万葉集 地域別 J 12月 最終章
平成18年12月
1日 | 後瀬山 |
かにかくに 人は云ふとも 若狭道の 後瀬の山の 後も逢はむ君 |
大伴家持に妻となった坂上大嬢の家持への恋歌。 |
2日 | 後瀬山 |
後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日まで生きれ |
大伴家持 巻4−739 家持が坂上大嬢の恋歌に対する返歌である。 |
3日 | 三方の海 |
若狭なる 三方の海の 浜清み い往き還らむ 見れど飽かぬかも |
作者未詳 巻7−1177 |
4日 | 手結が浦 |
越の海の 手結が浦を 旅にして 見ればともしみ 大和思ひつ |
敦賀湾の手結崎、おまおとめの塩焼く煙を望見して郷愁の情を長歌に託した笠金村の反歌である。「ともし」は心ひかれるたまらない気持ちである。 |
5日 | 越路こしぢの雪 |
み越路の 雪降る山を 越えむ日は 留れるわれを 懸けて偲ばせ |
笠金村 巻9−1786 昔は敦賀、今庄の地し最大の難関を越える「み雪降る越」の鄙であった。越える人も留まる人々にも感慨の大きいものであつた。 |
6日 | かへる |
可敝流廻の 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ われをし思はば |
大伴家持 巻18−4055 |
7日 | あぢま野 |
あぢま野に 宿れる君が 帰り来とか待たむ |
狭野茅上娘子 巻15−3770 あぢま野は |
8日 | あぢま野 |
帰りける 人来れりと いひしかばほとほと死にき君かと思ひて |
狭野茅上娘子 巻15−3772 大赦があり流人は都に帰ったが宅守は赦されなかった。その時の娘子の落胆の心である。 |
9日 | あじま野 |
今日もかも 都なりせば 見まく欲り 西の御厩の 外に立てらまし |
中臣宅守 巻15−3776 |
10日 | 羽咋の海 |
之乎路から 直越え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり 船楫もがも |
大伴家持 巻17−4025 羽咋は今の邑知潟、当時の潟はもっと大きなもので海であったのであろう。国司、家持の巡行の見聞。 |
11日 | にぎし川 |
妹に逢はず 久しくなりぬ 饒石川 清き瀬ごとに 水占はへてな |
大伴家持 巻17−4028 清らかなあの瀬、この瀬で水占いをしてみょう。 遥かな思いの慰めであろう。仁岸川の橋畔にこの歌碑がある。 |
12日 | 珠洲すすの海 |
珠洲の海に 朝びらきして 漕ぐ来れば 長浜の湾に 月照りにけり |
大伴家持 巻17−4029 家持の巡視中の歌、現在でも鄙びた風景、古代ではなお更で感慨一入と思われる。 |
13日 | 熊木のやら |
能登国歌梯立の 熊来のやらに 新羅斧落し入れ わし 懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやと見む わし |
巻16−3878 |
14日 | 机の島 |
能登国歌所聞多弥の机の島の 小螺を い拾ひ持ち来て石以ちつつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高杯に盛り 机に立てて 母に奉りつや めづ児の刀自 父に献りつや みめ児の刀自 |
巻16−3880 机島は和倉湾西北の小島、しただたみは貝。この地方の庶民の歌、「しただたみの貝は、拾いとって、石でつつき、破って、早川できれいに洗って、辛塩でキュッキュッと揉んで、高杯に盛り食卓にのせて、まず、おっ母さんに差し上げたかね。かわいいヨメさんよ。ついでお父あんに、さしあげたかね。かわいいヨメさんよ。 |
15日 |
越中国庁址 |
しなざかる 越に五箇年 住み住みて 立ち分れまく 惜しき宵かな |
大伴家持 巻19−4250 |
16日 | 越中国庁址 |
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ |
大伴家持 巻19−4139 この春、妻を都から迎えた、艶麗甘美な絵画的世界、これより以前の家持の歌とは想像できない、身心とも満足感があるのであろう。 |
17日 | 越中国庁址 |
なでしこが 花見るごとく をとめらが 笑まひのにほひ 思はゆるかも |
大伴家持 巻18−4114 |
18日 | 射水川 |
朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱う船人 |
大伴家持 巻19−4150 春の朝の、物うさと、爽やかさが溶けあったような、落ち着いたけだるさ。隣に妻がいたのであろう。 |
19日 | 二上山 |
玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり |
大伴家持 巻17−3987 国庁の伏木の台地は二上山の東麓、ほととぎすの頃、家持はほととぎすを愛好した。 |
20日 | 奈呉の江 |
みなと風 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交し 鶴さはに鳴く |
ひとしきり声をあげて鳴く鶴の声、「妻呼び交し」、まだ妻と離れて暮していた頃の歌。まだ春は遠い |
21日 | 奈呉の浦 |
東風を疾み 奈呉の浦廻に 寄する波 いや千重しきに 恋ひ渡るかも | 大伴家持 巻19−4213 |
22日 | しぶたにの崎 |
馬並めて いざ打ち行かな 渋渓の 清き磯廻に 寄する波見に |
大伴家持 巻17−3954 男岩・女岩とか奇岩に富む岬、荒磯である。伝説の雨晴海岸が近い。 |
23日 | つまま |
磯の上の 都万麻を見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり |
大伴家持 巻19−4159 |
24日 | 布勢水海 |
布勢の海の 沖つ白波 あり通ひ いや毎年に 見つつ偲はむ |
大伴家持 巻17−3992 |
25日 | 垂姫の崎・乎布の浦 |
神さぶる垂姫の崎 漕ぎ廻り 見れども飽かず いかにわれせむ おろかにぞ われは思ひし 乎布の浦の 荒磯のめぐり 見れど飽かずけり |
田辺福麻呂 巻18−4046、4049 湖上、湖畔の絶景であったろう。都からの使者の田辺福麻呂が感激して家持に答えた歌。 |
26日 | 多枯の藤波 |
藤波の 影なす海の 底清み 沈著く石をも 珠とぞわれ見る |
大伴家持 巻19−4199 |
27日 | 英遠あをの浦 |
英遠の浦に 寄する白波 いや増しに 立ち重き寄せ来 東風をいたみかも |
大伴家持 巻18−4093 氷見市に阿尾の漁村がある。夏に多い東風は阿尾の海岸にまともである。家持はその白波を見とれている。 |
28日 |
かたかごの花 |
もののふの 八十(やそ)をとめらがくみまがふ 寺井の上の かたかごの花 |
大伴家持 巻19−4143 |
29日 | 早月川 |
立山たちやまの 雪し来くらしも 延槻はひつきの 川の渡瀬わたりせ 鐙浸あぶみつかすも |
大伴家持 巻17−4024 早月川渡渉の時の歌、当時立山はたちやま、早月川は延槻川と呼ばれた。豪快な奔流、馬の鐙が浸かるほどのスリルと感動か。 |
30日 | 伊夜彦 |
伊夜彦 おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら 小雨そほ降る 一に云はく、 あなに神さび |
越中国歌 巻16−3883、巻16−3884 |
31日 | 万葉の終焉 |
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事 越中赴任から帰京したが、家持は衰運となり、次の赴任場所、因幡の国守(鳥取・国分町)は更に落魄の思いであったろう。
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大伴家持 巻20−4516 万葉集の最後、家持最後の歌である。「しんしんと降る山陰の雪、雪の律動、このように吉事が「よいこと」が積もれとの賀歌である。家持の精一杯の切なる願い 完(これにて美しい歌完了) |