宰相   平成13年12月3日 日本海新聞潮流に寄稿



@ 戯画あり、生煮えの青カボチャ(鳩山由紀夫)、とうが立った夢の覚めない饒舌男(菅直人)、お題目のお札売り女(土井たか子)、紋切り型の口上兄さん(志位共産党党首)、用心棒らしき男(神崎公明党党首)、子分に逃げられるばかりのムサイ親分(小沢一郎)、東海の小島の磯に群れ踊る。

床の間に置けそうにない画だ。この10年の間、宰相と呼ぶには恥ずかしいのが多かった。小泉氏は久方ぶりの宰相かな、現代受けも備えているし発言も確かだ、胆識もあると思いきや中、韓問題では落胆した。テロ発生時の発言も少々物悲しい思いを抱かされた。ブレアとかブッシュのあの語りかけは魅力的であった。戦後日本の平和ボケを象徴的に示したと言えるかもしれない。

若手にブレアのような人材はいるのか、国家を託するに足る人物が。米国、中国の大臣は戦争や革命を生き抜いた連中ばかりだ。日本は厳しさに欠ける。若い政治家は次代の宰相を目指し艱難辛苦すべきだ。最高の道徳である政治が国民に範を示さなくてはならぬ。日本は有史以来、韓国と異なり中国とは自尊独立の関係で隷属した史実はない。

この点がやや不満だがここで戦後システムの大破壊と創造をやらねば日本の未来は無い。平成の大乱の根本原因は、政治が理念で纏まらぬ処に在る。経済は誰が総理でも、もはや奇跡は起きぬ。今が正念場だ、歴史的な運命に遭遇した小泉総理の成功を祈りたい。

A小泉総理は命懸けでやると言った。これだけで宰相の資格はある。矢張り政治は人物だという事となる。政治は人である。突き詰めると政治は宰相にある。宰相とは一体なんぞや。平たく言うと大臣とは何ぞやだ。宰相とか大臣とは人間を支配し、国の運命、民族の未来、国家の治乱興亡を決定する存在である。国会議員は地方問題にエネルギーを消耗すべきでない。国益追求に全力投球すべきである。

B宰相とは如何にあるべきか。それは人間とはなんぞやだ。人間を代表する人物、十把一からげの私のような人間でなくて、人間の中の人間らしい精神、才能、内容を持つ人間、そう言う人物でなくてはならぬ。

C呻吟語という中国の書物がある。人物の要素、大臣の分類をしている。

第一等に寛厚深沈とある。いろんな妨害を断じて排除して行くには度胸がいる。胆識だ。つまり見識も度胸もなくては宰相は務まらぬ。寛厚深沈、遠識兼照、福を無形に造し禍を未然に消し、智名勇功無くして、天下・陰にその賜を受く、なんてのはもう大宰相である。そんなのはいない。緒方竹虎氏を髣髴とさせるが。その次が剛明・事に任じ、キビキビしていかなる難問でも立派に背負う、言い難き事も勇敢に言ってのける。これが慷慨敢えて言いだ。

国を愛すること家の如く、時を憂うること病の如くにして、はなはだ鋒鋩をあらわすこと免れず、得失相半ばす、これは第二等の宰相である。小泉総理はここに属する。

安静、時を遂ひ、ややもすれば故事にしたがうて利も興す能はず、害も除く能はず、これは第三等。次になると禄を持し望を養い、身を保ち、寵を固め、国家の安危もほぼ懐に介せず、自分さえ良ければいい、安全第一主義で実は国家の安危なんてものは考えない。自分さえ良ければいい、まあ平凡な大臣などにはこれが多い。

これ以下となる益々悪くなる。功を貪り、あらそいを啓き、寵を頼み、威を張り、是にもとり、情にまかせ、国政を動乱す。功利主義でねじけ者、奸物といった種類の人間です。

一番悪いのは六番目、奸険、非常にねじけてしかも険しい、平和でない、物騒、奸という字は欲しい時に中々油断のならないことを言う。田中外相はこの範疇。彼女はカンのいい苦労知らずの我がまま女に過ぎない。国家とか上に立つものの哲学が欠けている。外務省革命は必須だが優先順位は彼女の退陣が国益に適う。
外交は総理の方針の下に緻密な論理を組み立ててやらねば国益を逸する。米国のライサ女史が見本だ。中国は治乱興亡と易姓革命の国で王朝だけでも24史あり規模、深刻度において日本とは比べものにならない騒乱の国だ。その風土に生きた人間は単細胞ではなく、現実的で老獪だ。中国を老酒とすれば日本は生一本酒、老と生の違い。これは両国の民族性を遺憾なく示している。今回の靖国騒動でも中国は案の定、言うだけは言うが後はシレットとして国益に収斂する。これが外交だ。日本も激しく言っても後はシレツトしておけばいい。

D人物とは何ぞやだが私は若いときから大変に興味を持ってきた。人物を観るのに八観六験がある。実に人間の心理、表裏を余す処なく観察し得る。その中に、貴ければその進む所を観るがある。大臣とか宰相を洞察する最初の注目点である。これは社長とか管理者の観察に役立つ。国家でも企業でも要は上に立つ者次第と言える。
               鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典