純の純なる日本的の山の姿 

それは大峯奥駈道の事である。初めてこの山の奥秘境へ足を踏み入れた時、鬼気の迫るような悽愴(せいそう)気持ちに襲われた。森林と渓谷の測り知れない深さ、そそり立つ岸壁の物凄さ、高い湿度により生ずる陰湿、熊や毒虫の不安、その昔、役の行者以来二千年来集積された歴史に絡まる畏怖すべき伝説など様々なものから(かも)し出される空気が確かに存在する。
紀伊半島の
脊梁(せきりょう)をなす大峯山脈は近畿の屋根であり、全長100
キロを越える山波に途絶えることなく一筋の(そま)道が延々と続き「大峯奥駈道」と言われ中世から日本最古の山岳宗教修験場である。始点は吉野・蔵王権現堂、終点は熊野本宮大社。

山岳登山に興味を抱特に
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歳を過ぎてから猛烈に挑み、関西百名山を殆ど踏破した私が大峯奥駈道に収斂(しゅうれん)されてゆくのは自然であった。吉野から熊野まで、大先達(だいせんだち)と呼ばれる山伏でも、最低5泊を要し、特に太古の辻からは、2泊の自炊を必要とし、少し前までは、道無き道のようで至難なものとされていた南奥駈道と称する奥駈道後半である。ここは人影も無く、落雷により大木の立ち枯れや、台風による巨木の倒木は数知れず、千古斧を知らぬ古色の原生林風景に溢ふれている。

「純の純なる日本的の山の姿」と住友山岳会著、近畿の山と谷にある通り日本に残された最後の大自然に違いない。私は、一気に踏破する自信も勇気も無く、数年かけて断続的に挑戦し続け去る
5月遂にその南奥駈道を終えた。近鉄吉野線大和上市からバスで前鬼口まで乗り継ぐこと2時間半、さらに山麓の小仲坊の宿まで登り3時間。宿の主人は平安時代「(えん)の行者」の弟子、前鬼・後鬼の後鬼の末裔・五鬼と称される61代目。

翌朝午前
5時、18キロのリュックを背負いこの谷の遡行を開始し稜線にある奥駈道、太古の辻まで2時間半。そこから南奥駈道がスタート。既に大峰山・釈迦岳・弥山などは吉野からすませているが、ここまで4泊必要とする行程である。
初日は約
10時間歩行で幾多の原始林の山々の登り下りを重ねて待経小屋にて自炊しシュラフにもぐる。水は谷まで汲みに行く。二日目は午前4時半から歩行開始、12時間かけて次の宿を目指す。途中には笠捨て越えという長くて急峻な登り、急激な下り、そして槍ヶ岳と地蔵岳という岩稜の最大難所が控えている。石楠花の咲き乱れる三角錐の岩尖の峯を鎖や木の根を掴み、上下しなくてはならない。これは文字通りの真剣勝負命懸け。基本の三点固定で風景など見る間もない。幸い快晴であったが、風雨では危険極まりない。姥捨(うばすて)山であったという不気味な香精山の稜線を行く、午後2時台でも真っ暗な杉林の急降下のような道は少しも油断ならない。貝吹金剛から塔の谷の大森林を1時間かけて下るのだが、何とか4時台に里に下らなくては道を迷う恐れ。ヒルに注意しながら風のない谷間の蒸し暑さに閉口しつつ下山、民宿の小さいお風呂で人心地がつき老夫婦の親切に心温まる。
翌朝、再び稜線に登り、奥駈道にでて神武天皇のヤタカラスで有名な神代杉・千年杉の聳える玉置山・玉置神社に向かう、宝冠の森に横道し午後
3時到着。十津川温泉掛け流しの露天風呂と美味しい夕食で人心地。最終日は熊野大社近くから古式の熊野川下りの舟で新宮まで1時間半、熊野川情緒を楽しむ。熊野川界隈の雄大な風景を楽しみつつ新宮速玉大社へ75才結願御礼の参詣を終えた。

(鳥取市)鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典