加藤紘一の乱   平成13年2月1日 日本海新聞潮流に掲載


去る11月、総理不信任案上程日の事である。

@私は鳥取大丸の地下売場で事態の推移はいかにと固唾を飲んでテレビを見守っていた。あにはからんや、加藤氏は翻意した。その時、私の後方で声がした。あの連中は国の事を少しも考えない、自分の事しか考えていないと。私は興味を持ち振り返る、ごく普通の老婆であった。一老婆にしてこの洞察。

A翌朝、私は恒例のコーヒーを丸福で飲む。ここは鳥取市内事業経営者たちの現実的、知的談論風発が聞ける自由のサロンである。加藤はお粗末だとの声一色であった。

B石原東京都知事は、加藤は侍大将ではないと言った。

C田中真紀子氏は、加藤は冷たい人だ、一部の人しか可愛がらないとまで言う。

Dさて、加藤氏の不信任案への対応は実に興味深い。将としては致命的でブザマな姿を世界にさらした。いわば謀反であり戦国時代なら打ち首、獄門ものだ。氏の日常の言動も表情もわかり難くグイと来る人間味も欠け親分らしくもない。これが次の日本のトップなのかと些か物足りなく思っていた。今回の謀は稚拙であり国家指導者として責任感に欠けるひ弱な人物と判定された。

Eしかし、不信任案上程直前の加藤氏は珍しく決断的で迫力があり、堂々としており私はオヤと思った。認識の変更を私に迫るものがあった。やはり総理の器なのかなと初めて魅力らしいものも覚えた。遂に勝負に出たのかと。政治に変化を求める国民は彼の決起で何かが変わると漠然と期待していたのであろう。

Fしかし、余りにも唐突であった。保守本流で自民党の次期総理第一人者と目されている加藤氏が党内でその主張をオープンに議論しないで主義主張も理念も異なる共産党を含む野党と手を握るのだ。これは少々おかしい。党を飛び出す覚悟ならよいが、それもないと云う。タイミングも極悪であった。

G派閥の子分たちが、謀反の結果どおなるかは自明の事である。それを覚悟で討って出たのではなかったのか。敵前逃亡であり指導者としての資質がウンヌンされても致し方あるまい。お粗末の一語に尽きる。加藤氏はやはり苦労知らずのお人のようだ、上級公務員試験卒業程度のままなのか。知識と見識はあるが胆識がない。これでは国家は任せられぬ。いろんな妨害やら邪魔を断固として排斥して見識を建てて行く度胸が胆識である。国の最高責任者に欠かせぬ資質である。彼にはそれがないと判定された事となる。私は氏の決起の是非を論じているのではない。

H人物を観るのに八観六験がある。宰相学は人物学の範疇である。人間の中の指導的な人間を人物という。
[剛明、事に任じ、慷慨、敢えて言い、国を愛する事、家の如く、時を憂うる事、病の如くにして宰相である。]

加藤氏は、これにより国内外で決定的に人物を喝破された事となる。風姿花伝ではないが、秘すれば花なりしものを。これでは例え総理になったとしても外交上の国益を損じる事となる。あこぎな米国とか中国に太刀打ちできまい。孫子の兵法ならずとも内外から人物は軽視されるからだ。


I加藤氏は汗のかき方が少ないようだ。人情の機微もわからぬ机上のお人であったのか。ケンカは野中氏とか青木氏とかの実戦経験豊富な、言葉を変えればドロドロした人間社会の中で生き抜いた人たちが強い。政治とか外交とは本来そのようなものもある。

J然しながら、理屈は上述の通りであろうが、多くの国民は心情的には加藤氏の決断と決起を欲していたと思われる。硬直した日本のシステムを先ず政治から作り直さなくては日本の未来は無いという加藤氏の主張は正論である。だから巷間のいたる所で失望感が広がった。

国民は政治に失望し変化を求めていると為政者は深刻に受け止めなくてはならぬ。野党もマスコミも徒に反自民を唱え、反自民を煽るだけではこの国は立ち直れまい。国民は馬鹿ではないのだ。不当に政経が悪いのは一に与野党を問わず政治の対応が悪いからだ。

わが国には、この激動する乱世を安心して付託できる胆識ある指導者はいないのであろうか。国家の真の独立、自立を放棄した戦後日本の平和ボケは遂にかかる指導者を産むまでに到りしか。        
         (平成12年11月作)鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典