)(しを)君子(とう)子曰(しのたまわく)君子不憂不懼(くんしはうれえずおそれず)(いわく)不憂不懼(うれえずおそれざれば)斯可謂之君子已乎(すなわちこれをくんしというか)子曰(しのたまわく)内省不疚(うちにかえりみてやましからざれば)夫何憂何懼(それなにぉかうれえなにおかおそれんや)
司馬牛、君子を問う。
子曰く、
君子は憂えず懼れず。曰く、憂えず懼れざれば、すなわち、これを君子と謂うべきか。
子曰く、
内に省みて疚しからざれば、それ何をか憂え、何をか懼れんや。
司馬牛が君子について質問した。
先生は答えた、
「君子は心配したり、恐れたりしないものだ」。司馬牛はさらにお尋ねする、心配したり恐れたりしない者は、みんな君子といっていいのでしょうか。
先生は言われた、
「自分自身を内省してやましいところがなければ、いったい何を心配して何を恐れるのだろうか」。
12月13日

五、
司馬牛憂曰(しばきゅううれえていわく)(ひと)(みな)(けい)兄弟(ていあり)(われ)(ひとり)(なし)子夏曰(しかいわく)商聞之矣(しょうこれをきけり)死生(しせい)(はめい)(あり)富貴(ふうきは)在天(てんにあり)君子敬而無失(くんしけいしてうししなうことなく)与人恭而(ひととうやうやしくして)有礼(れいあらば)四海之内(しかいのうち)皆為兄弟也(みなけいていたり)君子何患乎無兄弟也(くんしなんぞけいていなきをうれえん)

司馬牛、憂えて曰く、人は皆兄弟有り、我独り亡し。
子夏曰く
、商これを聞けり、死生、命あり、富貴は天に在り。
君子敬して失うことなく、人と恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たり。
君子何ぞ兄弟なきを患えん。
司馬牛は憂いて言う。
人間はみな兄弟がいるのに、私だけはただ一人だ。
子夏が言う。
私は死生は運命であり、富み栄えるのも天命だと聞いている。
慎み深い態度をとり、人と親睦して礼を失わなければ、人間世界はみな兄弟だろう。
君子は兄弟がないことを心配しない。
12月14日 六、
()(ちょう)(めいを)(とう)子曰(しのたまわく)浸潤之譖(しんじゅんのしん)膚受之愬(ふじゅのそ)不行焉(おこなわれざる)可謂明也已矣(めいというべきのみ)浸潤之譖(しんじゅんのそ)膚受之愬(ふじゅのそ)不行焉(おこなわれざる)可謂遠也已矣(えんというべきのみ)

子張、明を問う。
子曰く、
浸潤の譖(そしり)、膚受(ふじゅ)の愬(うったえ)、行われざる、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受愬、行われざる、遠と謂うべきのみ。

子張が、明知とは何かと質問した。
先生はお答えになられた、
「水が沁みこむように伝えられる他人の誹謗中傷、皮膚に感じる無実の訴え、この嘘を見破ることが明知である。他人の誹謗中傷を退ける、見破る、それが遠識なる明知であろう」。
12月15日

七、
(しこ)(うま)(つりご)(とをとう)子曰(しのたまわく)足食(しょくをたらし)足兵(へいをたらし)民信之矣(たみこれをしんず)子貢曰(しこういわく)必不得已而去(かならずやむをえずしてさらば)於斯三者(このさんしゃにおいて)何先(なにぉかさきにせん)曰去兵(いわくへいをさらん)曰必不得已而去(かならずやむをえずしてさらば)於斯二者(このにしゃにおいて)何先(なにぉかさきにせん)曰去食(いわくしょくをさらん)自古皆(いにしえよりみな)有死(しあり)(たみ)無信(しんずるなく)不立(んばたたず)

子貢、政を問う。
子曰く、
食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何をか先にせん。曰く、兵を去らん。曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。
曰く、食を去らん。古より皆死あり、民信ずるなくんば立たず。

