鳥取木鶏会 12月例会

本当の道徳は、我々の人格・家庭・社会・国家を健康にしてゆくこと。

道徳とか、躾と言うものは、我々が、どういう風に考えるか、どう

いう風に実行するか、どういう事が人間にとって良いかと言うこと

を修行することで、生活の記録であり、考え方、行い方の美的法則

である。

道徳は真の法則であり、礼儀は美の法則であり、躾は真理と美の合

体したものである。だから極めて広く考えれば、我々が我々の人格、

我々の家庭、社会、国家というものを健康にしてゆくことが道徳で、

道徳とは最も自然なものだ。笑いたいのを笑わないで泣きたいのを

泣かないで我慢しているのが道徳でなく、いかに笑い、いかに泣く

かということが道徳です。酒を飲まない、煙草を吸わないのが道徳

じゃない。どう言う風に飲むか、どういう風に吸うかということが

道徳だ。下らない人間が酒を飲むと、実にだらしなくなるが、哲人

が酒を飲むとほれぼれとした酔い方をする。咳払いでも、いやな奴

が咳払いすると癪にさわるが立派な人がすると、とてもいい感じが

する。              講演集 

我々の信条「七か条」

高い精神と美しい感情とか一切を解決する。徳義の世界を実現せねばならぬ。

1.    我々は深き伝統的根底に立って、堅実にして日進の成長繁栄を期する。

2.    我々は悪を除くには急進的で、善に対しては保守的でなければならぬ。

3.    我々は我々の本質を通じて徳義の世界を実現せねばならぬ。

4.    物質と経済とは、いかに必要であっても、決して第一義ではない。高い精神と美しい感情とが一切を解決する。

5.国家の繁栄と偉大とは、その領土や資源や生産よりも、その能力・精神・風俗に依ることを信ずる。

5.    我々は世界の平和・人類の幸福を念願する。それゆえに我々は益々日本民族の徳と力とを反省し培養することを念願する。

6.    思想は常に生の進歩でなければならぬ。生の最高の姿は正義である。正義の為に死ぬことも生の不滅である。  

佐藤一斎「言志耋録(てつろく) 

89.敬六則 その一

敬は(すべか)らく活敬を要すべし。騎馬馳突(きばちとつ)も亦敬なり。(わん)(きゅう)(かん)(かく)も亦敬なり。必ずしも跼蹐(きょくせき)畏縮(いしゅく)の態を做さず。 

岫雲斎

敬は活き活きと行動して発揮するものだ。馬に乗り突進することも敬である。弓を引き絞り敵の甲冑を射抜くのも敬である。必ずしも、天に向い、背をかがめ、地に抜き足するように恐れ萎縮しているのを敬としない。 

90. 敬六則 その二

敬する時は、強健なるを覚ゆ。敬(ゆる)めば則ち萎?(いでつ)して(たん)()するを能わず

岫雲斎

敬は心を緊張することだから、敬する時は、身体が強く健やかなことを覚える。敬の心が弛緩すると身体がしなび萎れてきちんと坐ることさえ出来ない。 

91.. 敬六則 その三

(きょ)(けい)の功は、最も(しん)(どく)に在り。人有るを以て之れを敬しなば、則ち人無き時敬せざらん。人無き時、自ら敬すれば、則ち人有る時尤も敬す。故に古人の「屋漏(おくろう)にも()じず、闇室(あんしつ)をも(あざむ)かず」とは、皆慎独を謂うなり。 

岫雲斎

常に謹厳な態度を保つ工夫は独りでいる時でも道に背かない事が肝要。人が居るからと云って慎むならば人がいない時には慎まないであろう。人が居ない時に自慎むなら人の居る時には尚お一層慎むであろう。(居敬は、身心を慎むこと。論語「敬に居て簡を行い、以てその民に臨まば、また可ならざらんや。大学「君子は必ずその独りを慎む。詩経「(なんじ)の室に在るを相るに尚屋漏に愧じず。) 

92.. 敬六則 その四

坦蕩蕩(たんとうとう)(かたち)は、(じょう)(せい)(せい)の敬より来り、常惺惺の敬は、活溌溌(かつぱつぱつ)の誠より出ず。 

岫雲斎

君子の容貌、姿態は坦然と平安であり、寛厚である。これは何によるのか。始終、心聡く落ち着いている敬に依拠している。その聡い敬は死物ではなく活き活きとした誠から出てくるものだ。(論語、述而篇、「君子は坦蕩蕩たり」。心が平らかで(ひろ)いこと。(じょう)(せい)(せい)、いつも心静かに落ち着いているさま。) 

93. 敬六則 その五

(ぼく)(じゅ)も腰を折れば、?(がん)せざるを得ず。(にゅう)(どう)も、手を(こまぬ)けば、亦(たわむ)()からず。君子、(きょう)(けい)を以て甲冑(かっちゅう)と為し、(そん)(じょう)を以て(かん)()と為さば、誰か敢えて非礼を以て之れに加えんや。故に曰く「人自ら侮って而る後に人之れを侮る」と。 

岫雲斎

牧場で働く子供でも、腰を屈めて敬礼されたら、(うなず)いて挨拶してやらねばなにぬ。乳飲み子でも手を(こまね)いて敬意を表せば、これまた、ふざけるわけにはゆかぬ。まして、立派な人が、(うやうや)しく敬する事で自分を守る(よろい)(かぶと)として(へりくだ)った心の楯とすれば、誰だって敢えて無礼、非礼をしないであろう。古人も「人は自ら侮るから後で侮られる」と云っている。 

94. 敬六則 その六

(けい)(やや)(ゆる)めば、則ち経営心起る。経営心起れば、則ち名利心(めいりしん)之れに従う。敬は(ゆる)む可からざるなり。 

岫雲斎

慎むの心が緩んでくると、企みの心が起きてくる。企みの心が起こってくると、名利に走ろうとする心が起きてくる。そうなると、道徳を害う危険があるから敬の心を緩めてはいけない。 

95.労と逸とは相関的

身労(しんろう)すれば則ち心(いっ)し、(しん)(いっ)すれば則ち心労す。

岫雲斎

身体を働かすと心は安逸となる。身体を安逸にすると心は却って苦労する。労と逸とは相関関係にある。

95.労と逸とは相関的

身労(しんろう)すれば則ち心(いっ)し、(しん)(いっ)すれば則ち心労す。

岫雲斎

身体を働かすと心は安逸となる。身体を安逸にすると心は却って苦労する。労と逸とは相関関係にある。

96.義二則 その一

凡そ事を為すには、当に先ず其の義の如何を(はか)るべし。便宜を謀ること勿れ。便宜も亦義の中に在り。

岫雲斎

総て、事をなすには、その事が道理に適っておるかどうかを考えなくてはならぬ。都合の良さを考えてはならぬ。都合の良さも道理が適うかどうかの中にあるのだ。