峠と岬   

日本海新聞潮流寄稿 平成14年7月8日

私はなぜか峠とか岬に心がひかれる。峠は険しい山脈や、やや低い山地の鞍部を越える通過点である。峠という呼称は鎌倉時代以降の和製漢字らしい。トウゲはヤマト言葉で、神仏に供え物を捧げる手向けに起源がある。峠に立つという言葉がある。それは山でも人生でも組織の中でも、ほぼ頂点を極めたかなとの響きがある。山頂も山麓も見渡せるし自他共にほぼこの辺かなとの思いもあろう。己の現在の姿が客観的に見える場所でもあるからだ。確かに稜線に近く山頂も近いなと思わせて気分的に何かホットするのが峠ではある。どんな山でも峠に達するとホットする。あの安らぎのある、優しさというのか峠に立つ時の不思議な感情はなんであろうか。ある程度極めたかなという自覚があるのかもしれない。日本最高度にある峠は立山の別山乗越2740米、次は同じく雄山の一の越峠2680米。ただ素通りして何の感情もなく過ぎ去る人々、ワイワイガヤガヤとお茶やお菓子を食べる場所と思う人もあろう。私は峠に立つと、その昔、海から魚や塩を運んで里に下る汗臭い男衆がそこらにある朽木に腰掛けて一休みしたのであろうかとか、里からは若い男が海を目指したりしたかも知れないなどと思う。人間味ぷんぷんの匂いを峠に感じているのかもしれない。やはり日本人の感性から生まれた字と言える。峠に立つと、向こう側には画然とした別の世界が広がっている場合が高山ほど多い。低山では、更に身近な人間臭がある。塩の道、魚の道,トトヤ道、人と物が交流する峠道である。それ故であろう、石仏とか道祖神が風雨に、時日に洗われて佇むのは低い峠に多い。峠は自然的には地形、気候、植生などが顕著に相異なる。大菩薩峠1897米などは名前もいいが富士山の絶好の見晴らし場所だ。夜叉神峠1770米なども響きがいい、昔の人は命名がうまい。ここの下の川はよく洪水が出てその悪い神の怒りを鎮めるために峠に夜叉神-ヤシャジンーを祭ったという。上高地の徳本峠、トクゴウと読むが、この峠に初めて立った瞬間は眼前の黒ずんだ奥穂高岳に圧倒されてしまう強烈な場所だ。奈良は生駒山の暗峠455米、何の変哲もない狭い石畳だが、飛鳥人の通ったことに思いをはせるからイメージが膨らむのかもしれない。涼しい風がよく通る。世界的にはアフガンとパキスタンの国境にあるカイバー峠はアーリア民族のインドへの侵入路だしアレキサンダー大王が超えた峠でもある。ヨーロッパアルプスのブレンナー峠はゲーテやチャイコフスキーがイタリアに行く時に越えた。峠はこのように人文的には二ッの文化圏が合い半ばし、争い或いは調和する場所の感じがする。

岬、海とか湖中に突出した陸地の端だ。私は海の見える場所をよく選ぶ。洋々たる、大海原を見ていると大きな気持ちとなり空想とロマンが湧いてくる。そして潮騒は母なる地球の子守唄のような思いもする。寄せては返す波に地球の息吹きを感じてしまう。岬といえば足摺岬の断崖絶壁上の露天風呂で遥か南方の南十字星?と勝手に決めて眺めた夜は忘じ難い。

     まみなみの海の果てしに大星が赤くまばたく語るごとくに

室戸岬山頂の風力発電と家屋の高い塀は強風の中の暮らしを想像するに余りある。九州の都井岬は通俗的だが野生馬は珍しい。大隈半島は佐多岬の雨、愛媛佐田岬の瀬戸内海と宇和海の明るさとデコポンのおいしさ。伊豆半島は川奈崎でのゴルフの強烈な感動は明るい海と富士山の麗姿がもたらした。奥石廊崎にしても潮岬にしても、今、自分は半島の最先端に居るという思いがハイにさせるのであろうか。日本キャニオン沖の艫作崎、積丹岬の海の美しさ、東北とか北海道の岬の先端は更に深い感傷を生む。岬も峠も情感が涌くから印象深いのかもしれない。経ヶ崎、珠洲崎など日本海の岬は海の色が濃く、時に灰色で心も沈んでしまう。それに比して太平洋岸の海は明るく心もウキウキしてくる。房総半島の洲崎、知多の伊良子岬、静岡御前崎、西伊豆波勝崎、真鶴岬、室戸、足摺など記憶が深い。志摩半島の大王崎は俗化して往年の良さは消えたが、少し東の安乗崎の灯台は心の和らぐ場所だ。九州は開聞岳山麓の長崎鼻は東シナ海を見晴らせて更に明るい。海の色は空の色、空の色は海の色。航空写真で岬とか海岸の流線やら山岳を見るとなんと言う美しい国かなと感動してしまう。