子貢が政治についてお尋ねした。
先生が言われた、
「食物を十分にし、軍事を十分にし、人民に信用してもらうことだ」。子貢が質問、もし、やむを得ない理由で、この三つのうち諦めるとしたら、どれを先に諦めましょうか。
先生は言われた、
「まずは、軍事」。子貢が申し上げた。残りの二つのうちのどちらを先に諦めますか。先生は言われた、
「食物を諦めよ。古来から人はみな死ぬが、人民に信頼がなければ国家は成り立たぬ」。
12月16日 八、
棘子成曰(きょくしせいいわく)君子質而已矣(くんしつしつなるのみ)何以文為矣(なんぞぶんをもってなさん)子貢曰(しこういわく)惜乎夫子之説君子也(おしいかなふうしのくんしをとくや)駟不及(しもしたにおよ)(ばず)文猶質也(ぶんはなおしつのごとく)質猶文也(しつはなおぶんごとし)虎豹之(こひょうの)(かくは)猶犬羊之郭也(なおけんようのかくのごとし)
棘子成曰く、君子は質なるのみ、何ぞ文を以て為さん。子貢曰く、惜しいかな夫子の君子を説くや。駟(し)も舌に及ばず。文は猶、質のごとく、質は猶文のごとし、虎豹の郭は、なお、犬羊の郭のごとし。

棘子成が言った。君子は実質が重要、どうして装飾・形式などがいるだろうか。
子貢がそれに対して言った。棘子成が君子について語った言葉は、惜しい言葉だった。四頭立ての馬車の速度でさえ、舌禍を取り消すことは出来ない。装飾は実質であり、実質は装飾である、両者ともに必要なもの。虎・豹のなめし皮は、犬・羊のなめし皮のよう、どちらとも必要なもの」

12月17日

九、
哀公問於有若曰(あいこうゆうじゃくにといていわく)年饑(としうえて)(ようた)不足(らず)如之(これをいかん)(せん)有若対曰(ゆうじゃくこたえていわく)盍徹乎(なんぞてっせざらんや)(いわく)()()(われ)不足(たらず)如之何其徹也(これをなんぞそれてっせんや)対曰(こたえていわく)百姓(ひゃくせいた)(らば)君孰(きみだれとと)(もにか)不足(たらざらん)百姓(ひゃくせいた)不足(らずんば)君孰(きみたれとと)(もにか)(たらん)

哀公、有若(ゆうじゃく)に問いて曰く、年饑えて用足らず、これを如何せん。有若対えて曰く、盍ぞ(なんぞ)徹せざらんや。
曰く、二も吾猶足らず、これを如何ぞ、それ徹せんや。対えて曰く、百姓足らば、君孰(たれ)とともにか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。
哀公が有若に尋ねた。今年は不作で民が財政が不足しているが、どうしたら良い。
有若がお答えした。どうして収穫の
10分の1の税にしないのですか。哀公が言われた。10分の2の税金でも不足しているのに、どうして10分の1にするのか。
有若は申し上げた。
人民の生活が満足していれば、主君は誰と一緒に不足していると言うのですか。また、人民の生活が不足していれば、主君は誰と一緒に満足したと言えるのですか」。
12月18日

十、
子張問崇徳弁惑(しちょうとくをたかくしまどいをわかつをとう)子曰(しのたまわく)(ちゅう)(しんを)信徒(しゅとしぎに)(うつるは)崇徳也(とくをたかくするなり)愛之(これをあいして)(そのせい)其生(をほっし)悪之(これをにくんで)(そのし)其死(をほつす)既欲(すでにその)其生(せいをほっし)(またその)(しを)其死(ほつするは)是惑也(これまどいなり)

子張、徳を崇くし(たかくし)惑いをわかつを問う。
子曰く、
忠信を主として義に徒る(うつる)は、徳を崇くするなり。これを愛し、その生を欲し、これを悪んでその死を欲す。既にその生を欲し、またその死を欲するは、これ惑いなり。

子張が、人格を高め、迷いを分別する方法を質問した。
先生がお答えになられた、
「真心を尽くすこと、言ったことは必ず守ること、正しいとあらば、実行すること、さすれば、人格を高めることができる。
また、ある人を愛すること、その人の長生を願う、憎む人となれば早く死ぬことを願う。心が変わる。これが惑いである」。
12月19日

