為政者といかもの 

「寛にして(じゅう)ならず、(めい)にして(さつ)(悪い意味で、ほじくる)せず、簡にして()ならず、()にして(ぼう)ならず、此の四者(よんしゃ)を能くして以て政に従ふべし。(よう)(ぼう)の人は高きに似たり、苛察(かさつ)の人は明に似たり、円熟の人は(たつ)に似たり、軽佻(けいちょう)の人は(びん)に似たり、懦弱(だじゃく)の人は(かん)に似たり、拘泥(こうでい)の人は(こう)に似たり、皆似て非なり」 

上に立って人を指導し使ってゆくことは難しい。そこで先ず四つのことが出来て始めて上に立って政治を取ることができます。 

第一は、ゆるやかであるが締めくくりがある。 

次に、よく分かっておりながら、うがち過ぎない、立ち入らない。 

第三は、簡潔ではあるけれども、粗雑でない。 

最後は、きびきびやるけれども、荒々しくない。 

以上の四つのことが出来て、始めて政治を取ることが出来る。

似て非なるもの

「養望の人は高きに似たり」、自然ではなく、自分の作為で人気を集めるというような人は、一見した処、立派な高い人のように見えるものである。 

或いは、細部に気がつき、うるさくほじくるような人は頭がよいように見え、円く練れておると思われる人は、達人のように見え、軽々しい人は、小才が利くので、頭がよいように見えます。 

また、引っ込み思案の人は寛大に見え、始終ものごとに囚われてきびきびしない人は、いかにも人間が厚いように見えますが、これらは全て似て非なるものである、と言うのです。 

私達の周辺を見渡しますと、このような人が沢山おりますが、これを見分けることは困難であります。 

政治というものは、要するに人間をどうするかということに外なりません。 

人を用いること、人を治めること等すべて政治の内容は、突き詰めると人間であります。 

然し、人間というものは、他の動物と違って複雑で中々難しい。 

そこで人の上に立つ者、真に事をなす者は、人間通でなければなりません。と言うて、その人間通に悪ずれしてもいけません。誠でなければならぬので、非常に難しいのであります。   

                安岡正篤先生の言葉