関西百名山登山記録 49 矢筈岳・生石ガ峰

平成14129日―10日 晴時々曇 雪

参加者 森川、清水、繁益、安東、高橋、長戸、徳永

不便な山々であり、今回もHHCに合流。総勢19人。梅田から千里中央経由高速で一路和歌山へ。阪南地域の見違えるばかりのコンクリート近代化に驚く。紅葉が山々に残り違いを痛感。昨夜までの大雨もあがり晴天であり晴れ男軍団の面目躍如。大雨のために予定のコースは路肩が危険で反対コースから登山となる。小谷林道に午前10.50着。ノッケから急峻の道なき茨道をかき分けて登る。杉林の中を11.50分小谷峠。11度、550米。風がきつく寒い。体感温度は0度くらいか。すべりやすい急な坂をひたすら登り12.45田尻城跡に到着、ここで昼食するも終わり次第出発。ここは1350年とあるから足利尊氏治世下の南北朝時代の砦であろう。午後140分矢筈岳、海抜810.8米。馬の背の岩尾根で狭く石楠花が群生。北に白馬山、東に清冷山、西は日ノ岬を遠望。矢筈岳は遠望写真の難しい山で至近から一枚撮る。ここから瘠尾根を下るが中々眺望もいいし、石楠花、オンツツジ、ドウダンツツジも綺麗らしい。下りの印象は長いキンマ道で足に注意しつつ下山。途中に鷲の川滝。名水飲む。そして中津温泉の露天風呂で温まり一路川辺インターへ。ここで月山会は待機している国民宿舎のマイクロバスにて暗闇の中を湯浅城へ。到着午後6時。直ちに宴会、別注の船盛りの刺身、蓬莱焼きの魚は食べ切れぬ程のもので満喫し大いに盛り上がり忘年の一時を楽しんだ。隠し味は会長が矢筈岳山麓で密かに購入していた鮎の干物の熱燗。繁益氏の1月の手術の成功と安東氏ご夫人の絵画特選の乾杯をあげた。一同息災の有り難い年を心から感謝した。天守閣で夜景を見るが風が実に厳しく屋外に出られない。ここには元々由緒ある城跡もあり、その城主の遺物を鑑賞した。然し誰も入浴せずにバタンキューで就寝午後9時前。

1210日 曇 小雪

昨晩、宿舎に会長の手回しよい手配があり、生石ガ峰の宿まで車で送って貰う。天文台周辺は雪景色、ここから山頂まで約2030分。積雪の中を登頂、御坊市沖の海、北方の山々とか和歌山市を遠望。二度と来ることはあるまいと言いつつ記念撮影。天文台で無料のコーヒーを馳走となり暖をとるが、本当に田舎の方は天文台といい送迎といい親切だ。日本のローカルの人情の良さをみんなで讃えあう。有難う。下山のタクシーの手配が雪で大混乱、遥か下まで雪道を歩く。道中、数日前から腰痛でギブスを嵌め注射で無理した名会計の長門氏が歩行難渋し皆でリュックを持つ。その後何とか回復されたが寒気のせいと、矢張りオントシなのでありましょうか。無理は禁物であります。何せい、我等の名会計、お大事に願いますぞ。海南市から和歌山へ。ここで昼飯代わりのウドンを食べて一路大阪へ。和気藹々とした車中でしたが、繁益氏の手術前で、心なしか繁益氏のお心持ちが伺えたように思う。ご無事な手術大成功を皆様と共にお祈りします。

俳句

森川  肌寒く鳥もい鳴かぬ矢筈岳

     紀伊の海光かすみぬ矢筈岳

清水  矢筈岳寒風すさぶ昼餉(ひるげ)かな

     シャクナゲのかすかに芽ぶく春を待つ

繁益  矢筈岳はるかかなたに紀伊の海

安東  秋ふかく矢筈岳より日高川

高橋  冬山の足もと険し矢筈岳

長戸   苔むすぶ冬のうす日の矢筈岳                  
     生石峰残りススキが雪の中

徳永  木枯らしの通り道なり矢筈尾根

     初雪も寒風も忘る紀伊の人

私は鳥取帰宅は午後8時半。そして、翌日1211日の朝は積雪30糎と例年より早くて多い。今年も色々と有難うございました。多くの失礼があつたと存じますがお許しください。良いお正月をお迎えください。

                  (文責 徳永圀典)