日本あれやこれや その32 12月  

平成18年12月

 1日 難解な日本語 日本語は民族のレベルと同様に高度であり学習しなければ覚えられない難解な言語と云える。だから江戸時代に寺子屋が繁盛し、最盛期には3万に及び、民、百姓でもみな、読み、書き、ソロバンの教養を身につけていた。当時の日本人の識字率は世界一であった。 この学習熱は明治時代になると尋常小学校に受け継がれ早くも日本は世界有数の教育国家となつた。この素地があったから西洋文明を短期間ら容易に吸収し今日の繁栄があるのだ。中国などとは問題にならない。
 2日 明治の先覚者の偉さ 明治の先覚者は、西洋からの外来語を凡て二字の国字に翻訳して、日本語のまま西洋文明を学ぶことができたのである。それまで日本になかつた概念の、公園、野球、哲学、社会、経済、銀行、郵便、科学、電気などなど無数にある。 これが明治人の見識で、どこまでも和魂という日本人のバックボーンで日本語に自信を持ち貫いたからその後の日本の発展があったのだ。
 3日 英語が下手だから発展した日本 インドや、東南アジアの植民地民族は、母国語を捨てさせられ、宗主国の言語を優れたものとして公用語としてきた。フィリピンは母国語のタガロイ語を忘れ英語はペラペラだが、世界有数の貧しい国となった。日本人はアジアで、一番に英語を話すのが下手だったから世界一の豊な国になつた。

英語が話せるのが国際人の条件ではない。英語を話そうとするのは植民地的国際化の段階にあるのだ。欧米は既に追い越している日本だ。これからは日本文化、日本語、日本の神様こそ21世紀に不可欠との信念で普及に努める必要がある。 

 4日 手は文明の原動力

日本人の手は欧米人に比して特別に器用に出来ている。その差こそ日本発展の謎を解く鍵が秘められている。

日本人の手は手品の如く器用に動き、京都の西陣・友禅の過去の芸能日本も、筑波の現在の近代日本も、手の先端技術の賜物である。日本人は「手才民族」である。
 5日 手のつく大和言葉は千もある 日本民族がこの風土で暮しているうちに自然に喋りだした言葉を大和言葉という。言葉は文化を背負う・日常会話の中、手のつく大和言葉は1000以上ある。その大部分は英語に訳せない独特の言い回しである。

手は日本人の縮み志向の代表、話し手、歌い手、やり手のように手即人と考えるのは日本人だけ。野球が日本に入ってきた時、ピッチャー、キャッチャー、ファーストなどを投手、捕手、一塁手のようにすべて手をつけた。 

 6日 手金 手は己自身を指して、お手植えの松とか。手下をさし向ける、手を貸すなどの表現となる。

太古から手一つで働き金を稼いできたので今日のお手当て手間賃、手金、元手、酒手のように手と金が道義語になっている目珍しいいい回しもある。 

 7日 手は人間関係の源泉 手は策略や人間関係の源泉でもあるから、手を切る、手を結ぶ、手心を加えるとなり、あの手、この手、いい手だ、王手だ、決め手、奥の手、上手、下手、四十八手、裏表手と無数の策略を巡らす。日本人が昔から尊敬してきた「千手(せんじゅ)観音」があるのはこのためである。

