反発を招く恐れがある

平成13年9月6日 日本海新聞 潮流に寄稿



@表題はNHKテレビを始めとして大マスメディアが外交案件の交渉過程で一様に書き立てる言葉である。卑近な事例は新しい教科書が出た時である。中国、韓国の反発を招く恐れがあると直ちに報道した
。日本国の教科書は日本国民が自ら主体的に検討して作成し子孫を教化するもので他国に相談したり遠慮して内容を決定するべき性質のではない。国家の本質的主権に属する。中国、韓国はそうしている。

私も歴史はよく読んでいるほうだと思っているがその私でも、今回の教科書を先ず丁寧に読んで、他の教科書と比較し吟味検討を重ねた上に発言しなくてはとてもコメントできない。本当に大マスメディアの諸君は、あの時点で熟読玩味し総合的に内容を検討し、日本人として主体的に判断した上で報道しているのであろうか。まして、他国民が、よく読んで他の教科書と比較検討した上の発言なのか。疑わしく到底そのようには思えない。

A次に表題の言いようである。外交とは、相手の主張に言いなりになるものではない。国益のために当初は、相手の弱点を突いたり威嚇したり自国の国益に沿うように恫喝さえし、権謀術策を駆使して折衝する。侃侃諤諤のやりとりは当然である。当初から、相手国の反発を招く恐れがあるとの大マスメディアの安易な発言は相手国に当初から同調するものであり日本国の利益にならない。ナイーブ過ぎて担当記者は外国の心理的呪縛に嵌っている。当初から相手を恐れては国益は守れない。この言いようは相手国の基準とか原則が主体となっている。この表現は当初から相手国に擦り寄り相手国に同調する態度である。

これでは日本人を相手国側の立場に誘導する意図があるとしか思えない。米国のマスメディアは時に政府の主張に賛同しているが、日本の大マスメディアはやらない。相手国に遠慮が過ぎるのか、臆病で勇気がないのか、偏向しているのか。政府に反対するのがさも進歩的のように思う習性は幼児性に近い。大マスメディアには日本国の公器としての自覚が欠けている。多くのサイレントな国民はそれ程バカではない。中国は凡て官製メディアの共産国だし韓国も政府主導が多いのを良く知っている。

B殺人事件が多いが、よくもあれほど繰り返し、繰り返し事件の詳細をバカではないかと思うほど事細かにテレビは報道し続ける。一週間くらい大マスメディアがやり続けるからマネする人間が出てくるのだ。報道の自由というが、真の意味を履き違えている。悪事を淡々と垂れ流しのように報道するだけである。

これはイケナイ。社会として、日本国として、日本人として、人間として、明快に悪いことであれば、これは悪い、恥ずかしいことだとか、やつてはならないとか言ったタメシがない。そう言えば社会への一つの示しとなる。善事も悪事もただ垂れ流すだけの印象を受ける。悪い事は悪い、良いことは良いと明快に言って欲しい。是非善悪の確かでない子供たちに良い影響を与える。

C中国人の悪事が頻発しているが、国内治安保持上、日本の大マスメディアとして断固として悪事を排斥しようというものが全く無い印象を受ける。ただ単に報道の垂れ流しである。こんな報道態度は直ちに止めて貰いたい。これでは日本は外国勢力にズタズタにされてしまう。領海侵犯など、日本国の主権を断固とした大声で中国に主張して良い。
数年前の金融危機の時にも、米国の格付会社のお先棒を担いで無批判に格付結果を報道し日本経済を自虐し大企業倒産の端緒を作ったように、国益の観点が大マスメディアには乏しい。そして責任をとらない。

D外遊という言葉がある。私はそれは昔の話で外国に観光の旅に出ることだと思っていた。小泉総理が仕事で欧米諸国を歴訪しても外遊と報道しているが、如何なものであろう。少なくとも遊の文字は不要である。

E8月15日の敗戦の日に靖国神社に参拝する閣僚に対して、よくも二十年間も同じ質問を性懲り無くし続けてきたものだ。おざなりでない、もっと気の利いた、歴史観とか、宗教観とか、日本人の死生観、哲学とか深遠なる形而上的な問答をして欲しいものだ。これこそ究極のマンネリだ。奇しくも中国へ援助を開始した頃から騒がしくなったのは興味深い。

F長野県知事が報道部屋を廃止したが当然だと考える。記者クラブは一種のカルテルであり独占の排他的なものであり、談合に等しい。これでは報道の自由もない、勉強不足の馴れ合い報道になる所以だと言ったらお叱りを受けるであろうか。

進歩的と思っていた大マスメディアも一皮剥けば、古色蒼然たる外務省のような非合理の世界にいる。これでは、国民を世界的視野での啓発など無理というものだ。地方紙の日本海新聞は上述に該当しないと思っている。市場経済の世界に大マスメディア自身も馴れて貰わねばならない。
                   鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典