万葉集 地域別 J  12月 最終章
平成18年12月

 1日  後瀬山 かにかくに 人は云ふとも 若狭道(わかさぢ)の 後瀬(のちせ)の山の (のち)も逢はむ君 大伴家持に妻となった坂上大(さかのうえのおほ)(いらつめ)の家持への恋歌。小浜市の南の海抜224米の山。「とやかく人は噂をしても後にはきっと逢いましょう、あなたの心を云う為に、「後瀬の山」を「後」を引き出す序とした。坂上大(さかのうえのおほ)(いらつめ)4737
 2日 後瀬山

後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日まで生きれ

大伴家持 巻4739

家持が坂上大(さかのうえのおほ)(いらつめ)の恋歌に対する返歌である。 

 3日 三方(みかた)の海 若狭なる 三方の海の 浜清み い()(かえ)らむ 見れど飽かぬかも

作者未詳 巻71177三方五湖のこと、久々子(くぐし)日向(ひるが)水月(すいげつ)(すが)、三方を言う。 

 4日 手結(たゆひ)が浦

越の海の 手結(たゆひ)が浦を 旅にして 見ればともしみ 大和(しの)ひつ

敦賀湾の手結崎、おまおとめの塩焼く煙を望見して郷愁の情を長歌に託した笠金村の反歌である。「ともし」は心ひかれるたまらない気持ちである。 
(かさの)(かなむら) 巻3
367

 5日 越路(こしぢ)の雪 越路(こしぢ)の 雪降る山を 越えむ日は (とま)れるわれを ()けて(しの)ばせ 笠金村 巻91786
昔は敦賀、今庄の地し最大の難関を越える「み雪降る越」の鄙であった。越える人も留まる人々にも感慨の大きいものであつた。
 6日 かへる 可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡(いつはた)の 坂に袖振れ われをし思はば 大伴家持 巻184055天平20年春326日、越中の国司の家持を都から訪ねてきた田辺福麻呂をもてなした時の歌。「あなたが、可敝流(かへる)の辺りの道を帰って行かれる日には五幡の坂で袖を振って下さい」、帰(かいる)の村は山中峠越しの道、かえるは取り残された家持の思いにも通じる。
 7日 あぢま野 あぢま野に 宿れる君が 帰り()とか待たむ 狭野(さのの)茅上(ちがみの)娘子(をとめ) 153770
あぢま野は武生市味真野一帯の平野。中臣宅守は、下級の女官、蔵部司の女儒の狭野(さのの)茅上(ちがみの)娘子(をとめ)を娶った罪であぢま野に流されていた。「いつになったらお帰りを迎えられようか」。 
 8日 あぢま野

帰りける 人来れりと いひしかばほとほと死にき君かと思ひて 

狭野(さのの)茅上(ちがみの)娘子(をとめ)  巻153772
大赦があり流人は都に帰ったが宅守は赦されなかった。その時の娘子の落胆の心である。  
 9日 あじま野 今日もかも 都なりせば 見まく()り 西の御厩(みまや)の ()に立てらまし 中臣(なかとみの)宅守(やかもり) 巻153776流人は都に帰ったが宅守は赦されない、都での思いでは離れない宅守であった。
10日 羽咋(はくひ)(うみ) 之乎路(しをじ)から (ただ)越え来れば羽咋(はくひ)の海 朝()ぎしたり 船楫(ふねかぢ)もがも 大伴家持 巻174025
羽咋(はくひ)は今の邑知潟(おほち)、当時の潟はもっと大きなもので海であったのであろう。国司、家持の巡行の見聞。 
11日 にぎし川 (いも)に逢はず 久しくなりぬ (にぎ)石川(しがは) 清き瀬ごとに 水占(みずうら)はへてな

