中国、あれやこれや その24

平成18年12月

 1日 日本を裏切り続ける中国 中国政府は、教育やマスコミなど、あらゆる手段を使い国内向けに反日宣伝をしているばかりでなく、国際社会でも、例えば国連安全保障理事会の常任理事国になる事を阻止する為、日本の悪口を触れ回り、誹謗中傷を続けていた。 日本が常任理事国入りを希望している事に付込んで、日本に「ゆすりたかり」をする一方で、他国には「日本には資格が無いなどと言い、国家の面子を大いに傷つけたのである。
 2日 李鵬 その他にも何かしらチャンスあれば日本を盛んに誹謗するのは韓国と似ている。中国・韓国の中華思想の根の思想がこれであり、孔孟の教えなどからきし見られない禽獣の如きである。

中国の首相、李鵬はオーストラリアの首相に対して「日本はあと20年くらいで消えて無くなる国だから取るに足らない」と発言した。これは日本経済新聞の話を鵜呑みにしたか何かであろうが、実に非礼千万な指導者であり、こんな中国に経済支援は愚か平和条約で解決済みの問題をとやかく言われる筋合いはない。

 3日 江沢民 李鵬も李鵬だが、最も品格に欠けていたのが江沢民である。この男の二枚舌は破廉恥なもので、これが一国のトップなどとは、痴れた尊敬の対象にならないものだ、その手下の王中日大使など門前の丁稚小僧以下だ。これをチヤホヤする政治家とか、財界人とかの日本人は馬鹿ではないか。北条同友会長や奥田碩トヨタなど、まさに守銭奴と決め付けてもおかしくないのである。

江沢民は、空路ハワイに向かった時、日本領空を通過した際、「天皇に宜しく」とのメッセージを日本に送りながら、ハワイに到着後は真珠湾記念館に行き、米中がかって共に日本と戦った盟友であることを強調しアメリカに反日を誘っている。 

 4日 江沢民 2 中国がアメリカの盟友と言っても、それは遥か昔のことだ。言うまでも無く、その後この国は朝鮮戦争、ベトナム戦争でアメリカを最大の敵国とするなど、反米反帝を国是としていたのである。 しかも対日戦争でアメリカと肩を組んで戦ったのは、共産党ではなく、国民党であり、アメリカと共産党は絶えず反目していたのである。シナはこのように目先の現実的功利を求める思想の持ち主であり、いずれ日本はしてやられる。
 5日 江沢民 3 このように江沢民は、アメリカを訪問する度に「日本軍国主義の復活」などと嘘をつき警戒を呼びかけてきている。 尤も、それを真に受けるアメリカ国民は殆どいない、東部のリベラルと称する、中国のマネー・トラップにかかったニューヨークタイムス等々だけである。
 6日 敗戦後の日本60年 アメリカ人からすれば対日戦争などは遠い昔のことであり、しかも日本人は既に半世紀に亙る盟友である。 しかも日本はアメリカの核の傘の下で自国の防衛をアメリカに任せているということもアメリカでは常識なのである。日本の軍国主義などあるわけはない。中国人の謀略と本質的欺瞞性。
 7日 日本軍国主義の怪 こんなのは、嘘っぱちにきまっている。それを信じるのは中国共産党の宣伝しか知らない、自由の言論の無い中国ならではの「怪現象」なのである。 また、一つの反日国家・韓国とて半分の言論の自由もない国である。江沢民はその韓国に呼びかけて、金大中大統領に反日の唱和を求め金大統領は困惑したものだ。
 8日   中国とはど田舎者 どこにでも唾や痰を吐く中国人、礼節を知らない野卑な民族、孔孟の国とは似て非なるものである。

国際社会で反日の音頭を取ればそれだけで中国国内では、英雄的指導者になれる、幼稚な、民度と知性の低劣な国民性なのである。こんな国とはマトモに交際しないのがましである。 

 9日 ザ・レイプ・オブ・南京 アイリス・チャンのこの本、極めて稚拙な歴史捏造の本だが、日本人を残虐なイメージに仕立て上、をアメリカ人に広く植えつけるのに役立っている。 これは中国政府を後ろ盾にした反日諸団体の宣伝工作によるものである。中国流の花火のように、ドンドン、バリバリやれれると嘘が本物としてまかり通るようになる。
10日 中国の社会病理 中国人はインターネットを通じて、毎日のように日本の悪口ばかりばら撒いている。そうすることで、この国の若者は、日常の悩み、苦悶、煩悩から「解脱」しようとしているのであろうか。反日は中国の社会的病理になつている。 そして、中国国民には知らせないで、日本との経済交流を深化しようとしている。幾ら、日本が反省し謝罪してもこの中国の病は治療ではない。反日主義者はアヘン患者のようなものであるが、一方で中国政府の対日経済深化姿勢、この二律背反の問題は、将来どのような異常なものを日中間に産むのか恐いものがある。
11日 中国政府の意図 中国の青少年を誘導し根拠の無い歴史的欺瞞を植え付け、精神を蝕ばませ反日を教導、これから未来、中国政府は、どのようにこの中国を持って行こうとするのか。