十一、
斉景公問政於(せいのけいこうまつりごとをこう)孔子(しにとう)孔子対曰(こうしこたえていわく)(きみはき)(みたり)(しんはし)(んたり)(ちちはち)(ちたり)子子(こはこたり)公曰(こういわく)善哉(よいかな)信如(まことにもし)(きみ)(はき)(みたらず)(しんはし)不臣(んたらず)(ちちは)不父(ちちたらず)(こは)不子(こたらざれば)(ぞくあ)(りとい)(えども)吾豈得而食(われえてこれをくらわ)(んや)

斉の景公、政を孔子に問う。
孔子対えて曰く、君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり。公曰く、善いかな、まことに如し、君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらざれば、粟(ぞく)ありと雖も、吾、得て諸(これ)を食らわんや。
斉の景公が、政治について孔子にお聞きになられた。
孔子はお答えした、
「主君は主君の本分を、臣下は臣下の努めを、父は家父の責任を、子は家族の努めを果たすということです」。
景公は言われた。
「その通りだな。もし本当に主君が主君らしくなく、臣下が臣下らしくなく、父は父らしくなく、子が子らしくなければ穀物が溢れるほどあっても安心して暮らせようか」。
12月20日

十二、
子曰(しのたまわく)片言可以(へんげんもってごく)折獄者(をさだむべきものは)其由也(それゆう)()(しろ)路無宿諾(だくをしゅくするなし)

子曰く、
片言以て獄をさだむべき者は、それ由か。子路、諾を宿する無し。
先生が言われた、
「裁判で、一言一句聞いて判決を下せるのは子路だけだ」。子路は承諾したことを引き延ばすようなことはなかった。
12月21日

十三、
子曰(しのたまわく)聴訟吾猶人也(うったえをきくはわれなおひとのごとし)必也(かならずや)使無訟乎(うったえなからしめんや)

子曰わく、
訟えを聴くは、吾猶人のごとし。必ずや訟え無からしめんや。
先生は言われた、
「訴訟の訴えを聴いて判決を下す場合には、私も一般の人と同じようなものだ。訴訟そのものを無くすようにしたいものだ」。
12月22日

十四、
(しち)(ょう)(まつりご)(とをきく)子曰(しのたまわく)居之無倦(これにおりてうむことなく)行之以(これをおこなうにちゅう)(をもってす)

子張、政を問う。
子曰く、
これに居りて倦むことなく、これを行うには忠を以てす。
子張が政治とは何かと質問。先生は言われた、
「政治の場では怠惰でなく真心を以て仕事をすることだ」。
12月23日

十五、
子曰(しのたまわく)君子博学於(くんしはひろくぶんを)(まなび)約之以(これをやくするにれい)(をもってせば)亦可以弗畔矣夫(またもってそむかざるべきか)

子曰わく、
君子は博く文を学び、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔(そむ)かざるべきか。
先生がおっしゃった、
「君子は学問を幅広く学び、礼にもとることなければ、人としての道を誤ることはないだろう」。
12月24日

十六、
子曰(しのたまわく)君子成人之(くんしはひとのび)(をなす)不成人之(ひとのあくをなさず)悪、小人(しょうじんは)(これに)(はんす)

子曰く、
君子は人の美を成す、人の悪を成さず。小人は是に反す。
先生は言われた、
「君子は他の美徳を認め、悪しきことに与しない。徳のない小人はこれとは反対のことをする」。
12月25日

十七、
季康子問政於(きこうしまつりごとをこうし)孔子(にきく)孔子対曰(こうしこたえていわく)(せい)者正也(とはせいなり)子帥而(しひきいるにせいをも)(ってすれば)(だれか)(あえて)不正(ただしからざらん)

季康子、政を孔子に問う。
孔子対えて曰く、政とは正なり、子帥いる(ひきいる)に正を以てすれば、孰か(たれか)敢えて正しからざらん。
康子が、政治について孔子にご質問をされた。
孔子はお答えして申し上げた、「政治とは正です。卿のあるあなたが、正しいことをすれば、誰が不正などするでしょうか」。
12月26日

十八、
季康子患盗(きこうしとうをうれう)問於(こうし)孔子(にとう)孔子対曰(こうしこたえてのたまわく)苟子之(いやしくもしのほっ)不欲(せざれば)雖賞之不窃(これをしょうすといえどもぬすまざらん)

