鳥取木鶏会 12月レジメ 

藤原正彦氏「国民に告ぐ」 最終回

日本文化が持つ普遍的価値

実は今、頽廃に直面しているのは日本ばかりではない。欧米をはじめ世界的規模で変調が起きている。産業革命以来、世界は欧米の主導下にあった。それは、論理と合理の理性を唯一の原理として進む文明であった。帝国主義も共産主義も新自由主義も、その原理から生まれたモンスターであった。20世紀になってから世界中で一斉に噴出し始めた困難は、この原理の行き詰まりを意味する。

論理、合理、理性は無論、最重要のものであり断じて否定さるべきものではない。ただそれだけで人間社会を仕切るのは不可能ということが露呈したのである。帝国主義と共産主義の誕生から滅亡への過程で人類は恐ろしい犠牲を払った。現在は新自由主義の破綻で苦しんでいる。

リーマンショックから現在のギリシャ危機、ユーロ危機に至る一連の危機は、一言で言うとデリバティブ(金融派生商品)によるものだ。確率微分方程式というかなり高級な数学を用いた経済理論にのっとった論理の権化と言えるものだ。

五年前に出版した拙著「国家の品格」の中で次ぎのように記した。「「(デリバティブ)は現状では最大級の時限核爆弾のようなものとなり、いつ世界経済をメチャクチャにするか、息を潜めて見守らねばならないものになっています。然もなぜかこれに強力な規制を入れることも出来ない。そもそもマスコミはこれに触れることすら遠慮している。資本主義の論理を追求していった果てに資本主義自身が潰れかねないような状況にだんだんなっているのです」。

エコノミストから大分批判された部分であったが、その通りになってしまった。そしてやっと今頃になってアメリカや欧州で規制が言われ始めている。現在の経済危機はまだまだ続く。世界は誤った新自由主義による金融不安や不況に苦しめられているものの未だ各国が打ちのめされていないからだ。

人間は一つの原理にどっぷり漬かっていると本質が見えなくなる。ここ一世紀間に次々とモンスターは破局を迎え人類は悲惨を味わったにもかかわらず懲りない欧米は未だに原理を疑おうとせず、同じ原理で物事を進めようとしている。欧米は他の原理を持ち合わせていないからだ。

欧米以外の諸文明に生きる人々はこの原理から適切な距離を置きつつ自らの文明を少しずつ取り戻すことである。

効率、能率、便利、快楽、なかんずく富こそが幸福と、大いなる勘違いをし、それらばかりを求めるグローバリズム、大きくは欧米文明への追随に決別し各国はその国柄を大事にすることである。新しいローカリズムである。とりわけ我が国は真に誇るべき文明を育んだ国である。それに絶大な誇りを持ってよい。

19世紀に書かれた「CHARACTER(キャラクター)」の中でスマイルは、「国家とか国民は、自分達が輝かしい民族に属するという感情により力強く支えられるものである」(藤原訳)と言った。

祖国への誇りを持って初めて先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができる。

アメリカの横暴やロシアの不誠実を諫め、中国の野蛮を戒め口角泡を飛ばし理屈ばかり言う米中に「論理とは殆ど常に自己正当化に過ぎないものですよ」と諭すこともできる。世界を動かすしシステムに日本の視点から堂々と注文をつけることも出来る。

「過去との断絶」「誇り」を回復せよ

日本人が祖国への誇りを取り戻す為の具体的な道筋は何か。日本人は「敗戦国」をいまだに引きずり小さくなっている。戦争は勝つか負けるかのゲームだ。ユーラシア大陸の国々は有史以来、どの国も勝ったり負けたりだから、勝敗は時の運と思い長期間うなだれたりはしない。日本は負けなれていなかったからショックが大きかっただけだ。ユーラシア人のように「時の運」と割り切ることだ。

ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP=戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画)で植えつけられた罪悪感を払拭することだ。そして作為的になされた「過去との断絶」を回復することだ。即ち、「誇り」を回復するための必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない東京裁判の断固たる否定でなければならない。

その上で、第二は、アメリカに押し付けられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、新たに、日本人の、日本人による日本人の為の憲法を作り上げることだ。現憲法の「前文」において国家の生存が他国に委ねられているからだ。独立国でなくなっているからだ。

そして自衛隊は明らかな憲法違反であり、「自衛隊は軍隊でない」という子供にも説明できぬ嘘を採用しなければなくなっているからだ。国家の軸たる憲法に嘘があるからだ。

「嘘があってもいいではないか。戦後の経済発展は軍備に金をかけずに経済だけに注力したからではないか」と言う人もいる。これも真赤な嘘だ。戦前のドイツ、日本、戦後の韓国や台湾、近年の中国など、毎年GDP比10%、或はそれ以上の軍備拡大をしながら目覚ましい経済発展を遂げたからだ。軍備拡大とはある意味で景気刺激策とも言えるのだから寧ろ当然なのである。

次いで第三は、自らの国を自らで守ることを決意し実行することだ。他国に守ってもらう、というのは属国の定義と云ってもよい。屈辱的状況にあっては誇りも何もないからだ。一時的にでも自らの力で自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を結ばねばならない。 

日本人の築いた文明は、実は日本人にもっとも適しているだけではない。個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠(そくいん)や「もののあわれ」など美しいと感ずる我が文明は「貧しくともみな幸せそう」という、古今未曾有の社会を作った文明である。

戦後になってさえ、「国民総中流」という、どの国も達成出来なかった夢のように社会を実現させた文明である。 

今日に至るも、キリスト教、儒教、その他いかなる宗教の行き渡った国より、この美的感覚を原理としてやって来た日本で、治安はもっともよく、人々の心はもっとも穏やかで倫理道徳も高いのである。

この美的感覚は普遍的価値として今後必ずや論理、合理、理性を補完し、混迷の世界を救うものになろう。

日本人は誇りと自信をもって、これを取り戻すことだ。これさえあれば我が国の直面する殆どの困難が自然にほぐれて行く。 

さらに願わくば、この普遍的価値の可能性を繰り返し世界に発信し訴えて行くことだ。スマイルズは前述の書で次ぎのように言った。

「歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ最も実り多い時代だ。それを乗り越えて初めて国家は更なる高みに到達するからである」(藤原訳)。現代の日本はまさにその苦境に立たされた時代だ。日本人の覚醒と奮起に期待したい。

                        完