日本の悪い習慣
「一方に正義があると知るなら、中立に留まるのは不正である」(カステリー)
社会には、正義と不正義の二つがある。本質的、根本的に言ってどちらかでなければならぬ。正義と不正義との間などというものりは許されない、ということであります。
処が日本には「私はよく知らないが」という挨拶があるように、どうもどちらが正しいかという場合に臨むと、はっきりさせないという悪い習慣があります。
何かやむを得ない現実の問題があって、暫く政策的に中止するということはあるが、
本質的正義か不義かとなると、中立は許されない。明確な価値判断が必要です。曖昧ということが一番いけません。
「曖昧は誤謬の住む国である」(ヴオーブナルグ)。
人間には一種の臆病、或いは打算というものがあって、難しい問題、大事な問題ほど曖昧にする。
それは不養生と同じことで、後になると祟ります。
物事を曖昧にして次第に正確・信念というものを失うと、時の勢いに流されて奴隷的、所謂隷属となりましょう。ソ連や中共を見てもよくわかることであります。
平成19年12月5日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典