日本海新聞潮流寄稿 平成14年4月26日

命の旅

気づいた時、人は既に命の旅をしている。その道を人は人生という。宇宙の一生命にすぎない人間の命は滔滔たる大宇宙の命の大河の小さな、小さな存在にすぎない。自覚のないままに、この命が与えられ、歩いていた人生という旅。生命の溢れる若いときには無我夢中にひたすら前を見て歩くのみでこの道の儚なさに気づかない。このいのちなるものに気づくのは、生命に限りがあると知る年齢に達する頃というのは愚かな私だけであろうか。私達は命の旅をしている。終着駅のあるいのちの旅を。

人生は旅 

その人生を旅ともいう。旅、これは我が家を出て一時的に他の地に行くことであろう。とするならば、今は人生という道を旅しているが、命の故郷はやはり大宇宙なのであろう。旅は憂いものつらいものという。頼るものもいない旅は人生ににている。旅は情け、人は心という。人の情けが身にしむのは旅であり、実人生のことでもある。旅は道ずれ、世は情け。旅で見知らぬ人が助け合い人情に触れるのは美しく、悲しく嬉しいものだ。人生の旅も同じであろう。旅も人生も疲れてしまうことがある。疲れたら道端の石に腰かけて暫く休むがいい、人もそう遠くには行くまいから、と言ったのはドストエフスキーであった。この言葉は若いときから妙に印象深い。

一日も旅

その人生を凝縮すれば一日の集積である。その一日も旅だと思う。朝、目覚める、洗面する、朝食をとる。新聞を読む、出勤する。労働して命の糧を得る。一日にはいろんな方と出会う、いろんな現象に遭遇する。喜び、悲しみ、そして感動もある。夕べとなれば帰宅して家族と団欒し、趣味に耽り一日の無事を感謝し就寝する。私は毎朝着替えしながら思う、さあ今日も旅の始まりだ元気で今日の旅をしようと。いろんな生活があろうが、一日中、人は動き回り、疲れては休む。家で休むのは疲れたり病気になったりした時のみである。家の中でさえ、動き回り、旅をしているのだ。まさに動くことが人生であり、旅ではなかろうか。大宇宙も、大自然も、常に変化し動いてやまない。停滞とは旅の終わりの近いことかもしれない。命の本質は動くことと見つけたり。生きるとは動くことであり、生命とは動くことなのであろう。動くのは旅である、だから旅こそ人生と言える。

旅行

人生の旅については稿をあらためるとして、旅行という旅について語りたい。旅行も感動であり、ふれあいであり、発見である。さして、趣味もない私達は40代となり子供達が大学に行き始めると、心して旅行を始めた。最初は日帰りで夜の留守をしない事を原則とした。現役の真っ最中であった。計画的に旅行に深く入ったのは退職直前からであった。引退は還暦と同時でありそれから満11年経過した。知らぬ間に旅行のルールが出来ていた。

私達の旅のルール
@ ノンフライト---飛行機嫌い。
A ウイークデイに限る
---暇だから。
B国内に限る
--海外は面倒で危険。
Cローカル線探訪
--未知の発見と伝統探求。
Dフルムーンを活用
--楽で安い。
E露天風呂大好き
--開放感とぬるめ。
F宿は直接手配
--研究成果の確認。
G団体パックは使用しない
--拘束されるのは嫌。
H自然風物を主とする
---人工には飽きたから。
Iケバケバシイ料理宿を敬遠
---実質を探求。
J鉄道の踏破路線を赤く塗る楽しみ。ざっと、こんなルールが出来ていた。

歌のある風景

旅は感動である。そして、歌も感動であろう。無理して作らない。人に見せるためではない、自分のメモみたいなものでいい。日本という四季のある美しい国に生まれ、海に四海を囲まれ、緑濃き山々や水明の河川に育まれた日本人。アフガンや中国の殺伐たる風景を思い起こすがいい、緑多きこの国土に生まれ、やがて命の旅の終わりを思う時、心してこの国の凡てを見たいと思ってなにも不思議はない。さあ、どこから旅について語ろうか。(続く)