安岡正篤の言葉 平成27年12月 徳永圀典選
絶えざる変化
祖国と青年
死とは何ぞや
死とは何ぞや。これほど人間に真剣な問題はない。その一結論として、「未だ生を知らず、焉ぞ死を知らん」という孔子の子路に対する答に私はおのづから襟を端すものである。そうして「死とは何ぞや」の問題を「いかに死すべきか」の行動をもつて解決した古人、特に我々の祖先に無限の敬意を覚える。西洋の詩人・哲学者などが詳しく日本人の死の研究を行ったならば、彼らは、いかに驚嘆することであろう。武士道に限らず、およそ日本の国体・歴史・一切の文化は「死の覚悟」の上に成立っていると言っても過言ではない。
平素の覚悟
日本民族の理想的精神は如何に生くべきかの問題について深刻な練磨を重ねた。如何に生くべきかは寧ろ武士の教えの如く、如何に死すべきかとした方が切実であろう。人は天晴な死を遂げむ為に、必然平素に於て死の覚悟がなければならぬ。何となれば天晴の死し絶対的価値の体現、即ち永生である。然るに死に臨んで忽ち狼狽するようでは静慮より発する知恵は光を滅して至尊なる価値を体認するよすががない。絶えず死を見つめるだけの余裕があって、始めて不朽の価値ある死に就くこともできるであろう。