現在、中国の精神障害者は6000万人に及ぶとの統計がある。その中、青少年は3000万人と報告されている。この国の未来は反日、敵日の教育では決して明るくならないであろう。政府の指導原理の根本が間違っている。 

12日 歴史の真実こそ未来がある 韓国と中国と同様であるが、韓国は一時期、植民地ではないが、日本人であったことは、祖先の責任によると自覚しない限り韓国としての未来はいずれ悲惨なものとなる。現在は、国民に欺瞞の教科書で教育しているからだ。やがて真実に触れた時、この国は危うい。 同様に、中国は日露戦争を評価しないし見向きもしない、これに言及すれば自国のお粗末な先祖のこととなるからである。世界史的に広く眼を閉ざしたままでは、やがてこの中国も真実の歴史に眼醒めてきた時、大いなる混乱が民族内に起きてくるのは韓国と同様なものがあろう。
13日 正しい歴史認識は中国に必要 中華民族のこのような病を取り除くには、もはや、歴史の真実を徹底究明するしかない。現共産党のしていることは歴史の粉飾であり、それは一時的に成功しよあうが、やがて真実に触れて暴露された時、国内の大激動が生まれる。 正しい歴史認識を持たない限り中国人の未来は明るくない。中国人のし歴史捏造、内政干渉、誹謗中傷、日本民族ら対する非礼の数々を猛省し、日本に対して深く頭を下げ、一からやり直すしかないのである。これこそ日本がここ百年間中国に期待し続けてきた中国の覚醒つというものである。 
14日 中国と日本の道理の違い 仏教、儒教は、道理を説く宗教として日本と中国は共有するといわれるのだが、その受け止め方、社会での在り方には酷い違いがある。 大陸の中国人の性格で最大の特徴は「不講(ふうちゃん)道理(たうりぃ)」の一言で表現できる。一言で言えば、「道理の通じない人間」であるということだ。道理・道徳を守らない。中国の古い諺に「秀才遇到兵有理説不清」がある、これは文士が兵士に遇って、幾ら道理を説いても聞くはずがないということである。
15日 中国の道理・道徳軽視の元凶 それは儒教に求められる。儒家も善悪の道徳観を持ち「五倫」や「五常」を説いているが、そこに重大な自律的意識や悟性が欠落しているのだ。

それは「良心」である。これは仏教が説く過去世、未来世の観念を遂に中国人が受容しなかったことにある。 

16日 良心の欠けた中国人 仏教は三世の因縁により罪業が人にも山川草木にも輪廻すると説く。この輪廻を信ずるが故に、人は因果応報を思い、現世の行いを慎むという、良心を持つことになる。

その観念が中国人にはなく、あくまで現世の利益を貪ることに、或いは安楽な後世を願うことに執着する。現世を超越する道理・道徳を信じないのもそれから来る。恐れるものは、ただ社会や権力者がもたらす外的、現実的な規制だけとなる。そのために儒学の言う仁義と道徳が中国社会の道徳として重んじられてきたのである。 

17日     孔子は性悪説 人は本来的に悪をなすものであるから、それには道徳が必要だという。孔子は世の中が乱れるのは、そうした本来悪をなす人間が乱世に乗じて道徳を忘れるからであるとして「仁・義・礼・智・信」定めた。故に、仁義礼智信を守ればよいとした。 神や仏との良心のやりとりではなく、規範守れば現実を規範に則って処すれば良しとしたのだ。従って中国の儒家の道徳には心からの良心からのという意識と動機が欠落しているのだ。
18日 老子は孔子に反対 老子は、仁義道徳があるが故に、人は惑い、社会が乱れると主張した。老子は孔子の道徳を人為的な口先だけの道徳だという。老子は天という大地・自然・宇宙の理の中に人の生きるべき道があるとした。この大きな道理のなかで、生かされること、即ち「無為自然」を主張した。

「無為自然」とは大自然がなんら謀ることなくして万物を産み多くの生き物を養うように人の小賢しいはからいを去る、といことである。老子の教えは後に道家の思想として道教となり不老不死思想やある種の呪術と結びつき一方で本来老子の説く清冽な生き方は浮世離れした非現実的なものとされ中国社会の道徳の中心にはならなかった。 

