日本海新聞潮流 寄稿平成14年12月3日

露天風呂

寒い冬は温泉にかぎる。私は最初から露天風呂に直行する。夕陽の沈む絶景は黄金崎不老不死、瀬波温泉。天空に近い白骨温泉。浄土が浜の海岸美、松籟の心地よい豪快な郭の湯。紅葉や星空、折には小雪の舞、或いは断崖絶壁の海を眼下にする入湯は最高だ。日本にはいい温泉がありすぎて迷う。湯田中という温泉場は長野から私鉄に乗って志賀高原方面に行く終点にある。更に奥は渋温泉という野猿が入湯する著名な場所に近い。もっと奥に行くと熊湯とかを経由して横手山渋峠から白根山頂を極め草津温泉に降りる。ここの某旅館の風呂は歴史ある風流なもので、安土桃山風の建物の風呂に続いて露天風呂に抜ける。テレビで若い男女のレポーターが裸で温泉に入る姿は当世は珍しくもない。露天風呂と言えば若い女性の入浴風景を報じるが、私は一度もそのような遭遇はない。この桃山風呂が混浴であったとは知らなかつた。露天の大岩の側で、頭上から紅葉したモミジの葉がヒラヒラと舞い落ちる中、私は独りで風情を楽しんでいた。ふと、内湯を振り返れば、濛々とした湯けむりの向こうに薄ボンヤリと老若は存じないが、白い後姿を拝見したのが後に先にも初めてである。ここは数回訪ねたが愛すべき風呂だ。カラスの行水に近い私だが一泊で5-6回は入湯する。仕上げは朝9時過ぎ、泊り客が帰った後に独り占めの露天を楽しむ。印象深いのは氷見の雨晴海岸から雪の立山連峰を眺めんとした時のこと。空いているからと通常料金で最上階貴賓室をすべて占有、専用露天もあり殿様気分を味わった。その氷見線の帰途、あの田舎に私の人生で見たことのない、眩しいばかりの美しい少女が前に座っていた。その美形に私たち夫婦は唸ったものだが彼女の人生の旅はどおなったのであろうかと、ふと思う。温泉とは言うが近年は循環風呂や紛らわしいものが多くなり残念だが東北には昔ながらの温泉が色々ある。八甲田山中の蔦温泉は真実真の温泉だと思う。このようなのは全国で10ケ所程度だそうな。ブナの大板が底に敷いてあり、コンコンと昼夜を問わず沸いて時折大粒の泡がホロロン、ホロロンと尻を撫でて上がる。八幡平谷底の玉川温泉は世界的に薬効が認められており一度はと狙っている。この春、近くの乳頭温泉で好きな白濁の硫黄泉を満喫した。白濁泉は近隣に無く残念。足摺岬の風呂は断崖絶壁上にあり豪放な気分を味わった。富士山眺望は伊豆半島と大崩、山岳美は新穂高温泉に限る。時には失敗もある。河口湖、部屋の窓一杯の富士に歓喜、急ぎ浴場に行くも地階で何も見えず失望落胆。富山、石川県境にある庄川峡を船で連山の紅葉を鑑賞しつつ遡行する終点の大牧温泉は秘湯である。紀州は勝浦沖に船で行く露天風呂は海中にあるが島全体が旅館のもので風呂上りに山々の散策は乙なものだ。潮岬に近い忘帰洞は高名だ。周参見という小さい岬の先端にある温泉をいたく気に入り、いい気分で次のような詩をホテルに残して帰った。その後どおなったのであろうか。

(すさみ慕情)

今宵すさみの温泉泊まり  夕陽慕情の枯木灘

母なる海をしとねとし   潮騒の音は子守唄

ゆらゆら波の寄する浜   眠りは深し十六夜

覚むればかぎろひ漂える  大海原を見下ろしつ

湯けむり情緒の露天風呂(平成8年2月7日晩)

温泉情緒は城崎に勝るものはあるまい。城崎は外湯巡りに人々が外出するので内の樽風呂を独り占めする。有馬や草津より冬の雪と蟹、春は柳の城崎に情緒を覚える。関西の友人達と近畿の山々を毎月登山しているが、必ず露天風呂を探して入湯する。一昨年の一月であった、滋賀県は三上山頂で雪となる。途中の露天風呂で、頭にタオルを載せて仲間とワイワイ賑やかに温まっていたら、あっと言う間に20センチの積雪となり再び寒中の下山で寒さに凍えてしまった事も今になれば懐かしい。3年前、鳥取に正式に居住してからは市内の山友達と岡山、兵庫県境の山々を登山した後、鄙びた露天風呂を探訪して独り占めのように楽しんでいる。有り難い温泉国、日本である。

鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典