命懸け  日本海新聞 潮流 平成12年10月12日 寄稿


1.
近年の日本弱体化の本質は金融財政、経済政策の失敗であろう。これは敗戦時の損失を大きく上回るが国家として米ソ冷戦後の世界戦略が無かったからその被害も極大化したと思われる。然し、根元的には明治以来百年の政治、官僚、経済機構の仕組みとか国民の認識が旧態依然としたままだから世界的新時代の幕開けに対応出来なくてウロチョロしているのだと思われる。特に失われたここ10年は余りに大きく日本丸は難破船に近い。


2.
廃藩置県は明治維新の最たる出来事だ。各藩の経済事情が意外と楽に廃藩を成功せしめた要因らしいが、これにより新時代への対応は大成功となった。戦後システムの耐用年数が切れていると叫ばれて久しい。これの抜本的解決が放置されたままでは日本の前途は極めて厳しい。


3.
今、我が国の喫緊の課題とは何であろうか。政治、経済、官僚、教育等々あらゆる分野に山積されている。憲法も世界の激変と社会の進歩に対応できない状態であるのは明白だ。青少年犯罪は当面の緊急課題であるのに対応が実に遅い。大局観に立った決断が出来ないでいる。我々多くの庶民すら日々国家の未来を憂慮している。衆参議員だけでも数百人いるのに政治の対応は実に遅い。

一体、国会議員諸氏は日々、何をしてどんな気持ちで過ごしているのであろう。与野党を問わず憂国の志情が足りないと言われても致し方あるまい。ここ一、二年の対応次第で日本の命運が決まるというのにである。下らぬ政争を中止して国会の集中審議を徹夜も辞さずやり遂げ数ヶ月で21世紀の戦略的骨格を決定せよと言いたい。現在は大ナタをふるう歴史的機会である。国民は与野党の不毛の論議にはいい加減ウンザリしている。些細な問題をさも大層に責め立てるより喫緊根本問題を解決せよと言いたい。国会議員しかそれは出来ないではないか。なすすべもなく漂流している日本丸を傍観しているに等しい。

それには命がけが要る。国会議員とか、為政者、中枢官僚は国益即ち国民の生命財産と安全を守る為の国民の代表者であり本来そのような志を持つべき者であろう。日本国は他国からバカにされ振り回されている。政治家とか外交に関与するものは命がけの志を要しよう。無責任な大マスメディアとは違うのだ。国際金融、為替への対応と決断もそのヘゲモニーを握るハゲタカアメリカに対して時に命がけの覚悟を持たねば国益は守れぬ。


4.
明治維新の廃藩置県は、現代流に言えば公職にある者は一旦解職である。だから明治維新は成功した。日本の現状はそれに近いものを断行すべき状況にあると思われる。21世紀の「廃県置州」の勧めである。町村担当者らの本音は、このままでは町村は潰れると思っているであろう。難破する迄、日本人は傍観
するのか。

アングロサクソンなら必ず討ってでる。農耕型日本人は待つしか出来ないのか。手遅れとなるまで待つのか。日本人のDNAはトコトン待つしか能がないのであろうか。我が国の最も非効率部門、且つ非合理的部門である公職を今こそ返上して国家の活路が開けぬのであろうか。勿論、手当した上で一
旦返上する。
新しい尺度で真の適材適所と合理性ある適正人員で効率的なものとする。維新を行うのだ。それには総理以下大臣も命懸けでなくては出来まい。明治はそうして打開した。


5.
つらつら思うに、日銀の澄田総裁の時、プラザ合意の政策協調下の長すぎた金融緩和がバブルを発生せしめた。また、三重野総裁の余りにも急激な金融引き締めがバブルを軟着陸させ得なかった。橋本総理の金融、財政政策の失敗とタイミング極悪のビッグバンは米国の思う壺であつた。

不良債権の処理遅延は大蔵省の政策に起因すると思っている。これらは何れも人為的失敗であろう。要するに為政者と中枢官僚が国益に適った経済合理性の追求と対応を怠ったが故と考える。その意味で今夏の日銀の利上げ決断は評価できる。平成に入り失政の連続である。

与野党とも国会議員として同罪である。弁護士の佐藤欣子氏は立法権と行政権の癒着が原因だと糾弾している。同感である。せめて来年スタートする新省庁の大臣はプロで志ある有能な方を選んで国難にあたって欲しい。さもなくば日本国には最早失敗する余裕はない。

             鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典