祈り 平成13年1月5日 日本海新聞潮流に寄稿
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21世紀の新年おめでとうございます。今年の元旦も多くの方々が
神様や仏様に、或いはご自分の心の中で祈りを捧げられた事であ
ろう。祈りとは願うことだ。僥倖を願っても虚しいが。企業では企画
部門に最優秀人材を投入する。企画は企業の根幹だ。企画が悪い
と負ける。人間の根幹も考えを担当する心であろう。心は巧みな画家
のように我が思い、即ち企画図を描く。この心の図面に沿って求めよ
さらば与えられんであろう。潜在意識をフルに活用して図面を達成してくれる。人間の企画部門は心である。心の企画図が良くないと良い果も得られないのは原理に適っている。
A
年末の冬至は陽の死であり元旦は陽の復活である。我々は森厳な
神社の森で心を新たにして敬虔な心で柏手を打ち祈る。その瞬間は
心が浄化され純粋である。それにより清浄な心身となり新しい人間
の復活となる。その瞬間は虚心であり無に近く人間はまさに浄土に
いると思われる。
B
昨年8月の本欄で、極楽浄土とはこの世で実現すべき心の状態であろうと言った。多くの方々から賛同の声が寄せられた。私はその時
その実現方法について言及しなかった。神様と仏様への祈りが共通
している事に気づいた。それは南無阿弥陀仏、或いは南無観世音菩
薩、或いは神様の名前を称名し帰命する事である。
なぜか。南無とか帰
命とか帰依とは一切をお任せする事である。この時、人間の心は柏手
を打つのと同様に純粋の筈である。無心に神様、仏様に帰命しているの
だから。
無心は浄化された心の状態であろう。一切の煩悩から解放され
た状況であり、それは極楽浄土に他ならない心の状況だと思う。神様も仏様も現世的なご利益は与えられない。賽銭次第のご利益ならビジネス
と変わらない。そうではなく心から祈り、願い自分の心の企画通りに自分
が真剣に動くから願いが叶うのであろう。
C
神道は厳粛だがシンプルな心身の浄化の儀式に思える。それに比して
仏教は深遠なる哲学を持つ。各宗派の教えを詳しくは知らぬが仏教の
元祖のお釈迦様の教えは客観的で合理性に富んでいるように思う。
お釈迦様は因縁の理を発見された。原因があって結果があるというのは
極めて科学的な話だ。それにはご縁という条件が重大な作用をすると
いうのも最もだ。だからご縁を大切にとは21世紀になっても永遠の真理
である。
この世の中は凡て原因があって結果がある。凡ての事柄はお互
いに依存しあって存在している。自分の不幸を他人のせいにしたり、オカ
ルト的原因にするのは何らの解決にならない。
お釈迦様は、あくまでも
自分を頼りにしなさい、自分がしっかりしなくては誰も助けてくれない、
自分の心を強くしなさい、その為には自分の心を鍛えなさい、自分の真の
姿を見つめて反省しなさい、そして煩悩から抜け出す為の八ッの正しい道
を実行しなさいと言われた。
現代でも人間の生きる指標として極めて現実
的で理に適う教えである。だから私はお釈迦様の教えが大好きだ。更に
大切なのは自分即ちお釈迦様自身の事ではなく、この教えそのものであり貴方自身なのだと言われた。自分は老いさらばえて不治の病にかかり
何の役にも立たないとも。
人間的な素晴らしいお方ではないか。この世は
苦に満ちているとしっかり認識しておられた。然し、人生は諦めてはいけ
ない、自分の努力、心がけ次第で変えられる、人生は素晴らしい、甘美だ
とおっしゃって亡くなられた。お釈迦様の教えは大変現実的である。だから
私は生きる上でお釈迦様の教えを大切に思っている。
D
さて、今年の元旦に皆様は何を祈られたのであろうか。私は、日本国が
国難といえる現状を打破して国家として、民族として、他国に侮られない
ように我々一人一人の自覚が更に高まるように心から祈った。いよいよ
多難な21世紀の冒頭である。日本人の能力は高い、一致団結すれば克
服できる。それを願わずにはおられない我が国を取り巻く情勢である。
鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典