季康子、盗を患う。
孔子に問う。
孔子対えて曰く、苟しくも、子の欲せざれば、これを賞すと雖も窃まざらん。

季康子が、盗賊が多いので孔子に対策を相談した。
孔子は答えた、
「もしあなたが無欲ならば盗賊に賞金を与えたとしても盗まないでしょう」。
12月27日

十九、
季康子問政於(きこうしまつりごとをこうし)孔子(にとう)(いわく)如殺無道以就(もしむどうをころしてもってゆう)(どうを)(なさば)何如(いかん)孔子対曰(こうしこたえてのたまわく)(しまつり)為政(ごとをなすに)焉用殺(いづくんぞさつをもちいん)子欲善而民善矣(しぜんをほっすればたみぜんなり)君子之徳風也(くんしのとくはかぜなり)小人之徳草(しょうじんのとくはくさ)(なり)草上之風必偃(くさこれにかぜをくわうればかならずふす)

季康子、政を孔子に問う。
曰く、もし無道を殺して以て有道を就さば何如。
孔子対えて曰く、
子、政を為すにいづくんぞ殺を用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草、これに風をくわうれば、必ず偃さん。

季康子は政治を孔子に聞いた。「不法者を処刑し、正しい行為の人民を賞賛するのはどうだろうか。
孔子は答えた、
「どうして政治に処刑を用いるのか。あなたが、善をしたいと思えば、人民は善い心がけをする。君子の徳は風のようなもの、小人の徳は草のようなもの。草は風に吹かれれば、必ずなびくものです」。

12月28日

二十、
(しち)(ょう)(とう)士何如斯可謂之達矣(しはいかんぞすなわちこれをたつというべき)子曰(しのたまわく)(なん)()(なんじ)所謂(がいわゆる)達者(たつとは)子張対曰(しちょうこたえていわく)在邦必聞(くににありてもかならずきこえ)子曰(しのたまわく)是聞也(これぶんなり)非達也(たつにあらず)(それた)達者(つなるものは)質直而(しつちょくにして)好義(ぎをこのみ)察言而(げんをさつして)(いろ)(をみ)慮以(おもんばかっても)下人(ってひとにくだる)在邦必(くににありてもかなら)(ずたっし)在家必(いえにありてもかなら)(ずたっす)夫聞(それぶんな)者色取仁而行違(るものはいろにじんをとるもおこないはたがい)居之不疑(これにおりてもうたがわず)在邦必聞(くににありてもかならずきこえ)在家必聞(いえにありてもかならずきこゆ)

子張問う。士、何如ぞ、これを達と謂うべき。子曰く、
なんぞ、爾が所謂、達とは。子張対えて曰く、邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。
子曰く、これ聞なり、達に非ず。それ達なる者は、質、直にして義を好み、言を察して、色を観、慮って以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。それ聞なる者は色に仁を取るも、行いは違い、これに居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。
子張が質問した。君子はどうすれば「達」といえるでしょうか。
先生は言われた、
「お前の言う達とは何か」。子張は答えた。国家に仕え名声を得て、豪族に仕えても名声を上げるということです。先生が言われた、
「お前が言うのは「聞」で「達」ではない。達とは、質朴で真面目であり正義を好み、言葉の意味を察して、顔色を洞察し、深慮をもって他人に謙譲の気遣いを示すことだ。国家に仕えても名声に達し、一族に仕えても名声に達する。「聞」は、顔色だけに仁徳があるように見せかけているが、実際の行動は仁から外れている。そして自分の仁徳を疑うこともできない。
この「聞」の人は、国家に仕えても名声を得て、一族(豪族)に仕えても名声を上げるのだ」。
12月29日

二十一、
樊遅従遊於舞樗之下(はんちしたがいてぶうのもとにあそぶ。)(いわく)敢問崇徳脩慝弁惑(あえてとう、とくをたかくしとくをおさめまどいをべんぜことを)子曰(しのたまわく)善哉(よいかな)(といや)先事後(ことをさきにしうるをあと)(にするや)非崇(とくをたかく)(するにあ)(らずや)(その)(あく)悪無攻人之(ほせめひとのあくをせむるなきは)(あく)非脩慝(とくをおさむるに)(あらずや)一朝之忿忘其身以及(いっちょうのいかりにそのみをわすれてて)(おやに)(およぼすは)非惑(まどるにあ)(らずや)