大伴家持 巻174028

清らかなあの瀬、この瀬で水占いをしてみょう。  遥かな思いの慰めであろう。()岸川(ぎしかわ)の橋畔にこの歌碑がある。 

12日 珠洲(すす)の海 珠洲(すす)の海に 朝びらきして 漕ぐ()れば 長浜の(うら)に 月照りにけり 大伴家持 巻174029
家持の巡視中の歌、現在でも鄙びた風景、古代ではなお更で感慨一入と思われる。 
13日 熊木のやら
能登(のとの)国歌(くにうた)梯立(はしたて)の 熊来(くまき)のやらに 新羅斧(しらぎおの)落し入れ わし 懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやと見む わし

16−3878熊木は地名、和倉湾西北。梯立(はしたて)のは枕詞、「わし」囃子詞(はやしことば)。「熊木のやら」は泥海をいう。「熊木の泥海に、新羅斧をおっことしてさ、ヨイヨイ、決して決して泣きなさんなよ。今に浮き出てくるかと見ていようよ、ヨイヨイ」 

14日 机の島 能登(のとの)国歌(くにうた)所聞(かし)多弥(まね)(つくえ)の島の 小螺(しただみ)を い(ひり)ひ持ち来て石以(いしも)ちつつき(やぶ)り 早川に 洗ひ(すす)ぎ 辛塩(からしほ)に こごと()み 高杯(たかつき)に盛り 机に立てて 母に(まつ)りつや めづ()刀自(とじ) 父に(まつ)りつや みめ()刀自(とじ) 163880
机島は和倉湾西北の小島、しただたみは貝。この地方の庶民の歌、「しただたみの貝は、拾いとって、石でつつき、破って、早川できれいに洗って、辛塩でキュッキュッと揉んで、高杯に盛り食卓にのせて、まず、おっ母さんに差し上げたかね。かわいいヨメさんよ。ついでお
(とっつ)あんに、さしあげたかね。かわいいヨメさんよ。 
15日

越中国庁址

しなざかる (こし)五箇年(いつとせ) 住み住みて 立ち分れまく 惜しき(よひ)かな 大伴家持 巻194250家持は29歳から34歳まで、天平18年から天平勝宝3年までの五年間、高岡市に住んだ。妻の坂上大(さかのうえのおほ)(いらつめ)も来ていた。少納言として帰京する前日の歌である。
16日 越中国庁址 春の(その) (くれない)にほふ 桃の花 (した)()る道に 出で立つをとめ 大伴家持 巻194139
この春、妻を都から迎えた、艶麗甘美な絵画的世界、これより以前の家持の歌とは想像できない、身心とも満足感があるのであろう。
17日 越中国庁址 なでしこが 花見るごとく をとめらが 笑まひのにほひ 思はゆるかも 大伴家持 巻184114庭の中のなでしこの花は、奈良にある妻の笑みの美しさに通じている。妻との距離のなくなった、春の秀歌が生まれている。
18日 ()水川(みずがわ) 朝床(あさどこ)に 聞けば(はる)けし ()水川(みずがわ) 朝漕ぎしつつ (うた)う船人 大伴家持 巻194150
春の朝の、物うさと、爽やかさが溶けあったような、落ち着いたけだるさ。隣に妻がいたのであろう。
 
19日 二上山(ふたかみやま) 玉くしげ 二上山(ふたかみやま)に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり 大伴家持 巻173987

国庁の伏木の台地は二上山の東麓、ほととぎすの頃、家持はほととぎすを愛好した。 

20日 奈呉(なご)()

