ホトトギス   日本海新聞 潮流掲載日 平成13年5月5日立夏


「卯の花の匂う垣根にホトトギス 早も来鳴きて忍び音もらす夏は来ぬ」

これは佐々木信綱の詩であり、名歌、夏は来ぬの歌詞である。ホトトギスは夏を告げる鳥として知られている。花の匂う垣根にホトトギスが鳴く風情は今は遠い懐かしいこととなった。昔から季節を知らせたり農事に関係深く日本人には大変なじみの深い鳥で、万葉集には132首も歌われている。明治の歌人、俳人、作家もなぜかホトトギスをもてはやしている。ご存知の子規の雑誌はホトトギス、徳富蘆花の不如帰、坪内逍遥の史劇、沓手鳥孤城来月がある。その名も、あやなしどり、くつてどり、うづきどり、しでのたおさ、たまむかえどり、よただどり、時鳥、子規、不如帰、杜鵑、蜀魂、杜宇、夕影鳥と数多くの名前を贈呈して並々ならぬ愛情をこの鳥に寄せている。

万葉集はホトトギスを「霍公鳥」とし「郭公」は「呼子鳥」と区別しているのに、古今集は郭公をホトトギスと読ませている。ホトトギスと郭公は同じ属種とされるが鳴き声は全く違っている。郭公は名の通り、カッコウ、カッコウと涼やかに鳴きたてる。ホトトギスは鋭くキョ、キョ、キョとも聞こえ悲痛で陰気で決して優雅ではない。夜も鳴くので不吉な鳥とし冥土の鳥と忌み嫌った所もあるのに文人、歌人、作家達に詩情を呼ぶのだから不思議である。

鳴き声は俗にテッペンカケタカと聞こえると言うが私には子供の頃から哀調を帯びて物悲しいオトトキタカと聞こえ悲しい物語の記憶も残っている。鳴き声の連想から、特許許可局も記憶にある。江戸の頃はしきりに鳴くので頭痛がするほどであったと何かで読んだことがあるが明治になって首都の開発が進み武蔵野の森の緑も無くなり姿を消してしまったのであろう。

ホトトギスは夏の代名詞でそのさえずりは山の森には欠かせないのだが声だけが移動しているようで姿は捕まえ難い。鳴きながら上空をヒラヒラ飛んでいる時に眼に触れやすい。
明け方の夢枕にこの鳥の声を聞きハット眼がさめて空を仰いでも行方も分からず、夢であったかと歌った百人一首は五徳大寺左大臣の、ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる、とあるのはこのことであろうか。

そのホトトギスの声だが子供の頃に用瀬の裏山で聞いて以来久しく聞くことがなかった。ところが、思いもかけず聴いたのは一昨年の夏のことであった。大和の奥は吉野と境を接する竜門岳で聞くことができた。吉野から急な山を登り、神武天皇伝承のある女坂峠に向かって縦走する途中、室生寺を襲った台風で、なぎ倒された倒木の散乱する明るい傾斜地で休んでいた時、尾根筋から突然、キョ、キョ、キョと鋭い声が空に響いた。「あっ、ホトトギスだ」と思った途端早くも山裾に姿を隠してしまった。関西では中々聞けないだけに、暫く興奮が覚めやらなかった。


それにしても、カッコウと鳴くから郭公と名づけられたことは分かるがホトトギスと呼ぶのはなぜであろう。漢字が入る前から、この鳥はホトトギスと呼ばれていたらしいが、なんと雅やかな名前であろう。鳥の名前にしても、花の名前にしても、日本人の詩的な感性が日本語に滲みでている。一つの花にしても鳥にしても、漢字表現は幾つも変化する。郭公も呼子や、換呼鳥から閑古鳥と詩的に使い分ける知恵も、他国には見られない日本語独特の情緒的な表現である。古稀を迎えたこの歳になり、日本語は美しいなあ、とつくづく思う。京の都の歌詠みはその声を珍しがってホトトギスの初音を聞きに連れ立って山深く入る物好きもいたという。

されば、私も今年は初夏の頃、友を誘い竜門岳でホトトギスの声をもう一度聞いてみたいと思う心や切である。その時は、ホトトギスよ、いつか聞かせてくれた声をもう一度、私に聞かせておくれ。
   
           鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典