樊遅(はんち)従いて舞樗(ぶう)の下に遊ぶ。曰く、敢えて徳を崇くし慝(とく)を脩め惑いを弁ぜんことを。
子曰く、
善いかな問いや。事を先にして得るを後にするや、徳を崇くするに非ずや。その悪を攻めて人の悪を攻むるなきは、慝(とく)を脩むるに非ずや、一朝の忿りにその身を忘れて親に及ぼすは、惑いに非ずや。

樊遅が、先生に従っていき、雨乞いの高台の下で言った。徳を崇くし慝(とく)を脩め惑いを弁ぜん」という古語の意味を教えて下さい。
先生が言われた、
「質問するというのは良いことだ。仕事を先にし利益を得るのは後にする、それが徳を高めることにつながる。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めない、それが隠れた悪徳を取り除くことにつながるのではないか。一時の怒りに我を忘れて親族まで巻き込んでしまうのが、惑いというものであろう」。
12月30日

二十二、
樊遅(はんち)(じんを)(とう)子曰(しのたまわく)愛人(ひとをあいす)(ちを)(とう)子曰(しのたまわくひとをしる)知人(ちじん)樊遅(はんちいまだ)未達(たっせず)子曰(しのたまわく)挙直錯諸枉(なおきをあげてこれをまがれるにおけば)能使枉者(よくまがれるものをしてなおからしむ)(ちょく)樊遅退(はんちしりぞき)見子夏曰(しかをみていわく)嚮也吾見於夫子而(さきにわれふうしにまみえてち)(をと)(うや)子曰(しのたまわく)挙直錯諸枉(なおきをあげてこれをおうにおけば)能使枉者(よくおうしゃをしてなおからしむと)(いえり)何謂也(なんのいいぞや)子夏曰(しかいわく)富哉是言乎(とめるかなげんや)(しゅん)(のてん)天下(かをたもつや)選於衆挙(しゅうよりえらびて)(こうよう)(をあげ)不仁(ふじん)者遠矣(しゃとおざかる)(とおの)(てんかを)天下(たもつや)選於衆挙伊尹(しゅうよりえらびていいんをあげ)不仁(ふじん)者遠矣(しゃとおざかる)

樊遅、仁を問う。
子曰く、
人を愛す、知を問う。
子曰く、
人を知る。樊遅未だ達せず。子曰く、直きを挙げて諸(これ)を枉れる(まがれる)に錯けば(おけば)、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅退き、子夏に見て曰く。嚮(さき)に吾、夫子に見えて知を問うや、
子曰く、
直きを挙げて諸を枉れるにおけば、能く枉れる者をして直からしむ。何の謂いぞや。子夏曰く、富めるかな言や。舜、天下を有つや、衆より選びて伊尹を挙げ不仁者遠ざかる。

樊遅が仁について質問。
先生は言われた、
「人を愛することである」知について質問。
先生は言われた、
「人を知ることである」。
樊遅は意味が分からない。
先生が言われた、
「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」。樊遅は退席して子夏に聞いた。先ほど先生にお会いして、知について質問したが、「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」といわれた。どういう意味なのか。
子夏が言った。「何と含蓄のある豊かな言葉だろうか。舜が天下を統治していた時、群衆から正直者の皐陶(こうよう)を取り立てたので、不仁者が遠ざかった。商の湯が天下を統治していた時、群衆から徳のある伊尹(いいん)を取り立てたので、不仁者は遠ざかっていった」。

 

12月31日

二十三、
(しか)(とも)()(とう)子曰(しのたまわく)忠告而以善道之(ちゅうこくしてこれをぜんどうし)不可則止(きかざればすなわちやむ)無自辱焉(みずからはずかしめることなかれ)

子貢、友を問う。
子曰く、
忠告してこれを善導し、不きかざれば則ち止む。自ら辱むることなかれ。
子貢が朋友について質問した。
先生は言われた、「真心をもって話し、善の方向へと導いていく。しかし、友人が聞かなければそこでやめる。強引に善の方向に導こうとする自分自身を辱めるような行為はしてはいけない」。
12月31日

二十四、
曾子曰(そうしいわく)君子以(くんしはぶんを)(もって)会友(ともをかいし)(とも)(をも)(ってじん)(をたすく)

曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。

曾子が言っ。
君子は学問により友人を集め、友人との関係の中で仁徳を高めていく。