富士山浄化で一大精神作興運動を


サンケイ新聞 談話室に掲載さる。
平成13年8月7日 火曜日



私の登山暦は40年近くなる。70歳の今日でも仲間とともに百名山登山を試みている。近年は登山愛好家が増えて誠に喜ばしい事ではある。さて、富士山であるが日本の象徴であり外国人も日本と言えば富士山であろう。美しい山容は万葉集の時代から語りつぎ言いつぎされて今日に至っている。特に伊豆、箱根からの眺望は素晴らしい、否、何処から見ても日本国に生まれた喜びさえ思う。私はパソコンの壁紙に常に季節の富士山を貼り付けているし、多くの方が富士山のホームページを持ち写真を提供してくれている。又、何時いかなる場所でも現時点での富士山を眺められる。日本人は誰でも富士山が好きだ。我々日本人の心の故郷である。あの気高さ、偉大さ、秀麗さ、新幹線で見えない時の落胆と常に日本人の心にある。苦しい時に、喜びの時に、富士を仰ぎ見て共感を共にされた方々も多いことであろう。さて、その富士山である。私は30年前に登山して以来やめている。それは、ご存知の通り余りの汚染である。年々、汚染は増えるとは実に嘆かわしい。誰も分かっていて放置するとは、これも日本人の欠陥である。私は富士は眺める山だと私は思い登山していない。世界遺産に合格しないのは汚染の故と聞く。一体登山家は何ともないのであろうか。日本人の恥である。恥ずかしいではないか。信仰の山なら更に恥ずかしい。飽満日本の象徴とさえ私には映る。私は、登山禁止か、入山制限か、汚染の一掃を登山家が率先してやらねばならないと思う。平成の聖域無き改革の一環として改革が必要である。第一、現代日本人が汚染のまま後世に伝えたとしたら平成は日本歴史の中で最高の汚名を残すこととなる。現代日本人よ、それていいのか。平成の飽満と言われる今こそ、21世紀の日本人の一大精神作興運動として富士山浄化をやるべき時期が到来していると考える。

                                    徳永圀典