手は方向や分類に使う。土のある方面を土手、右手、左手と手で示し、山の方向を山手といい、城の正門を大手、裏門を裏手とか搦め手(からめて)という。 

 8日 便利な手 派手な人とか、そんな手合いとつきあうなとか、その手のものは好まないという分類にも使う。手は読み書きソロバンの学びの中心、手即書で手習い、手本、手筋がいいと書道に高め、お手前の茶道も華道などの芸能もその中心はすべて手の働きである。 子供のお手玉、おはじき、あやとり、メンコ、コマ、笹舟、竹とんぼなどすべて手遊びで自然と手の訓練となつていた。
 9日 日常語 手軽に、手広く、手堅い、手短に、のように接頭語として語調を整えるためにそっとつける言葉もある。土産を手土産、ブラッと行くのを手ブラで行くなど、ワザワザ手をつけたがる。 手紙、手本、手帳、手続き、手習い、手まめ、手順、手拭いのようにあらゆる行動、仕草に手をそっとつけなければいられない民族性に育ってきたのである。
10日 箸遣い 箸は食卓では日本人はナイフ・フォーク・スプーンの役目をこなしている。飯粒やマメ粒を鳥の嘴のように器用につまむ。魚食民族で魚の小骨を選り分けながら2千年、日本人は箸遣いの名人となっている。 肉食民族の欧米人では肉を切るのに箸では役に立たない。不器用な彼らと器用な日本人との差は大きい。
11日 箸にも棒にもかからない 我々は箸一つでウドン・ソバでも間に合う。日本人の箸に乗らないものはない。始末に負えない人を「箸にも棒にもかからない」という程である。 彼我の食文化、「つまむ」と「握る」の僅かの違い、一日三度、生まれてから死ぬまで、世代を越えて反復され、手先の器用さに決定的な相違があるのは当然。
12日  食器の違い 欧米の食器がすべて丸く平らな皿なのに、日本の器が千差万別で豊かなのは箸でつまめるからである。 彼らに重箱の隅がつつけないからである。日本料理の刺身は箸の文化の産物なのである。板前の手わざの産物である。
13日 食事と仕方 東南アジアやアフリカでは食事は手づかみ、欧米がナイフ・スプーン、中国、韓国、日本が箸だ。赤子は手づかみだ゛が、幼稚園の頃にはスプーン、小学校に入る頃には箸が上手に使えるようになる。箸が食文化の最高であることが分る。 中国・韓国は箸も使うが匙も必ずついている。先祖が日本に渡来したた時サジも一緒に持ってきたが、日本で暮らすうちに手が器用になりサジは不要になった。つまり「サジを投げ」て箸だけでの食文化を生んだ。中国は食事に箸を使うが象牙など木以外が主で上部も下部も同じ太さで日本のように木の箸のような繊細さがない。
14日 手と足の文化の相違

農耕と狩猟民族の違いのことである。拳闘は折角の手指をグローブに包み、突きばかり。相撲は上手投げ、下手投げ、小手投げと四十八手、裏表がある。

空手も柔道も手わざである。定住の農耕民族は狭い土俵の内で暮すから追い出されると負け。遊牧、狩猟民族は大草原を駆け巡るのでサッカー、ラグビーに熱狂するが、出ると負けの相撲のルールは彼らは理解できない。
15日 定住民族 定住の日本人は、五反百姓でも何百年何代でも定住し農耕できる。だから手を動かせば手間賃が稼げる。遊牧民はひたすら歩かねば水も草も得られない。

だから彼らは健脚の足の長い、足の文化に育ち、日本人は手の文化へと進化したのである。サッカーには限界的なものが本質的に日本人は持つ。 

16日 手と足の文化 手豆に働き手軽に手柄を立てる時に、彼らは足豆に働き、足軽に足柄を立てる。日本人は手拍子の手踊りがうまい。 彼らは、足拍子の足踊りがうまい。手掛かりに対して足掛かり、手かせ、足かせ、手入れ、手が早い、足が早いといった対応が沢山ある。
17日 ブレーキ 自転車のブレーキは日本で手のブレーキだが、彼らは足のブレーキか゜当たり前。長さの単位も手を広げた尺・寸・一尋なのに、彼らは、フィート、フットと足が基準である。 物事を始めるのに日本では「手初め」であるが、彼らは第一歩を踏み出す、ファースト・ステップと言い足が先に出る。
18日 順応と対決 我々は自然順応だが彼らは自然対決。集団農耕生活対する個人狩猟生活である。日本人は相手を信頼する「和」の社会に対して彼らは、相手を信頼しないから契約社会を作る。

恥の文化、と罪の文化、多神教対一神教の違いも、すべてここから生まれたことが理解でききる。 

19日 (おとり)とワナの白人 農耕民族は自然に順応して暮すから正直でお人好しで騙され易い。

狩猟民族は(わな)(おとり)をかける狩猟生活から人を騙すトリックは日常茶飯事、ワナにかかる方が悪いのだと平気でいう。真珠湾も騙まし討ちという騙しに日本が乗せられた。 

20日 重と軽 定着の農耕民族、日本では重いこと、動かぬことが尊く、重く見られる。だから重要、貴重、重臣、重視、慎重、鄭重、重厚なですべて重の字がついている。これに対して、動き回るもの軽いものは軽蔑、軽薄、軽率、軽挙妄動などと軽視されてきた。 対して彼ら白人は物資、原料、商品を自分の国や町村へ持ち込む、輸入、インポートー中世の海賊行為ーすることが最も重要なこととなる。
21日 VIP ヨーロッパ人は自国の自然資源の不足から世界中に植民地を作り貴重な物資、資源を輸入した。だからインポートする人々を偉大な人、英雄と讃えた。ビェリイ・インポータント・パーソンである。

