1218日 君子の「淡」

 これを別にまた「(たん)」という。(あわ)いとは味が薄い、味が無いということではない。「君子の交わりは(たん)として水の(ごと)し」(荘子)とは、水のように味が薄いということではない。水のように何とも言えない味、それこそ無の味ということである。事実、人間、皆死に臨んで水を欲する。末期(まつご)の水である。末期(まつご)にコーヒーや砂糖は欲しはせぬ。稀に豪傑の士にして酒杯を傾けて(おわ)った者もないではないが、あくまでも例外である。そこで古人が、(たん)(そう)とか(たん)(えん)とか(じょ)(すい)と号した所以がわかろう。          王陽明