「女の四十と男の五十」
「婦人の齢四十、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶含羞。且多くは舅姑の上に在る有り。四十に至る比、鉛華漸く褪せ、頗能く人事を料理す。因って或は賢婦の称を得ること或は此の時候に在り。然れども又其の漸く含羞を忘れ、修飾する所無きを以て、或は機智を挟み、淫妬を縦にし、大に婦徳を失うも亦此の時候に在り。其の一成一敗の関猶男子五十の時候の如し。予め之が防を為すを知らざるべけんや。」
一斎先生の婦人問題に対する卓見であります。
女の四十という年齢は、生理的にも心理的にも、一つの変化の時期であります。三十前後までは、女は女らしい恥じらいというものを持っております。これは特に女にとって美徳であります。
大体、人間は、敬―尊敬と、知恥―恥を知る、即ち、敬することを知り、恥ずることを知るということから、動物以上になるわけであります。人間と動物のボーダーラインは「敬と恥」であります。
就中、恥づるということは、男にとっても元より本質的な道義・道徳心ですけれども、特に女には大事な徳であります。男は元来陽性ですから、どちらかというと、外へ伸びる方ですが、女は陰性ですから、内に含む、即ち内面的・内省的であることが本質です。
そこから自ら生ずるのは恥を知る、恥ぢらうということで、それが体に反映するのが「羞」という字です。恥は、どちらかというと心理的でありますが、羞は体に表現された恥じらいを申します。そこで含羞と申しまして、含という字が極めて大切であります。然し、あまり露骨に出ると、また少し問題があります。
本文に戻りまして、三十前後というと、まだ年が若いから、家には舅も姑もおるが、四十ぐらいになると、家事に追われて化粧もせず、なりふりを余り構わなくなる。そして世間のつきあいや、家事について、きびきびとやるようになるから、あれはよく出来た女だ、良い奥さんだと云われる。
これは良い一面であります。然し別の面では、横着になり、ずうずうしくなって、なりふり構わぬようになる。そうなると地金が出て、よく気が利き、頭が働くものですから、遂には嫉妬心が丸出しとなって、失敗をも招くことになる、その通りですね。
折角苦労して、妻の座或は夫の座が安定し、人間も出来たという年齢が、或は成功であるのか、失敗であるのか分かれる年齢が、女子は四十過ぎ、男子は五十過ぎであります。男子はその頃から大体自信も出来、経験が積まれるようになって立派になる人間と、俗物になる人間とに分かれてくる。これは男女とも同様でありますが、男子の方が女子よりも少し遅れます。
兎に角、世の中には、色々と難しい問題もありますが、結局、人間が一番難しい。そして人間をどう治めるか、どう養うか、ということは結局自分をどう養うかということでありまして、誠に興味津々たるものがあります。一斎先生はこういう人でありますから、よく弟子を教え、諸大名を指導し、また幕府の治績にも大変手柄のあった、文字通り大学者であり同時に大教育家であり、立派な政治家でもありました。
こういう人間学が、あらゆる学問の中でも一番根本であって、政策だの、政論だの、というものはこれは手段・方法にすぎません。例えば、公害問題を取り上げてみましても、議論は幾らでも出来るが、それを実際にどうするかということになりますと、
これが人間にとって一番難しいところであり、これからまた道も開けて貴いものであります。所謂活学、活人であります。
安岡正篤先生の言葉