国土の豊な日本は働かないで他所の集落から泥棒してきた人を偉大な人とは言わない。ヨーロッパは今までもVIPービップになんの違和感・疑問をもたない。 

22日 鎖国の反対語 日本人は国土が豊かであり、手一筋でなんとか稼ぎだすことが出来るので、他人のもの奪い取ってくることは悪と考えた。手が働きの源泉、人数も人手、手伝う、手を貸す、手不足。 白人のように物を奪い取ってくる人々をVIPという侵略思想を生む背景は無い鎖国民族であった。
鎖国は侵略国の反対語である。
23日  手と脳 手の文化、手の民族、これは健康長寿の源泉でもある。人間の脳は手を動かすために存在している。手と脳は100万本の神経組織で連結し、手は外に飛び出した脳、脳の出店である。

凡ての臓器の窓は手のツボの中に繋がって、手は使うほど脳のマッサージとなり血の巡りが良くなり頭脳明晰となる。日本人の長寿は手の文化によるものが多い。女性が長生きなのは台所にたつ「勝手」文化に関係がある。

24日 躾の基本は箸 箸こそ日本人を日本人たらしめた最後の証である。子供の遊びがお手玉、おはじき、あやとり、これがボタンを押すだけのファミコンに夢中になってしまった現代社会。子供たちの手の退化が深刻。 これは民族に執り大変なことである。毎年84日がハシの日であることを忘れまい。
25日 手育を 手の器用な子供は学校の成績もよい。教育改革に知育、徳育、体育の外に「手育」を加えるべきである。 手の文化は足の文化より進化した姿である。手こそ日本経済社会発展の源泉である。
26日

湯の文化

水と湯とを全く異なる概念で捉えている民族は日本だけである。世界のどこの国の辞書にも水はあっても湯は無い。英語ホットウオーターであり、フランス語ではアクア・カリエステで、水、温めたものと云い、中国ではお湯を呉れというと「茶水」を持って来る。 韓国でも湯はダッタンムルで暖めた水のことである。日本では至る所に自然の温泉が湧き湯の中に水と異なる効用と神聖さを発見した。高温多湿の風土で畑やたんぼの仕事で泥まみれ汗まみれの体には毎日の風呂はかかせない。 
27日 湯殿 日本人は生まれたら、産湯(うぶゆ)につかり、薬湯(やくとう)や、茶の湯を好み、出湯(いでゆ)を楽しむ。 どんな家でも風呂場は不可欠で「湯殿」と呼んで、我が家の御殿とした。
28日 中国・英国人 彼らは殆ど、湯に入らない。ヘンリー4世は「汝ら英国人よ、少なくとも1年に1回は風呂に入るべし」と入湯令を出したほどである。

漢字の湯は中国ではタンメンで分るようにスープのことで日本語の「ゆ」の意味ではない。 

29日 日本のカビ功罪 温暖多湿の風土の日本、神道の穢れの思想や清めの衛生思想を育んできた。万物の生命に満ちた国土にはカビや微生物が10万種蔓延っている。 良いカビは食糧の味噌、醤油、酒、納豆、漬物、薬に活用し、悪いカビは、穢れとして押さえ、清め給え、祓え給えの神道の思想の儀礼を生んだのである。
30日 氏神様 日本の神道では、バイブルも訓示もなく、ひたすら清潔を旨とすする。自然の恵みの豊な国土 では、日本人が神に祈り感謝し、清潔に清めた衛生瀬生活をしていれば幸福に暮せた。 氏神様はその中心で、各集落の厚生大臣の役割を果たしていたのである。このように神道は迷信でなく、日本の風土に生きる知恵である。
31日 日本の綺麗な人とは それは、ビューティフルな人のことでなく、文字通り清潔な人のことであある。挨拶に接吻をしないで、ある距離をおいて頭拝するのは、個人との接触でカビや微生物の伝染を防ぐための民族の得た知恵である。

自分の家から死人が出た時、喪に服すのは自ら隔離して伝染病などのけがれの拡散を防いだ合理的手段で決して迷信からではない。集落の入り口に道祖神が祭ってあるのは他所から入る者のけがれをチェックする為の知恵である。