落葉・広葉樹林に思う

平成13年8月3日 日本海新聞コラム潮流欄に寄稿


亭々として鬱蒼たる大樹の緑陰を好む。大樹でも落、広葉樹は特にいい。関東以北の自然を観察して智頭に入ると車窓に見える杉の美林は確かに緑が瑞瑞しいが山々は暗い。経済林の針葉樹が主で落葉樹が少ないからだと思う。登山好きの私には針葉樹の下は死の世界に映る。落葉樹林には多くの植生があり微生物も多く存在して大地が生きている。落葉樹ではないが常緑樹は楠の大木もいいが当地方に少ない。ケヤキを更に好む。県民会館前のケヤキ並木の木漏れ陽の中を久松山を仰ぎながら自転車でスイスイとペダルを踏むのは快適だ。その昔は我が家の大裏の大ケヤキにトンビがとまり小鳥が囀るのを朝夕眺め楽しんだ。

去る5月下旬、新緑を追いかけて奥中禅寺湖は湯の湖界隈を数日、妻と共に逍遥した。白樺貴婦人のある小田代原から戦場ヶ原、光徳沼と、白根山麓付近の素晴らしい落葉樹の新緑を満喫した。森の中は不思議と人間に優しい。桂の大樹林は春の新緑も秋の黄色も感動的である。ブナ樹林の木漏れ薄陽の中を、時に清流のせせらぎとか滝の音を聞きながら散策する時には至福すら覚える。

私は車窓からの森とツリーウオッチングを旅行の楽しみとしている。バードトゥイッターヒアリング、森の梢からカッコウ、カッコウと涼やかに鳴く郭公の素朴な鳴き声に心は更に和む。
東北や信州に毎年訪れているが山々は春も秋も将に神様の衣装のようで素晴らしい。八甲田、十和田湖、奥入瀬、蓼科等々、あの地方の樹相は明るい。東北は木の実が多く、縄文時代に古代文化が花開いた理由も頷ける。

そういう観点で言うと、鳥取は樗谿から本陣山付近は落葉樹が比較的多い。故に多くの小鳥が飛来してくる宝の山だ。新緑を愛でて良い気分で下山した途端に、原色の反自然的な実に風景を乱す不粋な建物に出くわす。建設費70億円とは驚き。この建築センスは誰の産物なのであろうか。自然の風土良俗を乱す存在である。

それに比して、隣接する京都は東山風の卒啄園、春の新緑、夏の涼と深緑、秋の紅葉と実に素晴らしい。周辺の自然環境とよく調和している。私は個人篤志家のほうに軍配を上げる。
小鳥の鳴き声に関心を持つが鳥は中々敏捷で姿を捉え難い。

去る立夏の頃、樗谿近くの我が家でホトトギスの声を聞いたがホー、ホーとフクロウの鳴き声も長閑で幼い頃の神社の老杉を思いだす。
樹木と言えば東北のある町の街路樹はナナカマドで赤い実の風景は印象深い。鳥取市内は寺町通りの楠木の街路樹は昨年、サンザンに散髪をしたが夏の陽ざしを避けてアスファルトの炎暑を和らげるものをガリガリに剪定してしまうのは頂けない。誰の指示であろうか。そう言えば、樗谿から本陣山の登山ルートの道を、裏道までコンクリート舗装して土と落ち葉を踏む喜びを抹殺してしまった。いい雰囲気のそま道が台無しとなった。担当者は現地を見て判断したのであろうか。あれは不要な事業であった。サービスのつもりか、机上の感覚で決めたのか、業者任せか。自然との調和とか人間の心の潤いとかを考慮したのであろうか。どおしてこんな事になってしまうのであろう。

東京には武蔵野の面影が残っており一時は都内の森巡りに躍起となったことがあった。航空写真で見るとあの大東京に皇居や明治の森、代々木の森を初めとした森の数々が都内を占拠している。皇居の奥の奥まで拝観した事があったが大自然そのままで痛く感動した。京都は関西在住50年のお蔭で知っているほうだが住友別邸とか真々庵、野村別邸など非公開のものに素晴らしいものが温存されている。京都は観光客ずれして庭園料金が高くイジマシイ印象を受ける。
東京は大らかで入園料も実に安い。庭園も大木が多く大スケールで一時は東京の庭園巡りに凝った。皇居近くの高層ホテルから皇居とか青山東宮御所の森が雨で霞む風景はいいものだ。東京と言えば私は千円の昼の弁当にも関西と一味違う江戸の粋を感じている。大阪は決して食道楽とは言えぬ。京都には高く見せるノーハウがある。確かに色んな点で東京には江戸文化の心意気が残っていると見る。大阪は大阪城と万博公園の森程度か。神戸は住まいが近かったが六甲連山と海が実によく調和し震災前は外国が街にあるようなセンスで私には第二の故郷と言える。新幹線神戸駅裏10分で深山幽谷となり雌雄の布引の大滝のあるのをご存知であろうか。

ヨーロッパは森が激減したらしい。ギリシャのエーゲ海も地中海も魚が極めて少ない事と因果関係があると聞いた。森林が減ると文明も滅びるという学者もいる。日本は山を伐採しても30年経つと復元する気象条件に恵まれた有難い島である。その島が今や戦後のコンクリート文明のためにゴミとダイオキシンに汚染され日本のウオーターは見る影もなくなった。落、広葉葉樹林の激減は人類と文明へ致命的報復を果たしつつある。
                  鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典