新聞週間への提言  平成13年10月16日 日本海新聞に寄稿

抽象論、一般論は避け具体的且つ直裁に提言する。

@中央紙、21世紀は文明の衝突の時代と言われるのに無国籍化し国益の観点が抜けている。サイレントなマジョリティも嫌悪感すら抱いていると見る。ノイズイなマイノリティの意見が主流となっている。経済教科書と言われるが広告ばかり目立つ某紙、人々は気づいている。
早朝は先ずインターネットで外国紙を読みダウ平均も確認。翻訳ソフトで瞬時に読める。国内各紙も一応読む。9時過ぎ喫茶店で購読3紙以外の4-5紙に目を通す。眉唾をして誘導されないぞと意識して読むものもある。再販問題もあるが、新聞はタブーに挑戦し本音で語り魅力あるものにしないとインターネットに喰われる。

民間経営者は背任罪で逮捕されるし倒産するが行政は永年に亘り責任をとらぬ事なかれが今日の危機を招いた。各紙はこれらのテーマに対して追求が情緒的過ぎるし持続性がない。国民のレベルは大変高いのにグローバリズムに突き進む日本の新聞として物足りない。それは本音を語らず、真実に眼をふさいでいるからであろう。政治、行政、外交、宗教、教育、防衛、外人の犯罪等々あらゆる面で指摘できる。国会問題など不毛に近い。
米国の追及はポイントをついている。世界の現実の厳しさに関して孤島の民の啓蒙、啓発などこれでは無理というものだ。日本ムラの新聞にとどまってはならぬ。記者クラブなど護送船団に外ならない。銀行のそれや給料を非難して自らを正さぬのはいかがなものか。犯罪の詳細報道は慎むべきだ。言葉のマンネリも指摘したい。先日、青森県に滞在した折、狂牛病で給食に牛肉を使用しない学校が増えたのに対して同県教育委員会が何を言ったか。事態を検討し適切に対処せよであった。それを平気で報道するとは噴飯ものだ。これは新聞も笑えない。万全を期す、とか靖国参拝の質問など、中味の追及が論理的でない。

A次に地方紙、日本海新聞の特報は効果抜群。田村記者の大新聞にない本音の国際的観点からの論述は啓発的である。一般論だが、社説など毎日掲載しなくていい。真に思いを訴えたい時に載せればいい。署名入りが必要だ。大都市のサラリーマン向け一部地方紙に心惹かれるものがある。これは150円でも売れている。地方分権の迫る今日、地方権力に対する地方紙の健康的な批判力は現状では心もとない。私の眼から見れば溢れる程地方問題がある。

B行政の審議会とか諮問委員会など、識者の意見聴取に、経済諸団体に所属する人を選ぶ。これでは本質を逸らした議論展開となるのは目に見えているのにメスを入れない。だから国家とか行政の運営が馴れ合いとなる。合理性追求があらゆる分野に不可欠である。国民、消費者としてフリーな立場の利害関係の無い識者を登用すべきである。これを強く主張しないのは矢張り商業新聞であったかという落ちにならないよう真の勇気とジャーナリズム精神を発揮願いたい。それが今後の新聞の生きる道ではないか。
                   鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典