19日 徳とほど遠い中国皇帝 中国の王朝の交代の大義名分は皇帝の徳の衰えによるものである。統治者の徳の衰えにより社会が乱れ、代わって徳を持つ人物が王権を取るべきだというのである。 民衆にとり、これ程分かり易い論理はない。中国の古代でも、尭から舜、禹へと王位は血統と無関係に継承されてゆく。有徳の士がおれば血縁のない人間が後を継ぐ、禅譲の治である。従って歴代皇帝はみな有徳者である筈だが、実はそれと反する。
20日 漢の武帝 名君と言われた漢の武帝も、唐の太宗も決して有徳者ではない。儒教の「治国平天下」の理論に従うと、正心(心を正しくする)→修身(身を修める)→斉家(一家を整える)という順に人間としての修養を積み国家を治めることである。 だが実際には、君主は有徳どころか、無法者が武力と政治力で争い天下を手中にするのが常であった。歴史書は往々にして自分の都合のいいように良い記述をしておくものである。シナの皇帝の有徳は粉飾である。
21日 中国皇帝の殺人 中国史を見れば、歴代の名君と言われる人物は、みな親兄弟を殺している。そうしなければ権力を維持できなかったのである。 有徳者でなければ、天下を継げないという大義名分がある以上、親兄弟ならずとも誰もが、我に徳有りと、謀反を起こせば、その皇帝は民衆からの信頼を失うのである。
22日   政治と徳の偽善社会 皇帝たちは権力と利益誘導で臣下を掌握せざるを得ず、そうした皇帝の下では、臣下も徳を保つことは容易ではない。 政治と徳の偽善を、いつしか中国の民衆は知るようになり徳を以て天下を治めるという理想は、いつしか現実にまみれて、中国社会は権謀術数こそ真実なりという社会になったのである。
23日
日本の儒学思想
儒学思想は日本でも大いに受け入れられて武家社会の規範として重んじられた。特に「義」の概念は日本武士道の根幹をなす思想として導入され孔孟の「義を見てせざれば勇なきなり」は武士の行動の規範とされるまでに至る。

江戸時代の本居宣長は、日本の和歌や文芸に関して「儒仏による善悪にあずからぬ事」と論じ、日本には古来「いにしえ心」、「和心(やまとごころ)」があると「古学」を提唱した。要するに宣長は、日本には仏教と共に儒学の倫理とはかかわりなく醸成されてきた、日本精神があると主張したのである。 

24日 「漢心」の否定 本居宣長は「まことの道」は「古代の神々の生活のなかに形成された習俗」であるとした。神々は規範を「理」として語ることなく、神々の行いそのものが規範であると説いた。それを感受するのが、日本の「誠」であるとしたのである。 江戸時代では宣長の漢心の否定、或いは儒学離れと並行して日本の儒学者たちは儒学をとらえ直し日本独特の風土に於いて中国とは異なる解釈、道義を考察していたのである。
25日 江戸朱子学 当時の日本人は、朱子学に於ける「(つつしむ)」の思想の検証から始め朱子学から距離を置き、より儒教の本質に迫ろうと、山鹿素行、伊藤仁斎らが「古学」と称しあらためて仁義、忠信への考察をした。

彼らは儒学の「義」から出発して神道の精神である清明心から説き起こして日本独自の「誠」という観念を導きだした。これは最大の功績であり、中国の儒教とは違うのであるが日本人は認識が足りない。 

26日 日本の至誠 幕末の志士たちのように心のうちから、湧き出すやむにやまれぬ真情と、外に向かう行動を一致させようと言う思想をもたらしたのである。

志士たちの実践的な「誠」のエネルギーが明治維新へと時代を大きく動かして行きた。中国の儒学から遂に「誠」と言う心性を日本の儒学は引き出したのであり中国のそれは破綻している。もはや孔孟の国の民ではない。 

27日 儒家の本家の中国では

中国では儒学はいかなる結果をもたらしたか。漢時代以来、儒教を国教として、隋の時代から科挙制度を敷き、宋以降は官吏はすべからく儒学の修得を義務つけられた。

政治はひたすら儒教の説く理想国家の実現を目指してきた。然し儒家思想はあくまでも書斎の学問であり、聖人君子が民を治めるための学問であった。 

28日 儒家の本家の中国では2 

徳が善であり、徳は一種の神通力を持って中国社会を支配した。しかし上からの徳の絶対化は行われたが、権力者あるいは知識人は下位にある現実社会を見向きもしなかった。

現実の生活の中で徳を追求することは不可能に近い。その結果、本音と建前を使い分けるという民族性も生まれたのである。商工業への蔑視も、この書斎の学問から生み出されたものである。 

29日 儒家の本家の中国では3 20世紀にいり科挙制度も廃止され、儒家は最大の後ろ盾を失い、新文化運動では儒教は「打倒孔家店」の掛け声と共に封建思想とされた。 更に文化大革命の「批林批孔」運動で大打撃を受けたのであり共産主義思想により完膚なき無きまでに孔孟思想は息絶えているのだ。
30日      日本の歴史学者たち 津田左右吉はいう「要するに、儒教が日本化した事実はなく、儒教とはどこまでも儒教であり、シナ思想であり、文学上の知識であり、日本人の生活には入りこまなかったものである。

だから、日本人とシナ人とが儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想を作り出していると考えるのは全く迷妄である」。 

31日 漢意(からごころ)の排除

本居宣長は、古典を読み解こうとするならば、まだ漢意(中華思想、漢学)を排除しなければならない、と考え大和心の真髄に迫ろうとした。

加茂真淵は「からごころを清く離れて、古のまことの意をたずねる」とし古言により古意を得ることだと国学を提唱した。真淵も宣長も万葉集、源氏物語から大和心を発見したのである。