月山会余情  日本海新聞 潮流に掲載 平成13年4月23日

年が明けて小寒を過ぎたばかりの松の内に一通の葉書が舞い込んだ。

[謹啓 21世紀の新年を目出度く寿がれたことと存じます。越し方を振り返えればお互い激動の時代でしたが、ここまで健康に恵まれて、新しい世紀を迎えられましたこと、何よりもご同慶の至りに存じす。とはいえ世情とみに情緒乏しく、老骨世を嘆じる日々であります。されば昭和も遠くなり行くに懐古の情もだしがたく、古き良き時代を「忘じ難く候」えば、老境にまたも一歩進むるにあたり、冬篭もりの一日、せめて[華やぎ]のひとときを添えて、互いに長生の余慶にあやかりたく、北の名妓7人を我が家に招き、恒例の「フグの会」を催したいと思います。右ご案内申し上げます。森川礼次郎 ] 

ウーンと唸るような情緒溢れる名文である。例年の催しなのだが今年の酒は、越の寒梅、で特に会費は1万5千円とある。台所は名妓達の担当であり彼女たちも仕事を離れた息抜きである。財界のお歴々を相手にする現代の吉野太夫たちは矢張り人をそらさぬ話題と人情の機微を心得た練達された存在である。葉書の差出人、森川氏は共に月山会を発足した、敬愛してやまない住友銀行の先輩である。月山会は山歩きの好きな70才前後の者数人であるが、若い現役時代に同じ釜の飯を食べた仲間である。主として[関西百名山]を踏破しようとする会であり発足してはや5年目となる。
企業経営者として豪胆と細心を備えた叙情派文人、森川氏に魅入られた者ばかりの集いである。
氏の半寿を迎える平成22年、西暦2010年迄に完全踏破をめざす。最後は東北の出羽三山の月山(がっさん)に登り氏の半寿の乾杯をと考えている。昨年末迄に既に35峰を制覇した。

特に昨年は15峰で、わけても森川氏の大峰山奥駆けチャレンジは特筆大書すべき出来事であった。氏を除き三泊四日の前鬼で下山したが氏は更に太古の辻から人跡未踏?に近い、役の行者の歩いた奥駆けを単独4日間で熊野本宮に下山した。吉野は金峰神社から延々103キロ、70余峰、山嶺の高峻、坂路の嶮難、雲を踏んで行くのは凡て尾根の山頂越えであったと氏の幻の名著、
大峰奥駆乃記に記録されている。古伝によれば白鳳11年に役の行者が初めて大峰山に登り山上で蔵王権現を感得したとの伝説がある。
住友山岳会長、住友総本社元理事の故大島堅造著作の名著[近畿の山と谷]によると、それは[純の純なる日本的な山の姿]であり、日本に残された最後の大自然という。
森川氏は続けて言う、溢れる汗は全身を濡らし、喉の渇きと足の疲れに耐え、深山幽谷を黙々と無心の境で歩き続ける苦行であり「六根清浄」の境を体感した事に無上の喜びを得たと。下山直後には熊野本宮旧社地[大斎原]で斎戒沐浴して川を渡り本宮に参拝した。氏は72才にして大勲章を得た思いで、一週間の峰入りで何の験力も得られないが太古の原始世界と大自然との一体感を得た。尾根裾は千年以上を経た大木に覆い尽くされ、感動的なものであった由。

私は無念乍ら完踏していないが、今年は前鬼から小分けにして挑みたいと考えている。月山会は70才代を健康に生きる為の登山会である。折には近畿の数多い史蹟やら由緒ある名勝等々も訪れる、専門家に劣らぬ氏の造詣深い古代史を聞きながら。かかる観点で言えば近畿一円は訪れる場所に不足はない歴史の宝庫だ。その上に一年に一、二度は情趣溢れる上述のような懇親会も楽しむという次第である。


尽日、春を尋ねて春を見ずの如月も去り弥生も行き、萌黄が若葉となるこの季節となると山歩きに足がムズムズしてくる。鳥取では久松山から十勝林道を経て本陣山から樗谿経由の足の訓練は怠らない。このコースは自宅から二時間弱と手頃なのだが、なぜか十勝林道で人に会わない。本陣山では多くのハイカーにお目にかかる。
この山の佇まい、秋の紅葉などは間違いなく一流に近い。それは、この原生林に、私のカウントでは落、広葉樹が82種類もあるからだ。案内によると116種の野鳥も来るらしい。このような宝の山が市内にあるのは素晴らしい。それらの樹林の蘇生が始まった、大生命復活のドラマが。

       鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典