安岡正篤先生語録集 そのB

逆境・難境

 人間は逆境・難境に遭遇すると、いかに学問が大切であるかということが分ります。真の学問をやっておれば、しみじみ問題を考えることができる。考えることが出来れば、自らそこに光も差す、期待もわく、また楽しみも生じてくるというものです。だから人間はやはり学問をしなければいけません。 (干支の活学)

.技は偽

 現代文明の一つの危険は、自然を犠牲にして、技巧に走ったということ、その禍を今も深刻に受けております。自己疎外・人間疎外も、つまりそれです。技巧の技という字は、手扁に支で、支は分派、岐れるという字であり、本流に対して支流・分派・派生・末梢化・分裂・衝突になります。つまり、技は偽に通じます。人が為す、それが真実を自然を誠を失うと、「いつわり」になります。                  (青年の大成)

.無心に働く

我々は怠けておってはいかん。と云って色々邪念・妄想を持ってもいかん。身を挺して無心にとにかく働く。そうすることによって、先ず自分自らの「平和と歓喜の曙光を迎えよう」。自分がいかに無力であっても、多数集まれば、一つの灯がいかにほのかであっても、千灯万灯ともなれば、それこそ輝く大いなる光になるのと同じことである。                                        (心に響く言葉)

.内と個に徹する

 人間は現象的に煩雑になればなるほど、根源から遠ざかり生命力が弱くなる。内面生活の充実を忘れて徒に煩雑な外面の現象にとらえられておると、だんだん生命力が減退してくる。だから生命力を強くする為には常に内にかえらなければなりません。内に反って己に徹し個に徹するほど力が出でくるのであります。 (呻吟語を読む)

.人間は精神が根本

 人間の人間たる所以は心を持っておると言うこと、大自然の思想、造化の神の営みによって人間は精神の世界を持つようになったと言うことです。草木で言えば根から始まる、人間で言えば精神が根本、心が始まりである。これをお留守にしては駄目だということが、この頃では哲学よりは寧ろ科学の分野からこれを論断するようになった来ました。                                        (講演集)

.敏とは

 敏と言うのは、我々が与えられた素質や能力を出来るだけ活発に働かせることであります。事業で言うならば、例えば工場をフルに働かせて能率と成績をあげることです。つまり鈍の反対であります。敏行とか敏求ということは人間に大切なことです。而るに我々は折角与えらておる自己の素質や能力をフルに使わぬものであります。(暁鐘)

理想は無限

 理想というものを天を以て表しているのは、それが一番能く理想の本質を表しているからであります。理想というものは第一無限でなければならない。造化が無限そのものなんだから、従って理想というものはあくまでも無限でなければならない。そして同時に変化そのものでなければならない。限りなく変化を含むものでなければならない。無限ということは変化ということです。これは理想の特質ですが、それを表すもの天に()くものはない。天は無限である。天ほど変化にとんだものはない。                    (東洋学発掘)

有志者の集いを

 仏人・A・カレル氏も、『人間、この未知なるもの』で力説しているように、「現代社会をよく革新するためには、一般俗人と見解や生活態度を異にした有志者のグループを作る必要がある。そうした人々の数は必ずしも多きを要しないと。この恐ろしい、失われゆく人間性を回復することは、どうして出来るか。それは結局個人の中においてより外はない。                                       (人生の大則)

大衆心理の本質

 人間はとかく、日常生活の退屈に流れてしまって、何かと刺激を要求するものであります。何か珍しい話を聞きたがるものである。ニュースを求めるものである。そのニュースもただのニュースでは面白くない。何か変わった事、刺激の強いもの、異常なものほど実は満足するのであります。これは世界どこの国でも大衆心理と言うものでありましょう。人間はとかく、自分の存在、自分の責任、自分の使命というような事を忘れていい気になって他を論じ易い。(講演集)