みなと風 寒く吹くらし 奈呉(なご)()に 妻呼び(かわ)し (たづ)さはに鳴く

ひとしきり声をあげて鳴く鶴の声、「妻呼び交し」、まだ妻と離れて暮していた頃の歌。まだ春は遠いようである。

21日 奈呉(なご)の浦 東風(あゆ)(いた)み 奈呉(なご)浦廻(うらみ)に 寄する波 いや千重(ちへ)しきに 恋ひ渡るかも 大伴家持 巻194213新湊の海岸、立山連峰が東方海上に見える。夏の吹く東北又は、東の強風を「アイ」または「アイノ風」という、当時は「アユノ風」と云ったのであろう。
22日 しぶたにの崎 馬並(うまな)めて いざ打ち行かな 渋渓(しぶたに)の 清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に 大伴家持 巻173954
男岩・女岩とか奇岩に富む岬、荒磯である。伝説の雨晴海岸が近い。
23日 つまま 磯の(うえ)の ()()()を見れば 根を()へて 年深からし (かむ)さびにけり 大伴家持 巻194159「つままの木」とはタブノ木、タモノ木、一名、犬グスの楠科。いかにも年()りて神厳なものを感じたのであろう。
24日 布勢水海(ふせのみずうみ) 布勢の海の 沖つ白波  あり(がよ)ひ いや毎年(としのは)に 見つつ(しの)はむ 大伴家持 巻173992氷見市十二潟付近、いつも通って毎年見よう」。遊覧社交の水海である。
25日 (たる)(ひめ)の崎・乎布(をふ)の浦 (かむ)さぶる(たる)(ひめ)の崎 漕ぎ(めぐ)り 見れども飽かず  いかにわれせむ
おろかにぞ われは思ひし 乎布(をふ)の浦の 荒磯(ありそ)のめぐり 見れど飽かずけり
田辺福(たなべのさき)麻呂(まろ) 巻1840464049
湖上、湖畔の絶景であったろう。都からの使者の田辺福麻呂が感激して家持に答えた歌。 
26日 多枯(たこ)の藤波 藤波の 影なす海の 底清み ()()く石をも (たま)とぞわれ見る

大伴家持 巻194199
多枯は地名、藤波神社あたりはきれいな海であったろう。大木の幽暗な繁り、藤波の影なす海底に見える石が珠のよう。

27日 英遠(あを)の浦 英遠(あを)の浦に 寄する白波 いや増しに 立ち()き寄せ() 東風(あゆ)をいたみかも  大伴家持 巻184093
氷見市に阿尾(あお)の漁村がある。夏に多い東風(あゆのかぜ)は阿尾の海岸にまともである。家持はその白波を見とれている。
28日

かたかごの花

もののふの 八十(やそ)をとめらがみまがふ 寺井の上の かたかごの花

大伴家持 巻194143 高岡国庁生活四年目の春の歌、都から妻を迎え安定したものが窺われる。春の清泉につどう乙女らの鄙びた初々しさ、寺井のほとりのかたかごの花と「の」の連続は律動感が溢れている。 
29日 早月(はやつき)

立山(たちやま)の 雪し()らしも 延槻(はひつき)の 川の渡瀬(わたりせ) 鐙浸(あぶみつ)かすも

大伴家持 巻174024
早月川渡渉の時の歌、当時立山はたちやま、早月川は
延槻(はひつき)川と呼ばれた。豪快な奔流、馬の鐙が浸かるほどのスリルと感動か。
30日 伊夜彦(いやひこ) 伊夜彦(いやひこ) おのれ(かむ)さび 青雲(あおくも)の 棚引(たなび)く日すら 小雨(こさめ)そほ降る 一に云はく、 あなに(かむ)さび伊夜彦 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮服(かわごろも) 越中国歌 巻163883、巻163884越後平野の弥彦山(やひこやま)、鬱蒼とした神域の背後に見上げるような山頂、古代信仰の実態が皮服着てと、見て取れたのか。
31日 万葉の終焉 (あらた)しき 年の始めの 初春(はつはる)の 今日降る雪の いや()吉事(よごと)

越中赴任から帰京したが、家持は衰運となり、次の赴任場所、因幡の国守(鳥取・国分町)は更に落魄の思いであったろう。

大伴家持 巻204516
万葉集の最後、家持最後の歌である。「しんしんと降る山陰の雪、雪の律動、このように吉事が「よいこと」が積もれとの賀歌である。家持の精一杯の切なる願いがひしひしつ伝ってくる。家持はこの後26年、数奇な人生流転を続けたが歌は残っていない。歌はぬ人となった。
(これにて美しい歌完了)