マッカーサーの証言

日本海新聞 潮流に掲載 平成13年10月3日火曜日



@ マッカーサーと言う名前は忘れる事はできない。日本を占領した占領軍総司令官である。日本人の生殺与奪を握り米兵は銃を持ち歩いて我々を監視し手紙の検閲もした。開国以来初めての敗戦に国民は戦々恐々としマッカーサーは天皇の生死をも握っていた。

然し彼も昭和天皇に会うと尊敬の念を抱く。それは天皇の国民を思う私心無き人徳を感じたからだ。それを認識できた彼も歴史に残る一流の軍人である。彼は北朝鮮が韓国を攻めた朝鮮戦争が勃発すると初めて明治以来の日本の立場を理解し背後にいる共産国中共の北爆を主張した。彼は罷免されて帰米後、米国上院議会で証言した、日本の戦争は自衛戦争であったと。

A昨年2月米国で「ルーズベルト欺瞞の日」という書物が発行された。日本名「真珠湾の真実」でこの6月に翻訳された。米国の公文書に基づいている。ルーズベルトは開戦当時の米国大統領だ。

悲しいかな、先の戦争は米国の陰謀通りに日本が反応して戦争に引き込まれたとわかる。真珠湾攻撃さえルーズベルトは暗号解読により事前に知っており老朽船のみ湾に残し日本の奇襲を待っていた。日本大使館員が政府からの電信を宴会の為に放置し米国への宣戦通知を遅らせて真珠湾の卑劣と汚名を得る事となる。過去も現在も外務官僚に憤りを覚える。

B私は反米ではない、親米である。中ソに分割占領されていたら日本の悲劇は永久であったろう。然し、事実として知るべきと思うのだ。日ロ戦争直後から米国はオレンジ計画を作り、日本を仮想敵国とし諸々の戦略を立てていた。

東京空襲で一般市民が一夜で10万人、広島原爆では7万人が一瞬にして蒸発した。国際法違反の非戦闘員を殺して一体何が正義であり人権か。日本人は中国人と異なり簡単に忘れている、原爆建物が世界遺産となり人類史上で米国の負の遺産となったが。

Cマッカーサー占領時代、米国人女性の書いた書物が日本語翻訳を禁止された。その書名は「アメリカの鏡・日本」である。著者のヘレン・ミアーズは言う。

「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と。日本住民を空襲で虐殺し原爆投下の命令を発した罪は米国がしかけた戦争より軽いのかと問うている。涙なしには読めない。米国歴史学の権威ビア-ド博士も日本の無実の罪を指摘した。知らぬのは日本人のみである。

Dインドのパールという極東軍事裁判判事は東京裁判で日本無罪を主張した。敗戦5年後の英国国際事情調査局によると、東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もないと書いている。敗戦国ドイツの裁判では判決後3ヶ月で判決理由書と内容を発表している。

東京裁判の判決理由は今だに明確にされていない。当時、南京虐殺は証拠もなく中国の反論もなかった。東京裁判は日本が戦勝国の米英、オランダ等の連合国により報復的に裁かれたものだ。裁くのは法により裁くのが近代法だが国際法に違反して戦勝国が事後法で日本を裁いたものだ。法的根拠のない欺瞞に満ちた暗黒裁判であり人類史上の汚点である。ドイツのナチス裁判はドイツ自身により裁判したしナチス協力者はほぼ全員が何の罰もなく社会復帰を果たしている。

昭和23年12月23日、私は鳥取一中へ通学途中の若桜街道路上で、絞首刑、デス、バイ、ハンギングのラジオ放送が耳に焼き付いている。この処刑日はやがて天皇になる当時の皇太子、現天皇の生誕日である。

これは報復以外の何物でもない屈辱的イヤガラセだ。日本の武士らしく黙々と言い分けもせず慫慂として刑死された多くの方々を現代日本人は心して銘すべきである。東京裁判は戦勝国による復讐裁判であり国際法違反の実に野蛮な中世的裁判である。日本の大きい誤りはこの東京裁判判決を信じたままにある。日本民族は残虐だと信じ込まされてしまった。

ここが原点だ。勝者の原理のこの痛烈な仕返し、敗戦の屈辱として忘れ難い。そして、その東京裁判を日本人として真摯に解明せず国家百年の未来を考えぬ、戦略無き経済中心主義に落ちた日本を無念の思いで見つめている。その経済は国家戦略無き日本であるが故に今や大きな国際的メカニズムの中でメタメタにされているとさえ思う。

E日本は周恩来と平和条約を締結し正常化した。韓国とは戦争した記憶はない。両国とは清算が完了したとの国際的認識がある。20世紀は本質的歴史的に白人によるアジア支配である。白人は植民地を収奪したが日本と韓国とはそのような関係ではない。

敗戦から50年、今なお我々は苦しんでいる。肝要な事は日本人が目覚めて史実に沿い米国、中国、韓国、ロシアに対して言うべき事は断じて明確に言わなくてはならぬ。そのような政治家、国家官僚でなくてはならぬ。勝者によって与えられた歴史観を信じ父祖の血と汗の歴史を想起しない国は亡国への道を進むのみだ。国を忘れて個人の幸福などあり得ない。

               鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典